弁明(判決理由)
原告第1・2号証は内さ検地の起因およびその方法を見るべきもので、本訴の論地に対し証拠とすべきところなし。
原告第3号証は岩城丈平なる者の調製にして、クジ取り方法の意見書にすぎず、証拠とすべきところなし。
原告第4号証は庄屋田地の持ち分の定めとありて、庄屋地の制限を立てるもので、論地の性質を見るべきところなし。
原告第5号証・・・・
やめましょう。長くなるし、空しくなる・・(笑)
この調子で原告第13号証まで、ことごとく証拠とするところなし、と続くのです。
でも、原告の証拠証をひとつずつあげて否定するだけでもまだ良心的なのかもしれない。児島惟謙によって執拗に書き直せといわれた判事犬飼厳磨の苦渋の案文かもしれません。なぜなら、原告はどんな証拠をだして、どんな理由をのべ、裁判所はどんな理由で否定したか、後世に判断をゆだねることもできるからです。
原告第9号証などは、宇和島藩庁の役人(須藤頼尚、鈴木重雄)が書いた記録なのですが、庄屋の私産ではなく共有地に認められる記述なのですが、文中に、「官有」という言葉をとらえ、この裁判は官有か私有を問うものではなく、共有地かどうかを問うものだ、といったり、藩の記録であるにもかかわらず、「もとより公正のものにはあらず、あるいは自己の憶測に出た一家の私言やもわからぬ」などといって、証拠には採用しません。何を出してもダメです。
これに反して被告の証拠はほとんど採用。もっとも有効だとしたのは、地券。反別畝順帳には、百姓惣代、組頭、区戸長の奥書があり、原告は被告の所有を認めている証拠とします。
また、庄屋が売買した無役地の売券証の証拠を、もし、共有地なら、村民が黙視するはずがない。だから、庄屋の私有地だというのです。
宇和島藩の庄屋がどんなに権力があり、また、どんな不正をしてきたか、だれが文句をいえたか、あの野村騒動はがまんにがまんをしてきた庄屋征伐でもあったことなど、裁判官は知らなかったのでしょう。
最後の文だけ引用します。
「右、被告の数証をまとめると、第1、昔の地割名寄帳、検地帳などにおいて、庄屋の記載は他の人民と変わらないこと。第2、庄屋家督を売却するとき、当時、村民は異議をとなえなかったこと。第3、庄屋地より無役地の増加を請願したこと、第4、反別畝順帳に基づき被告が地券を受け取るも、村民、異を唱えなかったこと、そのほか、原告は、庄屋地制限のさい、過石の分は百姓並諸役あい構え、その庄屋が私有視していた、というが、なぜ1村の共有地なら当時、これを黙って見ていたか。
以上のように論地の性質は庄屋が私産であることは明らか、原告はこれに対して口をいれるべき権利はない。
判決
前項の理由なるをもって、原告の訴えあい立たず。訴訟入費は原告の負担たるべし。
明治16年11月29日
以上です。
原告が異を唱えなかった、黙認していた、ということが被告の正当性を裏付ける理由にされるのです。やはり、黙っててはいけませんね。
原告第1・2号証は内さ検地の起因およびその方法を見るべきもので、本訴の論地に対し証拠とすべきところなし。
原告第3号証は岩城丈平なる者の調製にして、クジ取り方法の意見書にすぎず、証拠とすべきところなし。
原告第4号証は庄屋田地の持ち分の定めとありて、庄屋地の制限を立てるもので、論地の性質を見るべきところなし。
原告第5号証・・・・
やめましょう。長くなるし、空しくなる・・(笑)
この調子で原告第13号証まで、ことごとく証拠とするところなし、と続くのです。
でも、原告の証拠証をひとつずつあげて否定するだけでもまだ良心的なのかもしれない。児島惟謙によって執拗に書き直せといわれた判事犬飼厳磨の苦渋の案文かもしれません。なぜなら、原告はどんな証拠をだして、どんな理由をのべ、裁判所はどんな理由で否定したか、後世に判断をゆだねることもできるからです。
原告第9号証などは、宇和島藩庁の役人(須藤頼尚、鈴木重雄)が書いた記録なのですが、庄屋の私産ではなく共有地に認められる記述なのですが、文中に、「官有」という言葉をとらえ、この裁判は官有か私有を問うものではなく、共有地かどうかを問うものだ、といったり、藩の記録であるにもかかわらず、「もとより公正のものにはあらず、あるいは自己の憶測に出た一家の私言やもわからぬ」などといって、証拠には採用しません。何を出してもダメです。
これに反して被告の証拠はほとんど採用。もっとも有効だとしたのは、地券。反別畝順帳には、百姓惣代、組頭、区戸長の奥書があり、原告は被告の所有を認めている証拠とします。
また、庄屋が売買した無役地の売券証の証拠を、もし、共有地なら、村民が黙視するはずがない。だから、庄屋の私有地だというのです。
宇和島藩の庄屋がどんなに権力があり、また、どんな不正をしてきたか、だれが文句をいえたか、あの野村騒動はがまんにがまんをしてきた庄屋征伐でもあったことなど、裁判官は知らなかったのでしょう。
最後の文だけ引用します。
「右、被告の数証をまとめると、第1、昔の地割名寄帳、検地帳などにおいて、庄屋の記載は他の人民と変わらないこと。第2、庄屋家督を売却するとき、当時、村民は異議をとなえなかったこと。第3、庄屋地より無役地の増加を請願したこと、第4、反別畝順帳に基づき被告が地券を受け取るも、村民、異を唱えなかったこと、そのほか、原告は、庄屋地制限のさい、過石の分は百姓並諸役あい構え、その庄屋が私有視していた、というが、なぜ1村の共有地なら当時、これを黙って見ていたか。
以上のように論地の性質は庄屋が私産であることは明らか、原告はこれに対して口をいれるべき権利はない。
判決
前項の理由なるをもって、原告の訴えあい立たず。訴訟入費は原告の負担たるべし。
明治16年11月29日
以上です。
原告が異を唱えなかった、黙認していた、ということが被告の正当性を裏付ける理由にされるのです。やはり、黙っててはいけませんね。