年が明けて、例のテレビ番組をようやく見ることができた。15分ほどの1つのコーナーに出ると思っていたら、丸々自分のことだった。突っ込みどころ満載やけど、よくまとまっているなあというのが正直な感想。旧友に「プロモーション・ビデオやん!」と言われた意味がよくわかった。
現場での取材期間(2013年7月の8日間)は、ハイチのいろんな現場に行って、いろんな話をしたので、どうまとめるのか、他人事ながら気になっていた。客観的に見たら、自分ではないみたい。現場で約45時間回ったカメラの映像から、ストーリーに合うようにコマが厳選されて、必要のないものは大胆に省かれていく、プロの技を見た。その昔、論文を書いていた時の指導教官の教えに通じるものがあった。
実は、ハイチのシェルター(仮設住宅)事業は昨年7月で完了し、復興住宅や周辺インフラを主に建設しているのだが、そんなシーンは一切映らず、シェルターに限られた。うちのスタッフや同僚の少なくとも50名はカメラの前で喋ったのに、使われているのはリアクションのよかった数名のみ。さらに大ボスとの対談ということで30分ほど時間を割いてもらったのに、「面接みたいな雰囲気だった」と全く使われず。それでも映像を見た彼は、うち組織の良い宣伝になったと喜んでた(懐が深い!)。ちなみに、入口で取材班を追い返そうとした警備員は、来客者への対応がなってないと大ボスから怒られた。あれは演出ですからとかばったのだけれど自分の力及ばず・・・。
今回の取材を引き受ける上で気をつけたのは、「誰も傷つかないようにすること」。取材班が物理的に傷つかない(=安全第一)のはもちろんのこと、自分の言動で観ている人が不快な思いをしないように。ディレクターからは執拗に「家の中に誰か隠れているんじゃないですか」とか「ついてこいと言わないんですか」とか聞かれたけれど、例えば「あの時ついてこいと言えなかった」なんてカメラの前で言えるはずもなく。鉢巻きはしたけれど。
100人中99人の確率でコメントくれた素麺のシーンは金曜日の夜中12時頃の撮影。1週間の通常業務+取材と疲れに疲れて、早く帰って欲しいという一念でOK出るまで頑張った。立ち食いしたのはダイニングに移動するとまた照明設定から何やらで時間がかかるので、と皆さんに説明しているが誰にも信じてもらえず。食事環境がよくないと本気で心配してもらって逆に恐縮する。そう考えると、テレビの影響力はとても大きい。新年の挨拶に伺った時に昔の指導教官からは、本当にあんな生活をしていたら、そんなに肥えるはずがないと的確なコメントを頂いた。番組中にMRI(Magnetic Resonance Imaging:核磁気共鳴画像法)で撮った腫瘍の画像が出てくるんやけれど、「やらせではないかと思って拡大してみたら、君の名前が書いてあったよー」と別の恩師からもお言葉を。いろんな視点がある。
自分の思い出したくない過去を振り返るというのは本当に辛かった。実はカットされたけれど『スタッフが亡くなった場所を再訪する』というシーンの撮影があって、これが最も精神的にこたえた。詳しくはこちらを読んでもらったらよいのだけれど、ハイチで仕事をしてきて一番辛かった出来事。取材班は「それでもハイチに残り続ける自分」を強調したかったらしいのだけれど、訪問場所での私のリアクションがうすく(本当にどう振舞ってよいかわからなくなった)、放送された番組には入っていない。
取材班が帰国された後も、彼らとメールや電話でやり取りをして、できるだけ正確な情報を伝えることに努めた。それでも昨年10月に祖母が亡くなってからは、そんなことをしている気持ちの余裕がなくなった。残念なのは、ハイチの危険性が必要以上に大げさに描かれていたこと。素敵なところもハイチにはあるんやけれど、それを含めるとストーリー性に欠けるのだろう。
現場での取材期間(2013年7月の8日間)は、ハイチのいろんな現場に行って、いろんな話をしたので、どうまとめるのか、他人事ながら気になっていた。客観的に見たら、自分ではないみたい。現場で約45時間回ったカメラの映像から、ストーリーに合うようにコマが厳選されて、必要のないものは大胆に省かれていく、プロの技を見た。その昔、論文を書いていた時の指導教官の教えに通じるものがあった。
実は、ハイチのシェルター(仮設住宅)事業は昨年7月で完了し、復興住宅や周辺インフラを主に建設しているのだが、そんなシーンは一切映らず、シェルターに限られた。うちのスタッフや同僚の少なくとも50名はカメラの前で喋ったのに、使われているのはリアクションのよかった数名のみ。さらに大ボスとの対談ということで30分ほど時間を割いてもらったのに、「面接みたいな雰囲気だった」と全く使われず。それでも映像を見た彼は、うち組織の良い宣伝になったと喜んでた(懐が深い!)。ちなみに、入口で取材班を追い返そうとした警備員は、来客者への対応がなってないと大ボスから怒られた。あれは演出ですからとかばったのだけれど自分の力及ばず・・・。
今回の取材を引き受ける上で気をつけたのは、「誰も傷つかないようにすること」。取材班が物理的に傷つかない(=安全第一)のはもちろんのこと、自分の言動で観ている人が不快な思いをしないように。ディレクターからは執拗に「家の中に誰か隠れているんじゃないですか」とか「ついてこいと言わないんですか」とか聞かれたけれど、例えば「あの時ついてこいと言えなかった」なんてカメラの前で言えるはずもなく。鉢巻きはしたけれど。
100人中99人の確率でコメントくれた素麺のシーンは金曜日の夜中12時頃の撮影。1週間の通常業務+取材と疲れに疲れて、早く帰って欲しいという一念でOK出るまで頑張った。立ち食いしたのはダイニングに移動するとまた照明設定から何やらで時間がかかるので、と皆さんに説明しているが誰にも信じてもらえず。食事環境がよくないと本気で心配してもらって逆に恐縮する。そう考えると、テレビの影響力はとても大きい。新年の挨拶に伺った時に昔の指導教官からは、本当にあんな生活をしていたら、そんなに肥えるはずがないと的確なコメントを頂いた。番組中にMRI(Magnetic Resonance Imaging:核磁気共鳴画像法)で撮った腫瘍の画像が出てくるんやけれど、「やらせではないかと思って拡大してみたら、君の名前が書いてあったよー」と別の恩師からもお言葉を。いろんな視点がある。
自分の思い出したくない過去を振り返るというのは本当に辛かった。実はカットされたけれど『スタッフが亡くなった場所を再訪する』というシーンの撮影があって、これが最も精神的にこたえた。詳しくはこちらを読んでもらったらよいのだけれど、ハイチで仕事をしてきて一番辛かった出来事。取材班は「それでもハイチに残り続ける自分」を強調したかったらしいのだけれど、訪問場所での私のリアクションがうすく(本当にどう振舞ってよいかわからなくなった)、放送された番組には入っていない。
取材班が帰国された後も、彼らとメールや電話でやり取りをして、できるだけ正確な情報を伝えることに努めた。それでも昨年10月に祖母が亡くなってからは、そんなことをしている気持ちの余裕がなくなった。残念なのは、ハイチの危険性が必要以上に大げさに描かれていたこと。素敵なところもハイチにはあるんやけれど、それを含めるとストーリー性に欠けるのだろう。