高齢者福祉の相談を受けていると、様々なことがあります。珍しくないのですが、こんなことがよくあります。
介護が必要となった父親を誰が看るのか、家族で揉めているのです。その父親は一人暮らしをして生活していましたが、病気のため、一人で生活するのが難しくなりました。そこで登場するのが、3人の子どもです。長男夫婦は島外に住んでいて働いています。長女は町内に住んでいますが、嫁いでいます。また次男は結婚していませんが、働いています。
よくあるのが、擦り付け合いです。
長男夫婦曰く、「近くに住んでいるんだから、長女が看ればいいじゃない。ましてや娘の方が気兼ねしないから、お父さんも喜ぶだろうし・・・。」
長女曰く、「私は嫁いだ身だから、嫁ぎ先の目もあるから、面倒みれないわ。本来、長男が家を継ぐんだから、私は関係ないわ。」
次男曰く、「俺はどっちにしろ関係ないね。」
いったいこの言葉や態度は何なのでしょう?自分を育ててくれた親は、歳をとって介護が必要になったら、自分とは関わってほしくない人なんでしょうか?或いは、自分のパートナーの親は、やっかいなお荷物なんでしょうか?
もちろん、こんなケースばかりではありません。でも自分の権利ばかり主張して、大切な何かを忘れているような気がします。僕たちは福祉の専門職ですから、お手伝いをします。でもね、家族が愛してくれることが一番の介護なんですよ。
見ると看るは大きな違いじゃと、経験してみて初めて分かった気がする。
わずかな間じゃけん、介護出来たけど、最期までじゃったら、どうじゃったかって想像もしたり…。
確かに自分を育ててくれた親(祖父母)では、あるけど働かなきゃ生きていけないし、結婚してれば相手の理解もかなり必要じゃろうし。
きれいごとだけじゃ、済まされん問題もあるよね~。
私も出来れば、誰の手も借りず幕引きしたいけど…。
ある利用者さんのお宅は二世帯住宅にもかかわらず、2階にいる奥様は母がヘルパーに行ってる間もまったくカオも見せず、ピアノを弾いていたり、お友達とお茶をしているそうです。おばあちゃんは朝から何も食べていなかったり…介護ってする手が足りないからではないの?
ヘルパーさんに任せたからそれで良いもの?
そんな話が珍しくないことを知りました。全てではないにしろ、自分の肉親ですら他人事という家庭がこんなにも普通に存在しているこの世の中にとても怖さを感じます。
嫁・姑問題など、確かにいざこざなことは家族にはたくさんありかとおもいます。実際我が家も祖母の認知症と長い間直面しました。キレイ事などいえない状態もよくわかりました。それでも父もそうですが、なにより血縁のない母が血縁ある親族より祖母に介護してたことが、私の心に強く残っています。だから私も今こうして家族を実感することができました。家族とは…今でもよく考えます。
老いは誰にでもくるもので、いずれ我が身が介護する立場になり、その後は介護される立場になるということ。
介護はほんとにキツイことでもあります。でも自分の親が、その親を介護する、それを見て子供は家族の繋がりを学ぶんだと今になってはっきりわかりました。それは普通のこととしていままできたはずです。
自分の親ががしないことを、子供に要求できるはずがありません。
これからの高齢化社会、この人数では例えお金があってもそれはそんなに私達を支えてくれるものではなくなるのではないでしょうか。その時本当に支えてくれるのは、家族しかないでしょう。
結局自分のした事は、自分に返って来るんだろうな…と想います。
愛はもらうものではなく、あげることがスタートしたいな。。。
仰るとおり「言うは易し、行なうは難し」だと感じます。
いくら家族が看れば良いと言ったって、経済面・身体面・精神面・環境面などなど、問題は沢山あります。
看たくたって、看られない状況にいる人は沢山居ますよね。
でもね、「想い」は伝わるんですよ。僕が悲しいのは、親をお荷物だと考えていることです。
親は賢いからね、「子どもに迷惑だから、早くあの世に行きたい」と本気で考えるんですよ。
僕も数年間は介護の仕事をしていました。
だから色々な人たちを見てきたつもりです。
でも介護に対する答えは見つけられません。
何が一番良いのか、それは分かりません。
ただ、僕が考えている以上に家族の関わり方は大切じゃないのかと感じます。
日々、こんな相談を受けていると、時々愚痴りたくなるのです。お許しくださいね。
ありがとうございます。
僕も沢山の人の話を聞きながら、人生勉強の最中です。
沢山、悩んで考えてみます。