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in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

Corail Murder(4) Psychosocial Group Session

2010年10月08日 | Haiti
うちの事務所にはPsychosocial Unitがあり、被災者の避難所を毎日回っている。今回の事故を受けて、Shelter Unit関係者(約25名)もグループ・カウンセリングを受けた方がよいとの助言を受け、半日をその活動にあてる。

すぐに討論や悩み相談みたいになるのかと予想していたら、心理学者スタッフの簡単な説明の後、体をほぐすためにストレッチと深呼吸をする。驚いたことに、自分の体がものすごい硬くなっていたこと、浅くしか息をしていなかったことに気がつく。

各10名ほどの 小グループに分かれて、今回の事件についてどう思うか、体調の変化は、などの意見や情報を共有をする。セッションの担当者らが、「悩みを共有することで、重い気持ちは和らいできます」と言うので、つい「そんな教科書的な言葉は慰めにならない」と声を荒げると、「ここでは、どんな発言や言動を取っても、あなたは守られています。思うことがあれば、もっと出してください」と、相手の方が上手だった。言って、ちょっとスッキリした。

その後、亡くなったDに関する絵を各自が描くことになった。参加者の一人として自分も描くことになったが、考えれば考えるほど苦しすぎて何一つ描けない。結局、暖色系の色を全部使って与えられた白紙を塗りつぶした。心理学者に説明を求められて、その場しのぎに夕焼けと応えた。

回りを見渡すと、Dの似顔絵を書く者、工事現場の様子を描く者、想像したした天国を描く者と人それぞれだった。DのCorail現場の同僚ら4名は、やはり辛そうで、紙に向えない者にはPsychosocialスタッフが個別に話をしていた。

各自で描いた後は、各グループで絵をかいた。その成果を各グループ代表が発表し、ときどきツッコミや笑いが入る和らいだ時間が過ぎた。最後にまとめがあって、無事終了した(写真)。うちのスタッフら(自分も含め)は、辛いことがあってもいつかは乗り越えていかなければならないこと、周囲には支えてくれる仲間がいることを認識できたとのではないかと思う。

Corail Murder(3) 現場再起動

2010年10月07日 | Haiti
事務所で悶々としているよりも現場に戻りたい、というスタッフらに後押しされて、Corailの工事現場の監理を再開する。上と相談の結果、しばらくは外国人職員が付き添うことにする。

650戸の仮設住宅をつくるために、業者が雇った労働者は200名近く。その他に資材納入業者が出入りし、トイレや水回りを担当するNGOとその業者など、現場には多くの人々が働いており、彼らを目当てに簡素な店も発生している。

今日自分が付き添った。現場に戻ったうちのスタッフを見ていると、こうした現場の顔見知りと挨拶や冗談を言い合ったり、いい争いをしたりと、事件以前の生活を取り戻すことが、悲しみを一時期でも忘れることのできる方法なのだなあと気がついた。

道中で買った昼食(写真)は、約2米ドル。味は炊き込みご飯とピラフの中間のようで、なかなかいける。この値段でも生活のために昼食を抜くスタッフがいる。近所の子供たちが食べ残しをもらいに来て、一緒に食事をしていたスタッフの真似をして、3分の1ほどをあげた。

通勤路

2010年10月05日 | Haiti
いつもの通勤路。それにしても乗り過ぎだと思う(写真)。

転げた人を轢いてしまわないか、びくびくする。

Corail Murder(2) 届かぬ言葉

2010年10月04日 | Haiti
週が明けた月曜日、他機関や、事務所内の他部署の面々に詳細を問われ、何十回と説明する。警察の調査が終わるまではっきりしたこといえないが、うちの機関が狙われたわけではないこと、事件はCorailの工事現場から数キロはなれた所で起こったこと(工事関係者や工事自体には支障がなかったこと)、亡くなったDは銀行で出金後に現場に戻る途中で襲われたこと、などを伝える。

一方で、Corailの現場で働いていたスタッフ4名は事務所で待機させる。こちらが見ているのも辛いぐらいふさぎ込んでいて、どう話しかけて良いかわからない。こんな時に英語で話しかけても何も彼らに届かない。

午後から、MINUSTHAの心理カウンセラーJ氏に出向いてもらい、カウンセリングを通して今回の事件に対して、彼らの思いや話を聞く。セッションはフランス語で行われ、息咳切ってとりとめもなく話す者や、二言三言話しては流れ出てくる涙を抑える者、始終黙っている者、詳細は(後にカウンセラーに英訳してもらうまで)わからなかったが、その場に居るだけでとても辛かった。カウンセラーJ氏には上司の自分が同席するだけでも、彼らのためになると言われた。不眠や低食欲といった体調の変化、D遺族への懸念が彼らから挙げられた。

J氏には「Dを面接で採用した自分にも負い目を感じる」と個人的に漏らすと、「失業率が高いハイチで、仕事の機会を与えたことはDとその家族のためになった。今は、Dの遺族に何ができるかを探ったほうがよい」と即答された。

Corail Murder(1) 給料日の悲報

2010年10月02日 | Haiti
第一報を受けたのは10月1日(金)の夜9時過ぎ。友人らと外食した帰りに「ハイチ人技術職員のDかもしれない人物が殺されたらしい」と同僚から電話がかかってくる。情報が少ないので、あちこちに電話する。普段しっかりしているはずの同僚らも動揺して会話にならない。自分なりにまとめると、

・昼休みに銀行に向ったDが夕方になっても戻ってこなかった。
・本人に電話しても繋がらないので、日が暮れる前に事務所に戻り、現場職員が警察に届けを出した。
・警察によるとDらしき人物が、総合病院に運ばれたが、既に死亡していた。

すぐに病院に向おうとすると、友人の一人(カナダ人警察官)が「今、外国人のフランス語もろくに喋られないお前が行っても仕方がない。夜中の移動は危険なだけだ」との(その時はむかついたが、振り返ればとても冷静な)意見に従った。

その警察官の友人が、当直の同僚に尋ねたところ、そんな事件の報告は受けていないという。一方で、銀行帰りに金目的で人が殺されることはよくあるとのこと。現実の厳しさを痛感する。

翌日、同僚らが事務所に集合し、情報を集めるとともに、警察署、事故現場らしき場所、そして最後に病院を訪れる。行方不明となったDの家族とともに、死体安置所で遺体の識別をする。とても悲しいことだが、運ばれてきた遺体はまさしくDで、両手を挙げたところを銃で撃たれたのか、そのままの姿勢で硬直していた。胸と背中と撃たれ即死に近い状態だった。

言葉を失くして帰路に着きたい気持ちと裏腹に、警察署の事故証明、病院からの死亡診断書、スタッフからの現場情報といった必要書類を人事担当者らとまとめる作業に、気を振り絞った。

仮設住居引渡し

2010年09月25日 | Haiti
昨日のPort au Prince周辺の風雨で、多くの被災地キャンプがかなりの被害にあう。死者も出た。うちの事務所でも、昼食をとるために設置されていたテントが、杭をしっかりうっていなかったので吹っ飛んでいた(けが人なし)。

翌週に仮設住居の引渡しが予定されていたCorail地区でもテントが被害を受け、新しくテントを配るのではなく、仮設住居引渡し日を前倒しした。まだ全住居が竣工していないので、まず竣工検査の終わった111戸のみ。体の不自由な人や老人、妊婦の居る世帯を優先的に移ってもらう。写真のご老婦はよそ行きの服に白い帽子で娘家族と入居された。そんなに広くはない室内(18m2)をくまなく見渡しておられる。

↓職場の広報官が受け渡しの模様を撮った写真のスライドショー

After the storm, shelter for the homeless

少々の混乱はあったものの、無事に引渡しすることができた。これまでの苦労が少し報われた気もするが、さらなる課題はこれから。今日ぐらいは考えないでおこう。


Please ― Do Something!

2010年09月20日 | Haiti
今朝のNY Times紙の一面に載った記事

Haitians Cry in Letters: ‘Please — Do Something!’

『お願いだから、何とかしてくれ』と訳せるだろうか。被災者キャンプを運営する同僚らによりキャンプに設置した投書箱に寄せたれた手紙には、被災者の悲痛な叫びが切実に綴られている。


誰が悪いとか、きちんと対応していないとか言うつもりはないが、例えばこんなことが身近におこった。記事の写真に写るキャンプでは、仮設住宅が完成しているのに(私のチームがかなり奮闘したのに)、トイレができていない(隣のブロックと一時的に共有すれば良いのに)、照明が間にあわない、住民への説明が行われていないからと、引渡しを2週間も延期している。全く、他チームや他機関の不甲斐なさに呆れるばかり。

予定時期を大幅に遅れているので厳しく意見すると、業者が悪い、物品調達部門の対応が遅い、担当スタッフ交代時の引継ぎがなされてなかった等と、他に理由を求めるばかり。そうしている間にも、毎日キャンプで大変な思いをしている被災者が居るというのに。まるで他人ごとのように話す奴らに、怒鳴ってやった。

途上国かつ、災害後で平常時まで戻っていない環境で、メールや注文書一本でことが運ぶわけがない。毎日、朝晩と確認し続けて、さらにあかんかったときのための別案1、2、3と用意しておかなければ、目的は達成できない。そうしなければ、最後のしわ寄せは、結局被災者のもとに来る。

ご無沙汰しております。

2010年09月15日 | Haiti
ハイチに赴任して、ほぼ3ヶ月。仕事も慣れ、夏休みも貰えて、住み家も見つかり、ぼちぼち更新していきます。

写真は、被災した病院にうちのシェルターを提供したもの。形が、モノポリの家みたいだ。

it made my day

2010年09月02日 | Haiti
あるNGOの会議室で、「仮設住居入居者の選定」と「入居者の権利」等の議題について、法律家も交えての意見交換。仮設住居を作ってるだけでいい身分でいたかったのだが、立場上こうした会議にも参加さぜるを得ない。

そうこうしていると、ハイチで見たこともない生菓子がテーブルの上に。会議中、気になって仕方なかった。



威嚇射撃

2010年08月28日 | Haiti
現場で資材の盗難は、万国共通の課題。Corailの現場では倉庫だけではなく、建築途中の仮設住宅から、トタンや木材が取られていく。特に夜に。

対応策として、建設業者が武装警備を強化して警備員を配置した(写真)。実際に人に向って撃った事はまだなく、上空に向けて何発か撃ち、泥棒集団を追い返したらしい。

うちの職員が武器を持つことはもちろん禁止されている。

悪夢再来

2010年07月12日 | Haiti
Corailの仮設住宅建設住宅予定地を訪れた途中から、雲行きが怪しくなって、雨風が強くなる。帰路を急いでいると、隣接したキャンプでは突風によりテントが飛び始め、人々が逃げ惑う(写真)。普段は暑くてたまらないのだが、今日ばかりは寒くて濡れると凍えてしまう。

使命感から写真を撮っていると、母子が助けを求めてきた。1家族を助けると皆を助けざるを得ないので、「キャンプ担当者に連絡するから」と断って車の窓を閉める(上げる)。寒くて震えている男の子の唇が紫色になっていて、何もできない自分に嫌悪感を催す。車をゆっくり走らせていると、パニックに陥った人々が自分の車の窓をバンバンたたくは、後ろの荷台に乗っかってくるは、と自らの身の危険も感じてきたので、ひとまず退散。事務所に向かう途中、担当者に電話で連絡する。

事務所に戻っても、ショックでしばらく集中できなかった。撮った写真と電話での緊急連絡は、事務所代表からも評価していただいたが、そんなことでは解決しない、自分の中の何かがとてつもなく痛んだ。この夜、スリランカの地獄絵図も思い出してしまい、寝付けなかった。

何を植えようか

2010年06月26日 | Haiti
都心部から約20キロ離れたCorail(コハイと読む)の仮設住宅建設予定地で、同僚らが測量をして敷地割りをしている(写真)。

『何を植えようか』と相談しているようにも見える。ジャガイモとかが育ちそうだ。

現場の進捗状況

2010年06月26日 | Haiti
事務所内での手続きや仕事が一段落した週末、現場を回る。設計意図がうまく機能している姿を見て、感動を覚える。苦労した甲斐があった。

敷地が狭いので、床面積12m2のデザインが採用された。

フランス語での会議

2010年06月23日 | Haiti
Port au Princeに隣したCarrefour地区でのShelter調整会議に参加。政府や役所の人が入ると会議は、当然のごとくフランス語で行われる。そして当然のごとく何が議論されているかわからない。現地スタッフに付き添ってもらって、会議の進行状況を耳元で通訳してもらう(写真)。

各援助機関が、仮設住宅地の割り当てを期待しているのだが、ゴリ押ししすぎると同席の区長や他の機関に嫌がられるし、待っていては何も得られない。また、前のめりすぎて確認しないまま誤った情報を元に、地震被災者ではない家族に仮設住宅を建ててしまっては後で大問題となる。全体を通して、お互いに腹の探り合いといった感じの会議だった。

午後2時から始まって、4時前に終わった。スリランカだとどんな会議でも3時に紅茶とお菓子がでてくるので、ついつい今日も期待してしまうが何も出てこない。そして、ここはハイチだったと再確認する。

新しい職場

2010年06月22日 | Haiti
毎朝行う会議に参加する前に、その様子を撮ってみる。

英語がわかるスタッフは数えるほどで、あとは身振り手振り絵振り。どうやってこのチームを率いていこうか。