全国学力調査の記事。
1面、そして、2面の時時刻刻、28、29面の全面2ページ。38面の社会面にも。
「小学校は改善、中学低迷」。大阪、中学に課題だって!
何十億もかかってする意味のない学力テスト、そもそも税金の無駄遣いではないか、という議論はどこにもない。
新聞には、二つ問題がのっていたが、いやー、実にくだらぬ。算数の問題はわたしにはさっぱりわからぬが(読むのもいや)、国語は調査資料を見て文を書くもの、正答例が出ていたが、あほくさすぎる。パーセントだけで調査人数も出ていない。わたしなら、無回答の1パーセントを見て文を書くだろう。「この回答者は問題のくだらなさにあえて無回答にしたのであろう。さりとてはの者である」と。
だいたい、この学力調査の問題、全部、公開すべきだ。共通一次とかはいつも新聞に載せているのだから、当然、全部公開すべきだ。どんな問題を出しているのか知る必要がある。人を試すものは、また、試されてしかるべきだ。問題を公表しないのがまずおかしい。
大阪はだめだとかいっているが、子供が聞いたら「ほっといてくれ」だろう。最高の県の平均と最下位の県の平均点も10店くらいの差だ。大阪など、全国平均との差は2~5点くらいのもの、数字にまどわされてはいけんばい。
テストの結果が学力を示すものではなく、学力がその人の知性、教養を示すものではなく、ましてや人格を表すものでないことは子供でも知っていることだ。
この学力テストについては新聞は文部省や知事市町村など役人側の記事ばかりのせ、教師、親、子供から取材をしようとする意図が少しもない。
教育学者の団体、あるいは一個人でもいいけど、この馬鹿な学力テストについて反対する、という声明を出しているところはないのだろうか。出しても新聞は黙殺しているのだろうか。
学力テストで大騒ぎをして学校をある方向に統制していこうとしているのは明らかではないか。
沖縄、最下位だということだが、子供たちは、このテストの馬鹿らしさを見抜いているのかもしれない。こんな形でテストされるなんて屈辱以外のなにものでもないもんな。立派だぞ。
1面、そして、2面の時時刻刻、28、29面の全面2ページ。38面の社会面にも。
「小学校は改善、中学低迷」。大阪、中学に課題だって!
何十億もかかってする意味のない学力テスト、そもそも税金の無駄遣いではないか、という議論はどこにもない。
新聞には、二つ問題がのっていたが、いやー、実にくだらぬ。算数の問題はわたしにはさっぱりわからぬが(読むのもいや)、国語は調査資料を見て文を書くもの、正答例が出ていたが、あほくさすぎる。パーセントだけで調査人数も出ていない。わたしなら、無回答の1パーセントを見て文を書くだろう。「この回答者は問題のくだらなさにあえて無回答にしたのであろう。さりとてはの者である」と。
だいたい、この学力調査の問題、全部、公開すべきだ。共通一次とかはいつも新聞に載せているのだから、当然、全部公開すべきだ。どんな問題を出しているのか知る必要がある。人を試すものは、また、試されてしかるべきだ。問題を公表しないのがまずおかしい。
大阪はだめだとかいっているが、子供が聞いたら「ほっといてくれ」だろう。最高の県の平均と最下位の県の平均点も10店くらいの差だ。大阪など、全国平均との差は2~5点くらいのもの、数字にまどわされてはいけんばい。
テストの結果が学力を示すものではなく、学力がその人の知性、教養を示すものではなく、ましてや人格を表すものでないことは子供でも知っていることだ。
この学力テストについては新聞は文部省や知事市町村など役人側の記事ばかりのせ、教師、親、子供から取材をしようとする意図が少しもない。
教育学者の団体、あるいは一個人でもいいけど、この馬鹿な学力テストについて反対する、という声明を出しているところはないのだろうか。出しても新聞は黙殺しているのだろうか。
学力テストで大騒ぎをして学校をある方向に統制していこうとしているのは明らかではないか。
沖縄、最下位だということだが、子供たちは、このテストの馬鹿らしさを見抜いているのかもしれない。こんな形でテストされるなんて屈辱以外のなにものでもないもんな。立派だぞ。