ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

ひとあし、またひとあし、

2024-10-28 14:28:37 | 日記
衆議院選挙が終りました。
ほぼ予測されていた通りの選挙結果だったのかもしれません。
裏金問題が大きな争点になったようですが、国政はウラ金だけではありません。
もちろん自民党には反省していただかなければいけませんが。
これからの日本、どのようにして平和を保っていくのか、明るい見通しとばかりは言えない気がします。
明治生まれの私の父は、生前よく言っていました。
〈政治家は清濁併せ飲まなければ政(まつりごと)なんてできねーぜ〉と。
子供心にはよく理解できず、〈政治家のオジサンって、なんか怖い人〉、そんなふうに考えていた私です。
人の考え方、物事への対処の仕方は十人十色。
父は、〈政治は一筋縄ではいかない〉、そんなことが言いたかったのかも。
今回の選挙、とにかく一人の有権者たる私は、自身の心情に合わせて一票を投じました。
選挙民が清濁の濁流を飲ませられてはたまりません。
やっぱり公平で正義が尊ばれる社会であって欲しいと願っています。
綺麗事かもしれませんが、政治体制の違いはあっても、どの国とも平和を保ち、体制の違いを戦争で解決したくはない、そう思う心には変わりありません。
政治家になる能力も体力も皆無の私です。
もちろん、未来への予測など皆目なしえない(ばーば)。
せいぜい私にできるのは、身近なことに、私なりの理と誠を尽くす。
それだって難しいことですが。
でも、「ひとあし、またひとあし」と今日を生きよう。
そんなことを考えている私です。

昨日は日曜日でしたので教会に行きました。
牧師先生のお話の中に次の讃美歌が引用されていました。
私も心から受け止め、共感できました。

1 たえなるみちしるべの ひかりよ
  家路もさだかならぬ やみ夜に、
  さびしくさすらう身を
  みちびきゆかせたまえ。

2 ゆくすえとおく見るを ねがわじ、
  主よ、わがよわき足を まもりて、
  ひとあし、またひとあし、
  みちをばしめしたまえ
     『讃美歌第二編』288番 日本基督教団出版局刊

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またまた、びっくり!

2024-10-25 08:14:40 | 日記
イーロンマスク氏の「100万ドル」にはびっくり仰天でしたが、大谷選手の記念すべきボールが6億6732万円で落札されたとのこと。
これにもびっくり。
へー!と驚くばかりです。
とにかく金銭感覚が私の住む世界とは異次元ですから。
しかし投票日も間近となり、ここにきて自民党は非公認の候補者が代表の政党支部に活動費として2000万円を振り込んだとかのニュース。
石破首相は問題がないと述べていらっしゃいますが、こちらは頂けません。
〈ここまでやる!?〉と言う思いで不愉快です。
お名前を捩ったりして失礼ですが〈破れかぶれ〉なんでしょうか。
マスコミは、今回の総選挙に関する予測などを発表していますが、どうなるものかしら、と、期待と不安をもってニュース等を観ています。

でも、夕方はやっぱり散歩。
田んぼ道を歩きながら空を見上げて、好きな詩人の詩などを思い起こしています。

八木重吉さんの詩を二つ。
  『本当のもの』
  どうしてもわからなくなると
  さびしくてしかたなくなると
  さびしさのなかへ掌(てのひら)をいれ
  本当のものにそっとさわってみたくなる

  『うつくしいもの』
  わたしみずからのなかでもいい
  わたしの外の せかいでもいい
  どこにか「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
  それが 敵であっても かまわない
  及びがたくても よい
  ただ 在るということが 分りさえすれば
  ああ ひさしくも これを追うに つかれたこころ

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100万ドルですって!

2024-10-23 16:03:57 | 日記
衆議院選挙の期日前投票に行ってきました。
投票日当日に、自宅から所定の投票所まで歩くのは、ちょっと億劫な気持ちもあるので、いつも駅前のビル内にある期日前投票所で選挙を済ませています。
自宅は繁華街からは離れた住宅街にありますので、選挙カーなどもあまり巡っては来ません。
もっとも、市議会選挙等の地方選とは異なり、選挙カーの数も少ないのでしょうが。
私なりに、この国の政治のあり方を考えて1票を投じてきました。

それにしても、アメリカと言う国はすごい国だなぁ。
舌を巻いています。
大統領選挙に絡むイーロンマスク氏の動きのことです
アメリカのイーロンマスク氏は今回のアメリカ大統領選挙で、トランプ氏の支持を表明していました。
イーロンマスク氏は、氏が設立したトランプ氏を支持する団体(アメリカ PAC)の請願書に署名した人(激戦州・アリゾナ州その他、6州に居住する者)の中から毎日1人を選び出して、100万ドル(1.5億円)を配る、とのこと。
アメリカは日本とは比べ物にもならないほど大きな国土を持っています。
住んでいる人たちも、また日本とは比べ物にもならない方たちが、たくさん住んでいらっしゃるのでしょう。
ただただ舌を巻いて驚くばかり。
法的な解釈はいろいろあるようですが、私の感覚から言えば法に反している様な気がしてなりません。
法に反する、というより、感覚的に好きなやり方ではありません。
〈理屈とトンボはどこにでもつく〉と言われています。
アメリカの「法」は、どの様な判断を示すものかと。

先だってひ孫のUちゃんが、イモ掘りに行ってきました。
そして、たくさんお土産のお芋を届けてくれました。
甘くておいしいサツマ芋でした。
いろいろ手を加えなくとも、切って蒸しただけで十分に甘いお芋でしたので美味しく食べきりました。
そのお礼と言うわけではありませんが、ハロウィンがやってきますので、昨日クッキーのセット(1000円)を買ってきました。
何事にも行動するには、見返りを考えるのが人間の常と言うもの。
イーロンマスク氏はトランプ氏の勝利を、それは自分の考え方を政治に強力に反映すると言うことでしょう。
私は、ただただ「ありがとう」そう言って受け取るUちゃんの笑顔が見たいだけ。
それだけ 。
(それにしても、100万ドルあったら何に使う・・・そんな想像はした私でした)
おしまい。
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『母の待つ里』

2024-10-18 08:22:06 | 日記
散歩に出ました。
私の好きな田んぼの在るコースです。
稲刈りは三分の一ほど済んでいましたが、まだ黄色の稲穂が風にそよいで実りの季を謳っていました。
なんとなく、「ふるさと」の歌が口からついて出たのは、昨晩、浅田次郎著『母の待つ里』を読んだせいかもしれません。
先だって、この作品がテレビで映像化され放送されました。
「故郷の母」役は私の好きな宮本信子さん。
浅田次郎氏も私の好きな作家さんです。
というわけで、すぐにアマゾンで書籍を取り寄せて読みました。
内容ですが、
〈ある外資系カード会社が提供するプレミアムクラブ・メンバー限定の顧客サービス。
サービスのテーマは〈母の待つ、まがい物の故郷〉。
この「故郷」に一泊二日で50万円の参加料金を払って帰郷する数人のプレミアムクラブ・メンバー。
この「故郷」を、けなげに演じるのは限界集落などと呼称される過疎の村の数人の住人たちが、つかの間の「故郷」を演じます。
この村を訪れる孤独な数人の人間と母親や村人との接触が語られています。〉
「解説」欄で、民俗学者の赤坂憲雄氏が、
《そういえば、「むかしむかし、あったずもな。・・・・・・どんどはれ」という、言わずと知れた遠野地方の昔話がいくつか、とても効果的に母によって語られていた。
『遠野物語』の擬きとして読んでも、とても良質な語りとなっていることに驚かされる。》

と記していますが、私もその様に感じ取りました。

本の内容を頭の中で反芻しながら、「故郷って何?」と考えながら歩いていた私です。
生れてから87年間、この地に住んでいますから、この地が故郷ではあります。
でも、でも、でも、どこかに「ほんとうのふるさと・こころのふるさと」が在るような・・・
「おーい」と、空に向かって呼んでみました。
こだまは帰ってこず、風がどこかへ運んで行ったような・・・
「おかぁちゃーん」
と、呼んでみました。
幼子の様に。
「ハーイ」
応えがあったような。
秋空の下を風が渡っていっただけかも・・・
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『けれど想像力はちっぽけなので・・・』

2024-10-15 21:28:18 | 日記
時々雲も広がりましたが秋の空が広がっていました。
ちょっとだけ袖を通した夏の衣類等をハンガーにかけて天日に干してから、「また来年ね」と言う思いを込めて所定の場所に収納。
今日の気温は24度。
まだ今年の夏が残っています。
でも、空の色は秋の色に。

『日本被団協』がノーベル平和賞を受賞しました。
とても嬉しく思っています。
被爆して亡くなった犠牲者、放射線障害に苦しんできた方々の慰めにもなることでしょう。
また、私たちへの警告とも。
以前、詩人の茨木のり子さんが「アムネスティ人権報告」に出された詩を思い出しました。
掲載させていただきます。

『灯』
         茨木のり子
人の身に起こることは
我が身にも起こり得ること

よその国に吹き荒れる嵐は
この国にも吹き荒れるかもしれないもの

けれど想像力はちっぽけなので
なかなか遠くまで羽ばたいてはゆけない

みんなとは違う考えを持っている
ただそれだけでのことで拘束され

誰にも知られず誰にも見えないところで
問答無用に倒されてゆくのはどんな思いだろう

もしも私が そんな目にあったとき
おそろしい暗黒と絶望のなかで

どこか遠くにかすかにまたたく灯が見えたら
それが少しづつ近づいてくるように見えたら

どんなにうれしくみつめるだろう
たとえそれが小さな小さな灯であっても

よしんば
目をつむってしまったあとであっても
    (1993年3月12日「アムネスティ人権報告」)


いよいよ衆議院選挙。
街中を歩いていますと、なんとなくざわめき感を覚えるのは私の心情のせいでしょうか。
小選挙区制ですから地元を単位として選ばれますが、国会議員は地域の利益代弁者ではありません。
地方あっての国ですから、地方の持つ実態を国の政策に反映させて貰わなければいけませんが。
私たちの住む国が、世界の中でどう平和を担っていくのか、国民がいかに安心して暮らせるのか、そうした視点を国会で真摯に論議可能な方を選びたいと思っています。
もちろん、どの党が政権の座についても裏金問題にはしっかり対応処置を講じてほしいと思いますが。
そして、日本の将来的なエネルギー政策、地球の温暖化に対する対処方針・見解などを、しっかり持っている政党を選びたいと思っています。
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