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Cikini駅で撮影

2016年02月09日 23時07分35秒 | インドネシア
前回でのお約束どおり、今回はCikini駅での撮影について、少々述べていきたいと思います。
朝、中央線内で撮影する上では、光線状態や線形的な条件を考慮するとCikini駅のホームが最も良い場所かと思いますが、今回の撮影の目的は元南武線205系を撮影するということで、ほとんどの元南武線の編成は中央線に入る運用となっていましたので、先日の報告のとおり1/17の日曜日朝にCikini駅ホームで撮影することとしていました。
しかしながら、カメラの電池をホテルの部屋に充電したままカメラの中の電池を確認せずそのまま来てしまったため、ここで初めて気がつくというドジをしてしまい、タクシーで電池を取りに往復したのち、再びここCikini駅のホームで撮影しようと思っていたのですが、PKDのお兄さんに許可証がないと撮影できませんとのことで、翌月曜日の朝であれば駅員がいると思うので、結局出直すことにしました。
翌日朝8時にCikini駅の事務室へ寄ってみると、駅員担当者は交通渋滞の影響により出社が遅れているとのことで朝の撮影は断念したのですが、受付嬢曰く、夕方はたいてい16時まで居るのでまた来てくださいとのことで、Depok車庫訪問の帰りに寄ってみることにしました。
駅事務室で事情を話すと許可証を発行するのかと思いきや、駅のスタッフの1人が一緒にホーム先端までついて行くというので、ちょっと申し訳ないような思いでお願いさせていただくと、最初にやって来た列車がラッキーなことに下の元南武線のナハH3+36の12連でした。


続いて元ハマ線の205系と元埼京線の205系がManggarai方向からKota方面へと通り過ぎたのですが、このあと来た列車は先程Depok車庫に留置されていたナハH2+4の10連でした。
この編成は行先表示と種別表示をちょっといじらせてもらった編成だけに、もしや後ろのH4編成で種別が「快速」、行先表示「快速川崎」という表示で拝めるのではないかと期待していたところ。


前面を見ると下の写真のとおり嬉しいことに種別が「快速」、行先表示「快速川崎」という表示を見事に見ることができました。
あまりにも嬉しくて後続の列車で追いかけ、Kota駅でもこの姿をもう一度拝みたいと思っていたのですが、最後の最後の駅であるJayakarta駅まで来ていながら、この駅をちょっと出たところで15分程停車し、このナハH2+4編成と不幸にもすれ違ってしまい、再び、種別「快速」、行先表示が「快速川崎」という姿を撮影することができませんでした。
(Kota駅に到着してみると、Commuter列車は私が乗車した列車しかいませんでした)


19日朝、18日夕方に続き、上りホームのKota寄りで撮影するため、18日夕方に駅員に19日朝も撮影させていただきたいということで許可を得ていたのですが、許可証のようなだれもがすぐに認めてくれるものは発行されず、口頭だけでの許可でありますので、果たしてPKDのお兄さんたちが理解していただけるのか不安でした。
朝8時頃にCikini駅に到着すると、まずは上りホームにいる1人のPKDお兄さんに昨日駅員に口頭で許可をいただいているので撮影させていただきますと断ってホーム先端で無難に撮影していたところ、しばらくして別のPKDのお兄さんが私のところまでやって来て「撮影には許可証が必要なので、この駅の事務室に行ってください」と忠告されました。私は昨日の夕方に駅員から許可を取りましたと説明すると、そのお兄さんはまだ私を疑っているようでしたので、それならば「あとで駅員に聞いてみてください」と言うと、素直に引き下がってくれました。
どうもPKD同士での連絡や駅員とPKDとの連絡も必ずしも徹底していないところがあり、やはり再び私が他のPKDのお兄さんに対して説明する必要がありますので、ホームでの撮影となるとこのような説明をしなければならない場面も出てきますし、フィリピンのように国民全員が英語をうまく話せるとはかぎらないところもあり、インドネシア語で会話することが必要な場合もありますので、インドネシア語がわからない方にとっては撮影する上で苦労することもあるかもしれません。
私自身、マレー系の言語でフィリピンの公用語であるタガログ語を長年勉強していたおかげで、インドネシア語の中に同じもしくは類似する語彙が多くありますので、非常に助かっておりますが、語根でタガログ語とインドネシア語で対比するとたくさんの共通する語彙が多く、マレー系の言語の特徴である接頭辞、接尾辞、接中辞を変えるだげで、簡単にタガログ語からインドネシア語、インドネシア語からタガログ語にもできますし、人称代名詞の「私、彼、私たち(話し手を含む、含まない)」や指示代名詞をはじめ、名詞、動詞、形容詞などほとんどの品詞に対して非常に近いものがあります。
ただ、同じ語彙でも意味が若干違うものがいくつかあり、例えば「インドネシア語のtunai、タガログ語のtunay」はインドネシア語は現金、タガログ語は本物という意味であり、「ingat」はインドネシア語は記憶・覚え、タガログ語は気をつけるという意味で、若干意味が違いますので、私にとっては混乱することもあります。また、この駅の名前であるCikiniもタガログ語のChikininiに似ていて面白いのですが、タガログ語のChikininiはキスマークという意味で、この駅の名前のCikiniはどのような意味があるのかわかりません。
話しがインドネシア語とタガログ語の類似性ということで脱線してしまいましたが、話しを元に戻すとこのままホームの先端で撮影し続けたものの、下の写真のとおり列車が数珠つなぎ状態になっていました。
どうもこの日の朝はBogor線のLenteng Agung駅付近において、レールに亀裂が見つかり、数時間列車が止まっていたために、Bogor線方面からの列車は少なく、Bogor線・中央線に充当されている元南武線の205系は撮影開始から1時間経っても来ませんでした。


Bogor線内でのレールの亀裂により、Kota方面から来る列車はBekasi線方面の列車ばかりで、自ずから元南武線の列車もなかなか姿を現さなかったのですが、撮影開始から1時間経って、ようやく元南武線がKota方面へと去って行き、その30分後に帰ってきたのですが、危うく被られるところでした。


後ろを振り返るとすぐにKota方面の元南武線の列車が到着し、元南武線同士でのツーショットの姿も珍しくないようです。
また、上り列車の停止位置を観察していると、大方、正しい位置に列車が停止しているのですが、中には8両編成のくせして、私が撮影しているホーム先端の12両の停止位置で停止する列車があり、その運転士に「なぜ、ここで停止するの?」と聞くと、運転士曰く「tidak apa-apa」と問題ないと返事されましたが、改札へ降りる2つの階段は、Kota寄りの階段に降車客が集中してしまい、うまく分散されないことをわかっていない運転士もいます。
この他、列車の最後尾の車両の乗務員室には日本と同様に車掌が乗務していますが、発車直後のホームでの安全確認は実施されておらず、JRが乗務員に対して実施している指導講習も活かされていないような気がします。


中央線では通過するコミューターの中でほとんどが205系で、おそらく1割程度が東急やメトロ系列の車両で、205系以外のファンにとっては面白くない路線でありますが、JR以外の車両をお望みの方は環状線で撮影することが望ましいようです。


元南武線の編成が連続でやってきましたが、このような姿を見ることは珍しくないようです。


ということで、続いてきたこちらの12連の列車に運良く乗車することができ、Depok車庫へと向かいました。


Depok車庫幹部の話しでは南武色205系の帯を1月中に全て変更すると述べていたものの、蓋を開けてみるとKCJ色になったのは第5陣のナハH12,34,39とその相手を組むナハH11の4本だけで、その他の編成もKCJ色に変更されるのか注目されますが、これらの元南武の編成は基本的に12両編成として使用されるようですので、KCJ色との組成は想定されないものの、今後どのようなことになるのか気になるところです。私個人的にはこの南武色はKCJ色化されないことを願いつつ、そのような様子が見られなければ、今年の断食時期(ラマダン)の前にもう一度ジャカルタに訪問し、今度は南武色の205系をJuanda駅のホームからMasjid Istiqlalとともに撮影してみたいものです。


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