古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

自分へのご褒美として《蟹》を食べました。

2014年03月06日 19時18分54秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 年を取るとやたらに「自分へのご褒美」を出したがるものでしょうか。
 ことしになって2回目ですけど、「自分へのご褒美」として城崎温泉に蟹を食べる一泊旅行をしてきました。何をした「ご褒美」なのか自分でもよくわかりませんが。
 城崎駅前には若い旅行者が多かったような気がします。宿の人にきいたら「卒業旅行とかのシーズンですからね」。若い人だって結構「自分へのご褒美」してるんだ。
 毎年車で行きますが、ことしは電車にしました。ビデオを撮ったり車窓の景色を眺めたり読書をしたり。そんな旅行気分を久しぶりに味わいました。これからはなるべく車をつかわないで遠出しようと思います。

 50ページくらいまで読みかけていた『クラバート』を持っていき、夜中に目覚めて明け方まで読み、帰りの電車で最後まで読んでしまいました。読んだのは二度目ですが、とってもおもしろく、読むのをやめられませんでした。この本を処分しないでよかったです。そのうちまた読むつもりで手元に置きます。
 もしぼくが中学生の頃に『クラバート』と出会ってたら、すっぽりはまってたでしょう。(1980年の出版ですからぼくはもう40代でそんなことはあり得ませんが)文のつくるイメージがくっきりしていて、おじいさんになってから読んでも「シュヴァルツコルムの村」や「コーゼル湿地」や「粉引き小屋」のイメージが立ち上がってくるのです。ネットで感想ブログを見ると10代の少年少女たちがいまもはまってるみたいです。
 プロイスラーは長年かけて〈クラバート〉伝説を自分なりに書き上げたかったけど、途中で行き詰まりました。そこで筆を止めてしまい、「ホッツェンプロッツ」を書いたそうです。
 巻末の解説から引用します。 


 …… 作者はつぎのように語っています。
 「わたしはこの仕事を中止せざるをえなくなり、『クラバート』は失敗に終わったと思いました。そして、ただこの絶望から『大どろぼうホッツェンプロッツ』を書いたのでした。」
『クラバート』のこの一時の中止は、少なくとも年少の読者にとってはさいわいでした。なぜなら、そのためにあのゆかいなホッツェンプロッツ氏がひと足先に生まれることになったのですから。

 
 人間っていいですね。書く人もいて。読む人もいて。
 
コメント
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