お金にものを言わせるアートの世界・何処かがおかしい.
1964年、日本で初めてツーリズムが解放されたとき、プロペラ機でアメリカに行った。
6か月の休暇を取り世界13か国のビザを取り、まっしぐらニューヨークへ。
今のように情報がなかった時代、何もかも面白く3か月間、毎日マンハッタンをくまなく歩いた。
なかでも53丁目、MOMAの数件西側のブラウンストーンのアパートの1階に1961年発足し、1963年9月、
開館したばかりのアメリカン フォークアート美術館があった。
摩天楼の中につつましく開拓時代からの名もない人たちが手にハートをこめて作った暮らしのアートを展示していた。
歩くたびにきしむ床。展示品は必要から工夫されたもので、どれも心が温まるものばかりだった。
私は近くまで行くと必ずそこによっていた。館長はロバート・ビショップ氏。ハーバードで博士号を取ったアイデアが
未来に向かっている楽しい人だった。
その後、彼とプロジェクトを何度か一緒にすることになった。彼はアメリカ人もなかなか自国のフォークアートに関心を
寄せないのに日本人のあなたがと、いつも私の企画に即刻反応してくださった。将来はNYにアメリカンフォークアート
の建造物を建てたいのが夢だった。
その後、2リンカーンスクエア コロンバスにできた高層建築の1階の広場を、無料で公共に公開することを条件に
100年間1ドルでニューヨーク市から譲り受け分室として使用できるようになったのも彼の貢献によるものだった。
ビショップ氏の活躍のおかげで、念願の美術館がMOMAの数件西側にテッド・ウイリアム(Ted William)とビリー・ツエン
(Billie Tsien)の外観がブロンズ合板の美しい美術館が出来上がった。2003年世界、国立、ニューヨーク市からの最高
建築家賞を獲得し、ミッドタウン ニューヨークのユニークなアイコン的存在であった。
しかし建物の借財32ミリオンの負債を返済できず、土地をMOMAが$31.2ミリオンで購入、12年の生命を閉じ、
ショッキングなことに建造物が取り壊されることになった。
MOMAは隣のパーキング場も購入し、2017年~1018年には拡張工事が完成するという。MOMAは展示場の拡張と
第1級高級レストランとショップを拡張するという。
ニューヨークタイムスには
「NYCで起こった恥ずべき行為で、MOMAは恥を知るべきである。MOMAは文化を無視したエゴイスティックなアイデアで
頭を殴られているような思いだ。」
その他、建築工事に携わった人の意見や、その他多くの人々から、喧々諤々MOMAが批判されている。
何とも寂しい話である。
◎ お知らせ; ”Labors of Love" 小林恵のラグスクール
貴方の手で100年も持つ遺産、アメリカンフックド・ラグを作りましょう。
7月~12月までの6か月・(月1度クラス)初級クラス募集
日程:7月、8月、9月、11月 は第3火曜日:10月は第5火曜日、12月は第3火曜日。
ラグのことならwww.ny-apple.com の中のラグ情報をご覧ください。
問い合わせ:小林恵 keikobayashiny@gmail.com
ホームスパンhara@homespun.com