虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

白山中居神社

2008-08-21 | 日記
今回の旅行で「いとしろ」を「石徹白」と漢字で書くと初めて知った。この漢字、読める人は少ないだろう。だから地図でも最近は「いとしろ」とひらがなで書くことが多いみたい。

「いとしろ」は高地にある。冬は雪に包まれ、スキー場がある。車で走ると、「田舎暮らし」という幟が道路によく立っていた。別荘地の宣伝だ。信州の軽井沢のような賑わいはないけど、今後は新しい人気スポットになるかもしれない。
このいとしろの道を上まで上ったところに、白山中居神社がある。ここから、白山の南口登山道になるらしい。

江戸時代の石徹白村の住人は、すべてこの白山中居神社の社家、社人だったらしい。つまり、幕府でも大名の領民でもない、白山神社につかえる民ということか。年貢はなく(年貢をとれるほどの米もできないだろう)、名字帯刀の特別の身分だったそうだ。江戸時代は郡上藩の預かり地になっていたそうだ。

郡上藩の宝暦一揆のとき、ここでも石徹白騒動が起きる。簡単にいえば(というか詳細はよくわからない)白山中居神社の神職の支配争いで、幕府や郡上藩とつるんだ上村豊前というここの神主が、自分の支配に従わない村人約500人(村民の3分の2)を白川村などに追放する。厳寒の季節、着の身着のまま、中にははだしの者までいたそうだから、悲惨な流浪の旅だ。五十数人がなくなったそうだ。杉本左近たちが駕籠訴し、箱訴し、結局、郡上一揆と同時に裁判にかけられ、郡上一揆と同時に判決が下る。上村豊前は死罪になる。杉本左近は一ヶ月の謹慎ですむ。郡上一揆外伝というべきものだ。

小室信介の「東洋民権百家伝」では郡上一揆については、一揆の首領たちの名も、その詳細も伝わらず、ためにこの「石徹白騒動」の杉本左近を紹介しているが、あれから郡上一揆の探索、発掘は進み、今では郡上一揆は映画にまでなり、各地に碑が立つ。しかし、こちらの「石徹白騒動」の方はあまりすすまず(最近、本が出たようだけど)、碑もない。

白山中居神社の鳥居をくぐると、橋があり、下は石徹白川の清流。大きな岩がごろごろしている。涼しい。周りは杉の巨木。見学にきていたのはわたしの他に1組だけだった。静かだ。冬は真っ白に包まれる神社なのだろう。



飛騨古川

2008-08-21 | 日記
古い町並みがある、というので寄ってみた。
飛騨古川駅(立派な駅だ)の広い駐車場に無料で止められる。
観光客もまばら。まだあまり観光地化されていない。
白壁の土蔵と鯉の泳ぐ瀬戸川の町並みというのを歩く。
たしかに、小さな瀬戸川には鯉がうようよしていた。
のんびりゆっくり歩いたらいいのだが、せっかちで、いつも走るように歩くわたし。あまり印象には残らなかった。