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in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

プロモーション・ビデオ

2014年01月03日 | Haiti
年が明けて、例のテレビ番組をようやく見ることができた。15分ほどの1つのコーナーに出ると思っていたら、丸々自分のことだった。突っ込みどころ満載やけど、よくまとまっているなあというのが正直な感想。旧友に「プロモーション・ビデオやん!」と言われた意味がよくわかった。

現場での取材期間(2013年7月の8日間)は、ハイチのいろんな現場に行って、いろんな話をしたので、どうまとめるのか、他人事ながら気になっていた。客観的に見たら、自分ではないみたい。現場で約45時間回ったカメラの映像から、ストーリーに合うようにコマが厳選されて、必要のないものは大胆に省かれていく、プロの技を見た。その昔、論文を書いていた時の指導教官の教えに通じるものがあった。

実は、ハイチのシェルター(仮設住宅)事業は昨年7月で完了し、復興住宅や周辺インフラを主に建設しているのだが、そんなシーンは一切映らず、シェルターに限られた。うちのスタッフや同僚の少なくとも50名はカメラの前で喋ったのに、使われているのはリアクションのよかった数名のみ。さらに大ボスとの対談ということで30分ほど時間を割いてもらったのに、「面接みたいな雰囲気だった」と全く使われず。それでも映像を見た彼は、うち組織の良い宣伝になったと喜んでた(懐が深い!)。ちなみに、入口で取材班を追い返そうとした警備員は、来客者への対応がなってないと大ボスから怒られた。あれは演出ですからとかばったのだけれど自分の力及ばず・・・。

今回の取材を引き受ける上で気をつけたのは、「誰も傷つかないようにすること」。取材班が物理的に傷つかない(=安全第一)のはもちろんのこと、自分の言動で観ている人が不快な思いをしないように。ディレクターからは執拗に「家の中に誰か隠れているんじゃないですか」とか「ついてこいと言わないんですか」とか聞かれたけれど、例えば「あの時ついてこいと言えなかった」なんてカメラの前で言えるはずもなく。鉢巻きはしたけれど。

100人中99人の確率でコメントくれた素麺のシーンは金曜日の夜中12時頃の撮影。1週間の通常業務+取材と疲れに疲れて、早く帰って欲しいという一念でOK出るまで頑張った。立ち食いしたのはダイニングに移動するとまた照明設定から何やらで時間がかかるので、と皆さんに説明しているが誰にも信じてもらえず。食事環境がよくないと本気で心配してもらって逆に恐縮する。そう考えると、テレビの影響力はとても大きい。新年の挨拶に伺った時に昔の指導教官からは、本当にあんな生活をしていたら、そんなに肥えるはずがないと的確なコメントを頂いた。番組中にMRI(Magnetic Resonance Imaging:核磁気共鳴画像法)で撮った腫瘍の画像が出てくるんやけれど、「やらせではないかと思って拡大してみたら、君の名前が書いてあったよー」と別の恩師からもお言葉を。いろんな視点がある。

自分の思い出したくない過去を振り返るというのは本当に辛かった。実はカットされたけれど『スタッフが亡くなった場所を再訪する』というシーンの撮影があって、これが最も精神的にこたえた。詳しくはこちらを読んでもらったらよいのだけれど、ハイチで仕事をしてきて一番辛かった出来事。取材班は「それでもハイチに残り続ける自分」を強調したかったらしいのだけれど、訪問場所での私のリアクションがうすく(本当にどう振舞ってよいかわからなくなった)、放送された番組には入っていない。

取材班が帰国された後も、彼らとメールや電話でやり取りをして、できるだけ正確な情報を伝えることに努めた。それでも昨年10月に祖母が亡くなってからは、そんなことをしている気持ちの余裕がなくなった。残念なのは、ハイチの危険性が必要以上に大げさに描かれていたこと。素敵なところもハイチにはあるんやけれど、それを含めるとストーリー性に欠けるのだろう。

選考通知

2013年12月27日 | Haiti
最終選考まで残り、暮れも迫った中でプレゼンした事業プロポーザルの結果通知が着た。

『落選』だった。

できることは全てやった。自分ら以外に結果を出せる他組織はいないと自負できるのだけれど、何か別の力が働いたのだろう。

新しいファンドが来ないと、来年半ばからスタッフを減らさなければならない。気が重い。

プレゼンテーション

2013年12月14日 | Haiti
月曜のプロポーザル提出を経て、今日は土曜朝8時(!)から2時間半のプレゼンテーション。プロポーザル提出に全力を使い果たして、プロポーザルの準備が追いつかず、前日ぎりぎりまで同僚宅で準備をした。

当日は、大ボスGのIntroductionで始まり、各セクションを担当者が説明する。施主側からの質問も相次いで、気がつけば2時間半の持ち時間は使い果たし、最後の質疑応答用の時間がなくなる。それで予算関連で控えていたFさんの出番なく終了。もうちょっとうまくプレゼンできたかなと思う一方で、できることはやり尽くした感があり、とりあえずほっとする。

場所を変えて、昼ごはんを同僚と一緒に食べ、お互いの労をねぎらった。

テレビ

2013年12月11日 | Haiti
例のテレビ番組が放送されている頃は、正午提出のプロポーザルを必死になって印刷してた。担当者の履歴書とか予算のページとかも合わすと200ページ(x5部)を超えて、こんなときに限って印刷機のトナーが切れた。まるで学生時代のコンペ(設計競技)提出前のようで、何十年たっても学んでない自分がいた。12時必着のところ、その1時間ほど前に事務所を出た車が、締め切りの15分前に届いてセーフ。

テレビに反響が多くて驚いてます。頂いたメールは仕事が一段落したら返事します。

忘年パーティ

2013年12月06日 | Haiti
仕事の後に、職場の忘年会が開催された。今年は宗教上の都合で参加できなくなる人が出ないようにクリスマス会とは言わずに、年末パーティとなっていた。

200名ほどのスタッフが参加して盛大に行われた。今年もかくし芸をするように言われたので、軽く返事をしていたら、こんな忙しい時期にあたってしまった。全く練習していない上に、プロポ-ザルの準備であまり寝ておらず、昼間は現場に出てたので、今回は舞台上で倒れるかと思った。

ハイチの曲"Ayiti se..."をすると、自国の人にとてもウケがよかった。

竣工式(2)

2013年11月28日 | Haiti
今日も完成した住宅3棟の竣工・引渡し式があった。

うちのスタッフも式典に慣れてきたので、広報スタッフにも参加してもらって、写真や映像の記録も行う。

同じプラン(敷地の形により階段の位置とかが多少変わるが)なので、僕らからしたら同じ住宅なのだが、被災家族にとってはそれぞれが特別の家。当たり前のこと何やけど、家族それぞれの表情や反応を観て、そのことに改めて気がつく。

クリスマス前にできるだけ多くの人に新しい家に入居してもらいたい。もう一頑張り。

救世主(?)現る

2013年11月26日 | Haiti
例の住環境改善事業に関するプロポーザルの進捗状況が思わしくなく、上司に相談したところ、Grant Writer(日本語で言うところの、助成金(の申請書)ライター)を臨時契約で雇ってくれた。

この人(ちなみに米国籍)が、自分やスタッフが持っているアイデアや文章、資料、経験を効果的にまとめて、助成金のフォーマット用に流し込んで行く作業をしてくれる。以前大きな組織で同様の仕事をしてきただけあって、仕事は速いし、頭は切れるし、語彙や表現力は豊富やし、プレッシャーのかかったスタッフへの動機付けや嫌味のない立ち振る舞いには目を見張るものがある。

こんなに出来る人と仕事をするのは久しぶりで、とても学ぶことが多い。これから約10日間、よろしくおねがいします。

デモのニュース

2013年11月23日 | Haiti
11月18日のヴェルティエール戦記念日では、ポルトープランス市内や近辺で大規模なデモ(抗議活動)が行われ、外出行動が制限されていた。それを事前に知っていたので、隣国でのんびりしたのだけれど、この週末にその殺気立ったデモの様子をテレビ・ニュースでやっていた。つい、先日の映画『ルワンダの涙』と映像が重なって、動悸が激しくなった。

少しずつ完成へ

2013年11月20日 | Haiti
100棟計画、建設しているPermanent House(恒久住宅)が、ぼちぼち出来上がってきた。

2階建て延床面積約45平米の180万円ほどで建った(土地代や職員賃金、設計料は含まず)。地震で自分の家が壊れた家族を支援しているので、土地は元から彼らのもの(もしくは彼らが長期使用権利を得ているもの)。職人らの日当が数千円ぐらいで、物価もそんなに安くないので、結構切り詰めた。

住宅の質をもっと上げたい政府側と、各戸の予算を抑えたい(できるだけ多くの家族を支援したい)資金提供団体との間で、何十回と板ばさみになったことか。口で言うのは簡単やけれど、形にするのがどんなに難しいか、身をもって経験できた。懲りずについてきてくれた部署のスタッフ達、ありがとう。