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名誉町民 菅野留吉翁 顕彰碑 オホーツク管内滝上町の野外彫刻(3)

2021年08月07日 11時45分34秒 | 街角と道端のアート
 先に述べたように、2021年7月末にオホーツク管内滝上町を訪れ、野外彫刻を探してきました。

 今回、新たに何点かを確認してきましたので、紹介します。

 まず、滝上町市街の中では西寄り、国保病院の正面に立っている碑です。
 肖像レリーフがはめられているので、野外彫刻のなかにかぞえられると思います。

 
 翁は明治四十四年栃木県より
村医として来住開拓医療に従事する
と共に村会議員に推され 分村運動
村の基本財産造りに尽力戦後選挙管
理委員十二年国民健康保険事業の基
礎を築き村医以来四十有余年町民医
療に貢献町発展に多くの業績を残し
名誉町民に推さる
 ここに碑を建立し以って永遠に
偉功を讃う
  昭和五十三年六月三十日
       滝  上  町  


 裏面の文を文字起こししてみました。
 戦後しばらくしてから刻んだものなので、読みにくい文字はありませんが、句読点がなく、ほとんど区切れ無しに文が続いているので、ちょっと戸惑います。


 また、なぜか「従」の文字が「從」という正字(旧字体)になっています。

 いきなり分村運動ということばが出てきています。
 滝上町の歴史は町のサイトに載っていますが、オホーツク地方内陸部の例に漏れず、滝上も本格的な開墾に着手されたのは明治も終わりになったころです。札幌などにくらべると40年ほど後のことです。
 1918年(大正7年)、渚滑しょこつ村(現紋別市渚滑)から分かれて、滝上村が発足したのです。
 その際に、住民たちの運動があり、管野医師も一役買ったということなのでしょうか。

 なお、町制施行は1947年(昭和22年)です。


 滝上町のサイト「町長室へようこそ №19」には、次のようなエピソードも記されています。

「菅野先生は福島県出身で、病院に従事したのがきっかけで東京順天堂に学び、医師として新婚間もない身重の妻と渡道したもので、現在の雄鎮内会館のあたりにカヤやムシロ戸の住居を構え医療に当たったこと、後に住民たちが樹を切って病院を建ててくれ、薬も器具も足りない中で懸命に治療に専念したこと。開拓時だけにケガや皮膚病が多く、中には腸閉塞で、交通の便が良くなく悔しい思いをしたことなど初めて聞く話もありました。」


 顕彰碑は、表側が病院のほうを向いて立っています。

 ところで、よっぽど暑くてボーッとしていたせいでしょうか、台座がおもしろい形状をしているというのに、正面から撮った写真が1枚もありません。

 また、レリーフのサインを確認するのも失念していました(いま画像を拡大してみましたが、刻まれていないようです)。
 『新編 滝上町史』にもこの碑については記載がありますが、作者名は記されていません。



過去の関連記事へのリンク(滝上町の野外彫刻)
中野五一「岡本政道翁像」
堀木淳平「Noah- さくらいろの海」





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