古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『金王朝』の終焉を見てから ……。

2014年03月22日 01時08分45秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 あと2冊、本にふれてこの項を終わりにします。
 一冊目は「関 貴星」氏が、渾身の勇気をふるって書いた 『楽園の夢破れて = 北朝鮮の真相』 という本です。彼は朝鮮総連の岡山県本部長という輝かしい地位にありました。で、日本国中で北朝鮮への「帰国運動」が盛り上がった1960年(昭和35年)、日本の国会議員などといっしょに訪朝団として北朝鮮に行きます。在日朝鮮人として苦労してきた関さんが、祖国の独立15周年祝賀会に招待されたのです。
 あの頃『朝鮮民主主義人民共和国』は「地上の楽園」として宣伝され、日本中で帰国運動が展開されていました。「体一つで帰国すればよい。差別のない、食や職の心配のない、学びたければ学び、働きたければ自由に職業に打ち込める、福祉の行き届いた国が、あなたを待っている!」
 ところが行ってみると生活は苦しい。物は無い。自由が無い。それを日本に知らせようにもその手段がない。手紙や電話は検閲される。訪朝者は、帰国者と自由に会えない。つい先頃帰国した知人に会おうとしても会えない。会っても指導員が張り付いていて、自由に話せない。
 訪朝団の人々はそのことを思い知らされ、あまりに違う現実に腹を立てた筈なのに、その声は表に出てきませんでした。「関 貴星」氏だけは自分の立場、家族、親族、人生の経歴、総連での輝かしい業績、財産などすべてをなげうって、1962年(昭和37年)にこの本を出しました。出版を引き受けてくれたのは、〈左翼批判系〉と目されていた『全貌社』で、この本は注目されませんでした。
 ぼくの手元にあるのは、2003年河出書房新社で再版された本です。題は『北朝鮮 1960』となっています。
 「この本が1962年にベストセラーになっていたら……。あの国の真相が知らされていたら、日本から北朝鮮へのバブル時代の貢物もなく、帰国運動も消え、あの国はあの形では存続していなかったであろう」と悔やんでも悔やみ切れません。
 二冊目は写真集で、『北朝鮮〈楽園〉の残骸』(2003年・草思社)という本です。ある東独の青年がNGOスタッフとして北朝鮮に入り、地方の病院などで支援活動をしながら撮った写真を極秘に持ち出したものです。
 お仕着せの金日成の銅像やマスゲームの写真もありますが、500メートルを越える高い山が頂上まで段々畑にされている写真、資材や土木機械がなくて人海戦術で道路づくりをしている写真、牛車による運搬、天秤棒による水運び、カミソリや金槌の置いてある手術室、ビール瓶での点滴、ドラム缶に煙突をつけた薪ストーブの教室で勉強する児童たちなど、いまもそのままでしょう。
 
 バイキングの食事をするとき「あの国の人たちが落ち着いて、ゆっくり味わいながら、バイキング料理をたのしむ時がくるだろうか」と思い、衣類の断捨離をしながら「この衣類が空を飛んであの国のどこかの庭に落ちたらいいのに」と思い、寒い日には「あの国はもっと寒いだろう。暖房に裏山の切った竹を燃やせたらいいな」とつい思ってしまいます。
 『金王朝』が終焉をむかえ、あまりに長きにわたる「人間の心をねじる犯罪」が消えるのを見てから死にたいです。
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