小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

旧友の思いやり:アメリカ人形の話:(2)

2010-09-09 16:19:12 | アメリカ人形

 「長い間無視していた私の人形たちが今、ガヤガヤと騒ぎ出している。」

 山根基世さんがNHKを引退して、わくわく自由!ついにその日がやってきてすぐにふ
っ飛んでニューヨークにやってきた。
それから10日間、毎日6時間はニューヨークを歩
いた。ほかの人が案内すればまず有名な人気100点を選ぶだろう。それはすでにたく
さんの本が出版されていて皆の知るとことでもあり、ほかの人が案内出来ることである。
友人や家族が訪ねてきてもいつも何かのプロジェクトがあり、案内は誰にも全くしたこと
がなかった。タイミングは最高。
 私は基世さんにツーリストは普段いかないところを案内しようと、毎日を二人で過ごし、
よく歩き、しゃべり、よく食べ、忘れ得ぬニューヨーク散歩になった。
頭脳明晰で協調性のある基世さんは、文句を言わずなんでも観察してくれた。
ある日、「私が74歳になった時こんなに歩けるかしら?」といった。多分しんどくて、私
に悪いと思って、頑張ってついてきたのかも知れない。見せられるところはみせてあげ
たいと思った。しかし、3年後の今、毎日6時間歩くのは信じられないことになったので、
本当に良かったと勝手居士は思っている。その様子を銀座百点636号に書いている。

山根基世
旧友発見の旅 銀座百点636号 2007年11月1日発行 より抜粋

前略
 「恵さんが案内してくれた所を俯瞰してみると、彼女が何を面白がっているのかがよく
わかる気がした。アメリカの「庶民の持つエネルギー」に津々たる興味と深い共感を寄
せているのだ。
 常に前向きで楽観的な恵さんが、唯一「私の死んだ後が気がかり」というのが、彼女
のアメリカ人形のコレクションのこと。フォークアートに興味を持つ彼女は、ニューヨーク
に住みついて間もない、40年近く前から地方を歩いては、普通の人たちの手づくりの
「創造的なもの」を集めてきた。アメリカンキルトの第一人者になったのも、その過程で
のこと。人形も同様にしてあつめられたものだ。1830年(天保元年)から1930年まで
の百年間に作られたアメリカの「遊び人形」100点とそれにまつわる70点を自費で買
い集めた。
 麗々しく飾るのではなく,子どもが手に取る「遊び人形」は、普通の母親がわが子のた
めによりよい人形をつくろうとさまざまな工夫を凝らして、人間の機能に近づけてきた歴
史を持つ。例えば、手足の関節を曲げるためには、ミシンのに縫い目を入れればよいと
発明する。するとその名もない母親は、そのアイデアを特許(パテント)に登録するのだ。
「アイデアこそアメリカの資源」、自分のささやかな発明をパテントに登録する積極性は、
アメリカ建国を支える底力になっているというのが恵さんの見解。彼女の人形コレクシ
ョンは人形作りにおけるパテントの歴史をたどることで、名もない母親たちのエネルギー
を証すものでもある。こうした視点からのアメリカ人形はコレクションはほかに例がなく、
かつて彼女が出版したアメリカ人形の本を読んだ元駐日アメ リカ・大使ライシャワー氏
からも称賛のメッセージを寄せられている。
 だが、貴重なこの人形のコレクションが今、日本の倉庫で眠っているのだ。いつか日
本で個人美術館を開いて展示するつもりで集めていたが、「今や年をとり、財力と体力
で無理になっちゃった、あーん。私が死んだら私の人形たちがゴミになっちゃうのね」と
嘆く恵さんを放ってはおけない気分になった。長い付き合いなのに、正直言ってこれほ
ど意味深いコレクションをしていることに気づかなかった。私の卒業旅行は、旧友情発
見の旅になった。
どこかこの人形を永久に展示してもらえる場所はないのかしら・・・・。」

山根基世さん、ありがとう!小林恵&人形一同

   
    
ニューヨークを歩いていると思わぬところで面白いものに出くわす。よく観察しながら歩くと、、ニューヨークのいたる
ところにニューヨークらしさを発見する。ヨーロッパとは違うニューヨークならではの面白さである。これほんの一部。