虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

美人の湯しろとりー宝暦義民義民碑

2008-08-17 | 一揆
日帰り温泉「美人の湯しろとり」の広い駐車場の一角にこの碑がたっている。

この日帰り温泉「しろとり」に車で着く1分前の道路わきにも観音像を建てた宝暦義民慰霊碑もたっていた。ここも映画「郡上一揆」を記念して建てられたようだ。

「美人の湯しろとり」の温泉の屋根は丸い傘状になっている。これも一揆の傘連判状を模して作られたそうだ。露天風呂には、一揆について説明した掲示板もすみに立っていた。そのほかは、一揆の説明は何もなく、ここが一揆の発祥地だと知って入りに来る人はいないのではなかろうか。駐車場にある義民碑も気づかない人、素通りしてしまう人も多いにちがいない。

車がたくさん止まっていたので、混んでいるだろうと思ったけど、湯ぶねには一人か二人ですいていた。外の人は貸切個人風呂とか食堂にいっているのかもしれない。入浴料650円。いい温泉だ。

ここのホームページを見てみたけど、一揆の説明は何もなし。関連する記事も探してみたけど、「美人の湯しろとり」と一揆をつなげて書いている記事は見当たらなかった。一揆は表には出さない。しかし、屋根は一揆の傘連判状、施主は奥ゆかしい人なのかもしれぬ。




白山歴史博物館

2008-08-17 | 一揆
道の駅白鳥に併設して建っている。
白山文化を展示する博物館だが、郡上一揆のコーナーも設けられている。
コーナーには、人形で駕籠訴する場面が。
映画で使った黒くなった生首3つも箱の中に置いてあった。
わたしはいらちなタチでだいたい博物館や記念館では展示物をあまり見ない。掲示の文章を読むのがめんどう(笑)。さっさっと通り過ぎてしまった。すぐそばが道の駅なのに、ここもあまり訪れる人は少ないようだ。

前谷定次郎顕彰碑

2008-08-17 | 一揆
前谷定次郎とは、映画で緒方直人が演じた郡上一揆の主役だ。

喫茶「前谷定次郎」から道を5分ほど下ったところに、前谷白山神社というお宮があり、その境内に画像にある顕彰碑が立っている。昭和62年に建てられたようで、顕彰碑には次の文章が。

「前谷村定次郎は享保13年助左衛門家に生まれ、幼少から父助左衛門の厳しい薫陶を受けた。宝暦4年金森騒動が始まるや、27歳の若さで帳締谷の血盟に参加し、他の4人と駕籠訴のため江戸に下りその任を果たして帰国村預けとなった。幕府の裁きはなく、藩の圧迫は強く農民は分裂した。定次郎は切立村喜四郎と共に立百姓の先頭に立ち、頭取同様の活躍をした。宝暦8年歩岐島騒動に乗じて喜四郎外2名と江戸に下り、蔭の力となって箱訴は成功したが、多くの義民と共に刑場の露と消えた。ここに碑を建て永久にその功績を称えたい」

このお宮の裏に定次郎父子の墓があるそうだが、そこは私有地になっているらしく、遠慮して墓にはいかなかった。定次郎の子孫は北海道に住んでいるらしく、墓参りにはときどき訪れるらしい。

前谷村も「義民の里」だ。


喫茶「前谷定次郎」

2008-08-17 | 一揆
「いとしろ」から白鳥まで下る道の途中に「前谷定次郎」という看板のかかった店がある。道のわきだからよく目につく。一揆の指導者の名を店の名前にしたのは珍しい。立ち寄ることにした。

主人は買出しに出て不在だった。店内は映画「郡上一揆」のポスター、蓑、傘、昭和初期のビールの広告ポスター、山の写真、人形、いろんなものを飾っている。外には生簀なのか、池があり、外でも食事ができることになっている。ラーメンからうどん、ソバ、コーヒー、酒、ビール、ウイスキーあり、カラオケもできそう。一揆にかぎらずなんでもあり、ごった煮の印象だ。でも、雰囲気は悪くはない。コーヒーを飲んだ。

「郡上一揆」の映画製作を商売の機縁にして始めたのだろうと思う。映画「郡上一揆」はこの一揆の顕彰には大きな力を発揮したようだ。店内には、監督と写した写真もかざってあった。店主がどんな人か知らないけど、商売っ気のあるエネルギー旺盛な人かもしれない。


善九郎の映画(上宝ふるさと歴史館)

2008-08-17 | 一揆
福地温泉にある萬葉館も上宝村、ここも同じ上宝村だが、車で30分以上も山道を走らなければならない。上宝村は広い。山の中で、住宅は見えず、こんなところに歴史館なんかあるのか?と思っていると、広い田地の中に立派な歴史館があった。
本郷村で、ここが善九郎が生きた土地だ。しかし、観光客はまず訪れないところだろう。

入ってすぐに映画を上映してもらった。
席は40席ある。もちろん、見るのはわれわれ1組だけ。他にはだれも館内にいない。

題名は「莟みし花」。製作統括菅原文太、主演菅原加織(文太の息子)。
題名は、善九郎の辞世「寒紅は無常の風にさそわれて 莟みし花の今ぞ散り行く」からとられた。莟(つぼみ)のうちに散る自分の運命をうたった歌だ。

菅原文太も映画の中で百姓役としてセリフを言う場面があった。上映時間40分、長い!作品のできは・・・。批評は避ける。時間も資金も足りなかったのだろう。残念だ。これが菅原加織氏の遺作になったと聞く(31歳)。

なぜ菅原文太が大原騒動を映画にしよとしたのか。上宝村と文太はどういう関係にあるのか知りたいと思った。文太は昔の大河ドラマ「獅子の時代」ころから一揆に関心を持ち始めたのだろうか?よくわからない。

この歴史館は大原騒動の史料のほか、円空仏や民具などの展示もしてある。各地によくある近代的な歴史館だ。林格男が執筆した「大原騒動と本郷村善九郎」という小冊子もただでもらえる。この近くの本覚寺という寺に善九郎の墓もあるはずだが行かなかった。


福地温泉 萬葉館

2008-08-17 | 日記
平湯とか奥飛騨に比べると、福地温泉にいく人は少ないのかもしれない。車も走っていなかった。福地温泉に入ると、「むかしばなしの里」と名のついた何の里かわからない一角があって、そこに萬葉館はある。

「陶・茶房」の店だ。この建物は本郷村善九郎の生家を移築したものと聞いていたので、入った。しかし、一揆や善九郎を売り物にした店ではなく、あくまでも陶器(主人は陶芸作家らしい)と喫茶(ソバ、コーヒーなど)のちょっと雰囲気のいい店として知られているのだろう。けっこうお客さんが入っていた。軽く食事ができるのは、ここしかないのかも。

若夫婦二人の営業で、ご主人は料理(ソバ)の準備、奥さんはコーヒーや配膳、会計とバタバタと大いそがしのようすなので、声をかけるのは遠慮した。ここ萬葉家は、善九郎が養子になった家。店内の隅にこの家の由来と善九郎の遺言が掲げられてはいるが、若夫婦は大昔の善九郎だけを店のセールポイントにはしたくないのかもしれない。店には主人が作った陶器を並べていた。わたしは、灰皿を買った。

高山陣屋には、萬葉祐一氏が書いた小冊子「大原騒動と本郷村善九郎」を置いていたが、ここの主人はそのお子さんなのだろうか?

わたしなら、善九郎を店の宣伝に使い、史料を飾り立て、一揆の幟を並べ、一揆センターにするかもしれない。そうすると、正体不明の浪人者、不穏分子だけがたむろし、酒とタバコと空しい議論ばかりで、若者や女性、観光客は近づかず、まあ、1か月で閉店かもしれぬ(笑)。