運動不足解消でウオーキング。
行って見たいと思っていた場所が岐阜市の琴塚です。
琴塚へは小学校の遠足で行きました。
何年生の時の遠足だったか分かりませんが、ここへ来るのは約60年ぶりとなります。
(12:37)
歩き始めです。
那加太平町を歩きます。
草の伸びた空き地。
赤いポピーが咲いています。
このポピー。繁殖力が強いです。
那加幸町を歩きます。
民家のハナミズキ。
今、満開の時期を迎えています。
真っ直ぐでない、昔ながらの道。
民家の庭に咲いていたオダマキ。
(12:52)
那加手力町へ来ました。
階段を登って行くと馬頭観音が有ります。
ちなみに、この小山。
石山と呼ばれています。
山後町の八幡神社です。
こちらのハナミズキも満開となっています。
先の境川に小さな橋が架かっています。
歩行者と自転車しか通れません。
見まもり隊の旗が立っています。
ここは通学路なのでしょう。
(12:58)
先に見える山は洞山で、その向こうに金華山。
岐阜城が見えます。
西市場町へ入ってきました。
ダイコンの花が密集しています。
ほったらかしになっています。
白い花はアブラナ科の花の形をしています。
3つの顔を持つ石造。
(13:06)
西市場を通過して県道205号線。
おがせ街道と呼ばれている道です。
高架となっていますが、東海北陸自動車道です。
県道沿いに流れる各務用水。
各務用水が土山町に入ってきました。
岩地川の上を流れる各務用水です。
2つの水門が並んでいます。
(13:17)
橋の上から岩地川の上流を眺めました。
2つの水門が有った所です。
西へ向かって行く流れと南へ向かう流れに分流しています。
(13:22)
琴塚の正面へ来ました。
琴塚の説明です。
大きな前方後円墳だと解説しています。
これは西側です。
時計回りに琴塚の外周を歩いてみます。
柵の向こうが後円部の墳丘です。
琴塚を一周してきました。
母と子がバトミントンをやっていましたが、シャトルが木の枝に引っかかってしまいました。ラケットを枝に向かって投げていましたが、シャトルは落ちてきません。
私が、木の幹をドンとやったら落ちてきました。
(13:46)
琴塚から西へ歩き、南に向かって歩きだしました。
右側は長森東小学校。
流れているのは各務用水です。
川幅は広いですが、水深は浅かったです。
南へ流れ小学校の東南の角を西に向かっていました。
地図で確認するとこの流れは2方向に分流した所から西に流れて行く流れでした。
民家の敷地に咲いていたスズラン。
こちらは空き地に咲いていた黄色い花です。
県道152号線を歩きます。
先に見えるのが水海道3丁目のバス停です。
県道から南に向かって歩きます。
こちらも各務用水です。
この流れは2方向に分流した場所から南へ流れて行く流れでした。
もう1つの各務用水です。
境川と並行して流れて来ています。
幼木のハナミズキが並んでいます。
各務用水の続きです。
向こうが高山線。
下を通過して南西に行きます。
(14:18)
こちらは名鉄高田橋駅。
列車が入ってきました。
高田橋を渡り中山道を東へ向かっています。
(14:26)
岐阜行きの上り普通列車です。
列車の後ろは東海北陸自動車道の高架です。
新加納へ来ました。
この先が間の宿で、中山道間の宿新加納の石柱が立っています。
この先、なだらかな坂道ですが、各務原台地の西の端です。
道路の隅に在った道祖神。
民家の庭に咲いていた「すおう」
(14:42)
日吉町へ来ました。
広場となっていて子供たちが遊んでいました。
土塀に掛かっていた中山道 間の宿新加納。
カエルの石像が有ります。
そして、石が並んでいますが、かつては池が有った場所です。
ここに瓢箪池が有りました。
この池にまつわるカエル伝説です。池に大きなカエルが居て村人に悪さをしたそうな。村人は腹が減って悪さをするのだろうと思い、ご馳走を投げ入れた。すると悪戯をしなくなり、日照りに雨を降らせてくれるようになった。それで村人に感謝されるようになったとさ。
私が子供の頃、ここに池が有りました。何時頃、埋めてしまったのでしょうか。
池の横に祠が有ります。
(14:53)
ウチの近くまで戻ってきました。
あの列車。那加駅に着く下りの普通列車です。
歩いている途中、見かけた列車で岐阜駅で折り返してきました。
スタートの時を撮って無かったです。
2時間半ほどのウオーキングでした。
感想
歩き始めは琴塚に向かってでした。
そして、途中に見かけた各務用水。結果的には3方向へ流れる各務用水の姿を目にしました。最初に見たのは西へ流れていく幹線。いわゆる幹の部分。そして、枝の部分を見ることが出来ました。各務用水が潤す地域を見た感じがしました。
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