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元南武線の205系を求めてDepok車庫へ

2015年09月19日 23時59分59秒 | インドネシア
先日のジャカルタ、マニラ遠征の報告ということで、本日は元南武線の205系の話題から進めていきたいと思います。
近況についてはこのブログにもリンクさせていただいているパクアン急行様のJABODETABEK COMMUTER NEWSをご覧いただければと思いますが、元南武線の車両が全て揃い、Bogor線及びBekasi線のホームが12両に延伸対応されてから営業されるのではないかと思っていたところ、私がジャカルタを離れマニラへ戻ったあとの10日から運用に入るとは寝耳に水で、結果的には営業のシーンは撮影できなかったものの、Depok車庫とBalai Yasa Manggaraiにおいて、元南武の編成、全9編成を撮影できたのは個人的に良い結果だったと考えております。

まずはジャカルタ初日の6日は当初の予定では、10年もお世話になっておりますPT.KAIのR氏の仕事先であるBalai Yasa Manggaraiへお邪魔することになっていたのですが、ご自宅の屋根を修理しなければならないので遅れるとのことで、ならばDepok車庫への入場はいかがですかとR氏から変更を進めらました。結果的にこれは私にとって良かったようで、元南武5編成(ナハH7、H8、H11、H40、H41)が見れましたし、元南武の3並びは夢の夢でしたが、初っぱなから見れるなんてついていました。
左からナハH11、H40、H8です。


南武の帯がやけに明るいなと思い、近づいて指で帯をめくったところ、元南武の色が見えました。どうもジャカルタにおいて新たに南武の帯の色を貼っているようで、今後もジャカルタではこの南武色をそのまま使用するようです。本来のナハH2~H6は色がもっと褪せた色ですので、並べれば違いがはっきりするに違いありません。



こちらはナハH7とH41です。Depok車庫に留置されていた5編成の前面の行先方向幕はほとんどが抜かれ、H11の偶数方のみに方向幕が残っていました。


ナハH11の偶数方には方向幕が残っていたものの電源が入っていないため、行先表示を変えることは容易ではありませんが、それでも手でまわすことを試してみたものの固くて途中で諦めました。


この編成は相模線205系投入前に乗務員室に独自のモニターが付いていましたが、その後取り外されました。
ジャカルタではクハやモハという文字は当然消され、車内の車両番号も消されています。


所属表記と定員も消され、日本からのお下がりであることを払拭しているようにも見えます。


車内はJR時代とあまり変わりなく、KCJ特有の号車番号のステッカーやインドネシア語表記の優先席ステッカーが取り付けられたのみで、車内のあのうるさいモニターは取り付けられていません。いずれは付けられてしまうと思うのですが、私にとってはこのままのほうが良いですし、車内の自動音声もないほうが良いかと思います。


駅名対照表はそのままであり、方向幕があれば南武時代の姿を楽しめます。
しかしながらDepok車庫では電源が入っていなかったため、いじることはできませんでしたが、Balai Yasa Manggaraiでは夢の南武幕にKCJバージョンを楽しむことができました。


運転台も変わっておらず、モニターの快速「通過設定」のステッカーもそのままです。
南武線では横浜線と違って、快速を運転する場合、運転台の左にあるアクリル製の快速、普通種別の札を使っておらず、それぞれ運転士がオリジナルの快速札を持って乗務しています。


その他の面白いものとしては、ハエ31の奇数方のTcはかわいそうに部品取りになっていました。


また、東急8611Fも部品取りに供出され、多くの先頭改造の編成やオリジナルの都営6000形も留置されていました。


以上、1時間ばかりDepok車庫で撮影させていただきましたが、次の日の7日も南武線ファンの私にとっては嬉しいことが続きましたので、この続きは次回報告させていただきたいと思います。


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