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おろしや国 酔夢譚   図書館でDVDを借りてきて、見ました。

2017年10月02日 22時52分48秒 | 映画

今年、6月にロシアのモスクワとサントペテルブルグへ行って来ました。その旅行で名前の出て来た人物が大黒屋光太夫です。大黒屋光太夫の名は前々から知っていましたが、旅行でその名が出てきて、どのような人物だったのか、興味が沸きました。
井上 靖の原作で「おろしや国 酔夢譚」が出版されているのは知っていました。それに、映画化もされていました。映画化されたものから、DVDも制作されていました。
隣市の一宮市の中央図書館でDVDを所蔵していました。
9月23日に名古屋へ行った帰り、図書館に寄って図書カードを作成して貰い、予約をしてきました。そして月曜日に予約のDVDが戻ってきたと連絡が有り、金曜日に借りに行って来ました。
そして、今日。自宅でDVDを見ました。


DVDケースのカバーです。







「おろしや国 酔夢譚」のタイトルです。




漂流したアリューシャンから、小船を建造し、オホーツク市に渡りました。
帰国したいと申し出ても、オホーツクではラチが開きません。
それで、イルクーツクへ向かいました。シベリヤ総督の交代が有ったりして、願いは聞き入れられませんでした。
それならばとロシアの首都。サントペテルブルグへ雪原をトナカイや馬を乗り継いで、向かいました。




エカテリーナ2世の登場シーンです。
白い4頭立ての馬車に乗って現れました。

後ろの建物。
エルミタージュ美術館です。




光太夫が馬車でエカテリーナ宮殿へ入っていくシーンです。




馬車がエカテリーナ宮殿に着きました。




光太夫がエカテリーナ2世に拝謁するため、通されました部屋。
この物語のマックスの場面となっていきます。




緒方拳が演じる大黒屋光太夫。




エカテリーナ宮殿の大広間。
エカテリーナ2世が最奥に控えています。



光太夫とラックスマン。




光太夫がエカテリーナ2世の前に傅き、進み出ます。




マリナ・ヴラディが扮するエカテリーナ2世。
私は見ていませんが、マリナ・ヴラディが主演した映画で、コメディとなっていますが、「女王蜂」と言うイタリア映画がありました。
どんな映画だったのだろうか。





ロシアからの帰国を許され日本へ向かいます。
それでも、日本に着いて直ぐに上陸を許された訳では有りませんでした。
鎖国をしていた時代です。外国から戻って来たのですが、その事が犯罪者と見なされたのです。映画では長い歳月を待たされたと印象付けるためヒゲになっていました。
上陸を許されてからでも、罪人と同様の扱いを受け唐丸籠で江戸へ護送されました。




光太夫の日記。
幕府役人に差し出しました。





光太夫がロシア船で日本へ送ってこられてから、幕府の役人に差し出したものが有ります。
9年9ヶ月に亘って滞在した「ろしあでの日記」です。
この日記を基に桂川甫周がまとめ、「北槎聞略」を表したのだと思います。
映画の中で、幕府役人に差し出すシーンが有りましたが、8月に鈴鹿の光太夫記念館へ行った時、北槎聞略を知りました。それを無しにを見ていたならば、何にも気に留めず過ぎたのだとも思います。
改めて、このシーンが「おろしあ国酔夢譚」の根拠となったポイントの場面であると思いました。


ストーリー、そして感想。
伊勢の白子港を出て嵐に遭い、遭難して神昌丸が漂流しました。たどり着いたのがアリューシャン列島のアムチトカ島です。日本に帰りたいと言う気持ちがつのりました。それで、小船を建造して海を渡りオホーツク市に着きました。でも、ここでは帰国させれないとのことで、それならばとイルクーツク市に向かいました。ここでも願いが聞き入れられませんでした。ここで地球儀を目にしました。江戸と京の距離を元に、イルクーツクからサンクトペテルブルグまでの距離が、その何倍もの長さである事を感じ取りました。
最後の手段で、首都で有るサントペテルブルグへ雪原を横断して向かいました。
エカテリーナ宮殿の大広間で光太夫がエカテリーナ2世の前に進み出て、帰国を嘆願します。この映画の最高潮の場面です。エカテリーナ2世が日本の唄を唄ってみよと言われ、光太夫は義太夫を唱えました。
帰国を許されロシアの船で日本へ送られました。根室に来ても直ぐ上陸は許されませんでした。ここまで一緒してきた小市(川谷拓三)亡くなってしまいました。
この前にも多くの人が亡くなりました。白子を出たときは17人でした。最終的に江戸へ着けたのは光太夫と磯吉だけになりました。
漂着してオホーツクに向かう過程、そしてイルクーツクに向かう過程。次々と仲間が亡くなっていきました。イルクーツクに滞在していて庄蔵(西田敏行)と新蔵(沖田浩之)は現地の女性と一緒に残る決心をしました。
約10年に及ぶ長期間の出来事です。凍傷から庄蔵が右足を切断するシーン。次々と亡くなっていく仲間たち。
光太夫とラックスマンの友情。色々の場面を描いていました。
原作者。井上靖が、このようにストリー立てて描けたのは、蘭学者・桂川甫周の編さんした「北槎聞略」が有ったからです。光太夫が帰国を許され上陸する際に自筆の日記を差し出すシーンがありました。井上靖が北槎聞略を読み、ストリーを組み立てたのだと思います。
映画の最終場面では、将軍の目にかかるのを許されて対面したと、文字で表示していました。この映画。1992年の制作となっています。今日のようにCGの発達していない時代の物です。難破した神昌丸やロシアの帆船。実物の船を使ったと思います。凄いと思いました。


映画の中でエカテリーナ宮殿の外観。それに大広間が出てきました。旅して実物を見てきて、映画でその場所が出てくる。あの時の印象を呼び戻す事が出来ました。



8月6日に鈴鹿市の大黒屋光太夫記念館へ行って来ました。
http://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/21d702198df0d41a1ea8edc4cb321e58三重県総合博物館で「みんなの のりもの 大集合」を見たついでに寄ってきたのです。
ロシア旅行に行ってきて、大黒屋光太夫に興味を持ちました。それで、記念館に行ってきました。そして図書館から「おろしや国酔夢譚」のDVDを借りてきました。
旅を単に終わらせるのでなく、関連付けて考察できました。
その事が面白かったです。
隣の県の一宮市。そこの図書館からDVDを借りました。他市の市民にも貸出して貰えました。有り難いと思いました。

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