goo blog サービス終了のお知らせ 

in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

情報収集とネットワーキング

2014年02月12日 | Haiti
午後から大ボスの代わりに他機関が催した現場見学会に参加。来賓を前に、説明する担当者を観察して、小さいことでも如何に大きく表現するか、継続支援を得るために現場の難しさをあえて伏せたりするところを学ぶ。援助関係者同士、もちろん協力するところはするのだけれど、成果をあげて新たな支援資金(ファンド)を得るためには、お互いがライバルとなる時もある。

その現場の横で、洗濯物をとてもきれいに干してあった(写真)。

夕方は、銀行と海外の建設系組織が組んだ仕組み:技術指導を受けながら、建てる住宅にかかる費用をローンで段階ごとに提供してもらうというもの、の説明会に参加。その背景には、海外支援団体・国々に提供される資金よって、建設できる復興住宅数が足りないという現状があるように思う。いずれにしても、こうしたローンを組めるだけの定期的収入のある人々がどれくらい居るのか(銀行側は7%と言っていた)。同業者がたくさん来ていて、会の合間に主催者から提供された飲み物を片手に、お互いの近況報告もする。

男の料理?

2014年02月08日 | Haiti
冷蔵庫の調子が悪い、というか電気の供給が不安定なので、冷蔵庫の中の物がヤバくなってきた。腐さる前に使ってしまおうと、炒められるものを全て使って焼き飯をつくる。が、分量を考えずつくったので、相当な量になった(写真:フライパンの大きさは直径40センチくらい)。これでしばらく焼き飯三昧。

竣工式(3) [一部修正]

2014年02月06日 | Haiti
昨年後半から建設している復興住宅が、ぼちぼち完成している。ここらでメディアに載せようと、うちの広報と組んで竣工式の様子をテレビ、ラジオや新聞で紹介してもらおうということにした(写真は演壇に並べられたマイク)。市長や総理府の震災復興部署関係者に来賓として出席して頂いた。

段取りに手間取り、30分遅れで開始する。スタッフの司会担当者や大ボスが挨拶し式典が進行する中で、秘書経由でまだ未到着の来賓者を確認する。『今、向かっているところです』との返事で、来賓の挨拶の順番を変更しようと指示したところに来賓が無事到着。あたふた裏方でやっているあいだに竣工した住宅の玄関でのテープカットも無事に終え、これでprotocole(外交儀礼と訳せる?)を果たせて一安心。

最後に、住宅の鍵を受け取った被災者が、感謝の言葉に詰まり泣き出す姿を見て、ついこちらももらい泣きしてしまった。ほんまにいろんな大変なことがあったけど、乗り越えてきて良かったなと思った瞬間だった。スタッフにも感謝。

準備が遅いと昨日から機嫌が悪かった大ボスも式典後はご満悦だった。

取材同行

2014年02月04日 | Haiti
近頃は珍しく、海外からの報道関係者が、それも遠くは韓国から来られた。震災復興の状況を取材されるとのことで、避難キャンプ(写真)から完成した住宅まで、うちの担当者が対応した。

住宅の撮影では、自分が直接対応したのだが、あくまでディレクターに説明するだけで、撮影自体は被災者と家、その近隣をうつすに留まり、30分ほどで終わった。これまでのくせで『え、自分はカメラに写らないんですか』と思わず聞きそうになった。

うちのスタッフら(主にハイチ人)が、日本と韓国(そして中国も)は母国語が共通だと思っているらしく、『なんで英語で意思疎通しているの?』と不思議がる。確かにカリブ海の人々からしたら、一緒に見えるのは理解できる。

日常の一コマ

2014年01月28日 | Haiti
撮影班に同行して、完成してしばらくたつ住宅を訪れた。住棟間の日陰で、住民達がくつろいでいる(写真)。ぼろきれで作ったボールを蹴ったり、子供の髪を櫛でといたり、世間話をしていたり。そんな安心してくつろげる環境を提供できたことを嬉しく、そして誇りに思う。

カーニバルはじまる

2014年01月19日 | Haiti
震災のメモリアル行事が終わると、毎週日曜にカーニバルが始まる。今年の千秋楽(と言っていい?)は3月2-4日にGonaiveで行われる。それまでの毎週日曜日は午後から、市内の広場に集まって夜中までドンチャン騒ぎ(写真)。生放送しているテレビを観たり、行った人々らの話をきいていると今年は例年に増して賑やかになっているように感じる。

その消費されるエネルギーには敬服さえ覚えるが、翌日の仕事はどうなるのか(実際は仕事がない人の方が多いのだけれど)、その労力が別の方向に行かないものか、と考えられずにはいられない。国民が普段抱えている鬱憤をカーニバルで発散させようとする国策のように思える。

震災19年

2014年01月17日 | Haiti
神戸の震災から19年。先日のハイチの周年と重なるのだけれど、遠い存在となっていく。読み返してみると、昨年も同じようなことを書いていた。

昨年7月に、ドキュメンタリーと思っていたが実はバラエティ番組だったテレビ局の取材を受けて、当時の震災の記憶を否応なく思い出さされた。しかし、その後、タクロバンの被害や中央アフリカの虐殺、南スーダンの混乱など、相次ぐ災害で人々が家を失う状況を追っていると、それらの残像がどうしても鮮明になってしまう。もし日本に居てたら、また違う所感をもったことだろう。

震災4周年

2014年01月12日 | Haiti
ハイチの地震から丸4年。今年は日曜日にあたり、多くの教会では特別な礼拝が行われたようだ。地震後の避難キャンプにまだ14万6千人(2013年12月データ)が暮らしている。

復興の遅れについては、メディアはもっと語ってもいいように思うのだが、どちらかというとメモリアル的な行事について触れていることが多いように思った。新聞を読むハイチ人の層と復興関係者の層が似ている(要は上流階級層)ので、そういうこと(敢えて触れない)になるのかなと勝手に考えてみる。

『郊外に建てられた復興住宅が空いている』といった記事は、建てる前から分かってたやろと思うのだけれど、期限以内で予算を消化しないといけない、かつ、他に土地がないのであれば、無理やり続行した背景を理解できないでもない。そして、事業責任者は既に異動になっていたりする。