
孫六岩
京都嵯峨の豪商、角倉了以の保津峡開削事業の最後の難関であるこの岩の開削に命をかけた「岩師」孫六親子にちなんで名付けられた。この命がけの
仕事に死に装束を着て作業にあたり、そして三日三晩、岩の上で火を焚き、やっとのことで岩を割った。しかし、孫六親子は岩が崩れた際、それに
巻き込まれて亡くなった。

トロッコ保津峡駅
2013年の18号台風で壊れたのを復旧

この駅で降車したのは、酒呑童子
伝説では、995年、一条天皇の時代に「大江山に住む鬼の酒呑童子を源頼光らが、毒酒を飲ませて泥酔させ討ち取った。」とされているが、歴史家の
高橋昌明は、994年に大流行した疱瘡がこの伝説に関わっているのではないかと考えているようだ。
この駅の南の方向に首塚大明神は、その首を都に持ち帰る途中に、ここで急に重くなり動かなくなったため、首て埋めたという首塚がある。このことから、
この酒呑童子に扮装した鉄道会社の社員?太秦映画村の俳優?が大活躍することになる。

有名な星野リゾートグループの「星のや京都」
客室は、角倉了以が邸宅を構えた場所に、100年前に建てられた旅館をリノベーションしたもの。

トロッコ嵯峨駅前に展示されているD51蒸気機関車(国鉄の全発注数 1,107両)
車両番号がD5151なので、1936年に川崎車輌で製造されたもの