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in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

白杖を持った人々と。

2011年05月14日 | Switzerland
昼過ぎのパリの地下鉄のホームで、白杖を持った女性に声をかけられ、応えようとするのだけれど、自分の乏しいフランス語に加えて、地下鉄の路線そのものがわからない。代わりのパリ人を探そうにも、なかなかつかまらず、「ごめんなさい」して、その場を去った。

深夜2時過ぎのジュネーブの街をホテルに向かって歩いていると(プレゼンが無事に終わって飲みに出た)、白状を持った大学生くらいの男性に声をかけられた。フランス語は無理だとわかると会話が英語になって、友達とはぐれて今どこにいるかわからない、という。かなり酔っている。ほっといても、時候がよいので凍死することはないだろうと思いつつも、そいつに自分の腕を持たせて地元の人が居そうな場所を探して歩く。結局、そんな時間に開いてたのは"Cabaret"という名前の店で、その前で客引きをしていたおっちゃんに事情を説明して、呼んでもらったタクシーで帰らせた。

ハイチでも白杖をついた人を見かけるが、自分は必ず車で移動しているので(安全のため)、普段は接する機会がない。

花金

2010年05月28日 | Switzerland
日本では、花金なんてもういわないのだろうけど、TGIF、金曜日なので世界各国から(と書くと大げさだが)会議に集まった同僚らと飲みに出る(写真)。シェルター会議の内容の延長に、各自の仕事の苦労話や家族の話と、よくある懇親会の”のり”。

酔った勢いもあったのだろう、ジュネーブから特急で3時間ほどのパリや、車で4時間足らずのミラノまで翌朝帰る同僚らに、週末をそこで遊ぶという魅力的なお誘いを受けた。が、スリランカでいろいろやることがたまっているので残念ながら断った。

事務局長にプレゼン

2010年05月26日 | Switzerland
「せっかく本部に行くのだからS事務局長(つまり社長)に挨拶してこい」とM大ボスに勧められ、コロンボを出る前になんとか面会の約束を取り付けた。それが今週に入って、S社長直々に「じゃあその約束の時間に、ハイチのシェルターについて、本部スタッフの前でプレゼンしてください」との指令。ハイチ出張後にまとめた資料があったので、それをもとになんとか形にする。

発表内容自体はそんなに大した事ないのだが、緊張も手伝ってやはり英語でつまる。できるだけ視覚的に見せて、何とか終わらせることができた(写真)。本部勤務の日本人の大先輩も来場してくださり、発表後は飯(もちろん日本食!)をご馳走になりながら、いろいろご助言を頂く。何かと目にかけてくださって、本当にとても有難い。

うちのS社長(アメリカ人)、実は以前、在ハイチの米国大使を務められたこともあり、ハイチの復興支援はうちの機関の最重要事業のひとつ。なんかこのまま大きな波に乗るというよりも、のまれて行きそうな予感。

シェルター製品

2010年05月25日 | Switzerland
今回の出張の目的は、今週Genevaで行われているシェルター会議に参加すること。こうした会議は、人道支援団体(UN, NGOなど)に限られることが多いのだけれど、今回は民間団体も招待され、具体的な部材やデザインについても議論することができた。

会議場の外には、彼らの製品が並び、一つ一つみて回る(写真)。Sphere Standard等の基準があるので、似たような形になるのだけれど、各会社の得意分野や意地のようなものも垣間見え、普段カタログを見て担当者と電話で話す過程ではわからないことが今回は多く得られた。

単価は、うちのハイチ・シェルターよりも安い。しかし、輸送費を考慮すると空輸やとこれらのシェルターの方が高くなる。一方で、大量供給、工期、品質管理などを考えると、これらの方が設置しやすい。また違った視点でみると、被災のあった地元へにお金を落とす/仕事を供給するという意味では、地元の材料を使った従来工法のほうが好まれる。

これらの条件に、各災害の被災国や支援国の政治的なものが絡んできて、シェルターの形や供給方法が決まる。

本部出張

2010年05月24日 | Switzerland
本部のあるジュネーブにやってきた。午後3時にホテルに到着後、レマン湖周辺をぶらぶらしてみる(写真)。今日は祝日らしく、観光客も地元民ものんびりしていて、こちらもゆったりした気分になる。これまでの自分の仕事を振り返りつつ、これからのことを考える。

前回着たときには大雪の週で、観光どころではなかったが、今回は初夏の清々しい最高の季節。ワインとチーズが旨い。

GenevaとGenova

2007年01月26日 | Switzerland
この業界に入るまでは、ジュネーブをGenevaと書くとは知らなくて、イタリアのジェノバ(Genova)と確かに混同していた。ここに来て、そんな懐かしい間違いを思い出す。

火曜日からの研修は本日午前中に終わり、本来なら半日観光にでも出かけたいところだが、本社にて新規プロジェクトの打ち合わせ、お礼参り等々。すごいなーと思ったのは、いかに大変な仕事をかわすかという、その技の巧みさを目撃したこと。スリランカの地方事務所から出てきた田舎者が太刀打ちできるレベルではない。

滞在しているホテルから、スリランカのスタッフとメールで仕事のやり取りを毎晩するついでに、同僚のM嬢に「本部は大変なところやでー」とメールすると、翌日「C大ボスが、あいつには外の世界を見せとかなあかん」と言ってたよと彼女からの返事。そういうことですか。。。

話を戻して、新規プロジェクトのこと。結局、なんやかんやと押し付けられて、気がつくと本社の担当者らは消えるように帰ってしまって、ひとり残業。それでも窓の外の夕焼け空(写真)を見ることができたので、まっいいかと思う。遅くに、ホテルに戻ってスーツを着替え、他の研修生らとBarで合流する。自分の仕事も忙しいと思っていたが、結構恵まれていることを知る。

銀世界

2007年01月24日 | Switzerland
昨夜からの雪が積もり、Genevaは辺り一面真っ白になった。

4日間の研修は今日が2日目。昨年、うちの機関が、自然災害後の避難所の運営について、国際機関の代表として各国においてリードすることが決まった。それに備えて、これまでの災害復興における活動について、議論しておくのが今回の研修の趣旨である。それに加えて、他の業務の打合わせやもうすぐ始まる恒久住宅地建設の順備などで、研修会場(写真)と本部を行ったり来たり。

宿が同じアフリカから来た職員らと一緒に飯を食いながら話をしていると、違った世界観に自分の価値観が揺さぶられる。