ぎふワールドローズガーデンで、世界のパンジー・ビオラ展を見て来た後、御嵩町の中山道みたけ館に寄ってきました。中山道みたけ館では企画展「鉄道の思い出展」が開かれていました。
御嵩町は名鉄広見線の終点駅となっています。その広見線。「乗って残そう広見線」というキャッチフレーズで存続するよう運動しています。それに呼応した企画展なのだろうか。
鉄道の思い出展のチラシです。
鉄道の思い出展が開催されている中山道みたけ館です。
2階の展示室。
東濃鉄道から東美鉄道へで、東濃鉄道の新多治見から広見間を買収と有ります。
先日、ウオークの会で多治見から笠原まで歩きました。この区間は笠原町で生産された陶磁器を移送するための物でした。それに土岐の方の駄知線も東濃鉄道でした。
東濃鉄道の鉄道史が知りたくなりました。
可児市役所の周辺が広見です。
そして駅名が新広見から新可児に変わったと有ります。
駅名が変わっても鉄路の方は広見線のままとなっています。
私たちがみたけ館へ来館した時、5~6人ほど人が訪れていて解説を受けていました。
特急「ひだ」の変遷を解説していました。
横から聞いていましたので確認していませんがこの男性。
本田博志と言われるようです。
数々の切符。
厚い切符は硬券。
縦長の切符。
車掌が車内で応じてくれる乗車券は補充券と言われます。
キップに年月が表示してあり、当時の料金が判ります。
こちらは記念乗車券などが並んでいます。
時刻表です。
中段の時刻表。1952年や1954年です。
貴重な時刻表。中身を見てみたいです。
こちらは鉄道案内図です。
廃線となってしまって線路が載っているのでしょう。
その時代の路線図を知ることが出来ます。
こちらの部屋には駅弁が展示して有ります。
ますの寿司など見覚えのある駅弁も並んでいます。
本多さんの紹介。
そして岐阜県内の鉄路の移り替わりです。
明治43年から平成22年。
鉄道が敷設されそして敗戦に至る。
時代の推移を
広見線の思い出。
名鉄広見線の思い出。
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