
Dの葬式が約2週間後の今日(10月16日)行われた。姉弟の多いDには、パリやマイアミに住む親戚がいて、彼らの一時帰国を待って式が行われた。朝、ポルトー・プランスにある教会で賛美歌とともに式が行われ、うちの機関代表を含む50名ほどが出席した。
式の後、Dの遺体を埋葬するレオガン地区に車で移動した。埋葬する前に、最後の対面(ふさわしい日本語が思いつかない)が行われた(写真)。事件翌日の悲惨なDの表情とはうって変わり、白いスーツに身を包まれて安らかな表情で眠るDを見て、安堵した。
家族に求められて、弔辞を述べる。フランス語かクレオール語でできればよかったのだが、その場まで準備することさえも思いつかず、ハイチ人スタッフに英語から訳してもらう。Dの仕事振り、人柄、同僚らの悲しみ、Dが遺された家族をどこからか守っていること、などを言葉にした。
帰り際、レオガンにある出先事務所でポルトー・プランスからやってきた25名のスタッフと一緒に昼食をとり、誰が来月の大統領選挙に勝つかなど、わいわい言いながら帰ってきた。
式の後、Dの遺体を埋葬するレオガン地区に車で移動した。埋葬する前に、最後の対面(ふさわしい日本語が思いつかない)が行われた(写真)。事件翌日の悲惨なDの表情とはうって変わり、白いスーツに身を包まれて安らかな表情で眠るDを見て、安堵した。
家族に求められて、弔辞を述べる。フランス語かクレオール語でできればよかったのだが、その場まで準備することさえも思いつかず、ハイチ人スタッフに英語から訳してもらう。Dの仕事振り、人柄、同僚らの悲しみ、Dが遺された家族をどこからか守っていること、などを言葉にした。
帰り際、レオガンにある出先事務所でポルトー・プランスからやってきた25名のスタッフと一緒に昼食をとり、誰が来月の大統領選挙に勝つかなど、わいわい言いながら帰ってきた。
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