Kオジサンの気の向くまま

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さわやか初夏のウオーキング

2017年05月16日 23時28分22秒 | 各種講座

各務原市教育委員会西ライフデザインセンターの講座で「さわやか初夏のウオーキング」と言うのが有りました。単発講座で1回限りのモノです。講師はNPO法人 ふれあいの森自然学校と言う団体でした。
さわやか初夏のウオーキングと名付けられていますが、その名のとおり、歩きながらの自然観察会でした。会場が、かさだ公園となっていました。講師はなかさんと言う人でしたでしたが、ラジオに出ていた事の有る人でした。会場に来て、初めて知ったのです。
自然観察会でしたが、古い渡し場跡への道が残っている事も知りました。私的には思わぬ発見でした。





さわやか初夏のウオーキングのパンフです。
さわやかウオーキングと言うと、JR東海が主催するイベントです。商標登録しているかも知れません。初夏のと言う言葉が入っていますので、大丈夫でしょう。
初夏の自然観察ウオーキングなどが良いのかも知れません。



開始前です。
幟旗を立てて、参加者の来場を待ちます。




NPO法人 ふれあいの森自然学校。
森の案内人、中山さん。なかさんです。
なかさんと言う名を聞いて、アレッと思いました。なかさんはラジオに出ていた人なのです。ラジオの番組の中で、パーソナリティーから自然に関する電話インタビューを受けていました。放送を聴いていて各務原の人だという認識は持っていました。
こうして、ご本人にお会いできました。
あの時、(何回か、耳にした事が有ります)ラジオに出演していた人で、アレアレと言う感じです。ラジオに出ていたなかさんから話が聞ける。光栄な事だと思いました。




渡されたされた資料です。
笠田広場をスタートして逆時計回りに歩き、戻ってきます。



今日の参加者です。
全部で13名が参加しました。ご夫婦アリ、親子アリです。
講師陣は上に記したなかさん。それになかさんに付いたアシスタント。おおのさんと宮部さんです。
なかさんが始めに話したのは、この辺りにキツネが生息しているという事です。資料で配られた地図には鬱蒼とした森が載っています。その場所にキツネが居ると言うのは自然が豊かだと思えました。




かさだ公園をスタートしました。




最初の説明です。
植物にアワが付いています。アワフキムシだと説明がありました。その時に袖に付いた虫。セミの仲間だそうです。





こちらはセンダンです。
丁度、花の時期を迎えていました。
各務原市の瞑想の森にセンダンの木が有ります。
センダンの花がこのような花とは知りませんでした。




空からヒバリが着地しました。
強引に引き伸ばしたのでボケて居ますが、ヒバリは判ります。
天高く空を飛ぶヒバリ。
ヒバリは太陽に金を貸して、ヒーイチブ、ヒーイチブと請求するのだそうです。





こちらはスイカズラの説明です。




スイカズラの花。
一日しか持たない花で、翌日にはクリーム色になってしまいます。





犬山の小島醸造で買って来た忍冬酒。空けずに棚に飾って有りました。
犬山へ見学で行った時に買って来たモノです。
忍冬がスイカズラだとは知りませんでした。1つ勉強になりました。



こちらはハゼの説明です。右がハゼの花です。
ハゼが蠟の原料だとは知っていましたが、この花が実となり、実から油を搾って蠟となるのを知りました。
このハゼは河川敷の荒れた場所にある木です。蠟の原料とするなら、ハゼの畑で栽培したのだと推測します。
飛騨古川に和蠟燭の店が有ります。
原料の調達はどうやっているのだろうと思ってしまいます。




東に向かって歩いています。
歩車分離で歩行者と自転車を区分しています。




ヒサウチソウ。
今日は名前を聞く事が出来ました。1つ勉強になりました。
ネットで調べると外来種の花で、久内清孝氏に記念して名付けられたとあります。

実は、この花。先日岐阜市柳津町の境川河川敷で見かけました。その時は外来の花だろう位の気持ちでした。境川で見た時、群生をし始めていました。恐らく、この花も何年かすると群生になってしまうのでしょう。




ウオーキングして来た道から森の中に入り、北へ向かいます。
両側が竹林となった道を歩きます。
密集した竹。なかさんはこの竹林を整備すれば、京都の竹林まで見に行く必要が無いと言っていました。
この道は愛知県道151号・岐阜県道114号一宮各務原線https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E7%9F%A5%E7%9C%8C%E9%81%93151%E5%8F%B7%E3%83%BB%E5%B2%90%E9%98%9C%E7%9C%8C%E9%81%93114%E5%8F%B7%E4%B8%80%E5%AE%AE%E5%90%84%E5%8B%99%E5%8E%9F%E7%B7%9A#.E9.80.94.E4.B8.AD.E6.96.AD.E7.B5.B6.E5.8C.BA.E9.96.93で、松倉と下中屋の間の途中途絶区間でもあります。一宮各務原線と言うのは現在の呼び方です。各務原市が発足する前から有った道路です。以前は、県道一宮那加線と呼んでいたのでしょう。
子供の頃に見た道です。下中屋から木曽川に向かっている道と言う認識は有りました。
その道が消えてしまっていると思っていたのです。
今日、その道を歩きました。
チャンと道として残っていると思いました。



那加街道か三井街道と呼ぶべきか。
鬱蒼とした森の中から出てきました。
森の中から外へ出て来たので、この道が判りますが、この道が街道であった旨の表示が欲しいです。
ウオーキング道から北に折れたのですが、アノ場所から南に向かえば、木曽川に当たり、そして、渡船場跡です。



*松倉の渡し。

川島町の松倉側にはこのような説明板が設置されていました。
2015年11月5日に下記のイベントが開かれました。晩秋の川島を川風と共に歩こう    各務原市川島地区の旧跡めぐりに参加しました。
その時、この説明板を目にしました。木曽川の南側にこのような説明板が有るのですから、北側にも案内表示や説明板の設置を望みたいものです。
標識を設けるなど、保護していかないと、ここが渡船場だった事が埋もれてしまいます。対岸に渡跡が有るのでこちら側にも有ると良いと思います。

私見ですが、明治、大正の時代には那加方面の急速な発展に伴い・・・・。と書かれています。
高山線の那加駅が開業したのは大正9年です。それこそ駅前に何も無かった時代で、最初にできたのが餅屋と運送屋です。その後に八百屋や金物屋などと続いていきました。続々と那加駅前に商店が開業していきました。ですから本格的に那加駅前が形成したのは大正末期から昭和初期だと思います。
かつて、稲羽地区の人は「那加駅へ行って来る」と言いました。決して駅へ行って来るという意味でなく那加地区の商店街へ行って来るという意味でした。那加駅へ来れば布団屋も有り電気屋も有りました。それに映画館も。稲羽の人から見れば那加駅は繁華街に見えたのでしょう。
明治や大正期に発展したのでしょうが、加速度的に発展して行ったのが前述の大正から昭和だと思います。

松倉の渡しの地図。

16年12月3日に埋蔵文化センターが主催した、各務原市歴史セミナーに参加しました。その時のテーマは「川の向こうから眺めてみれば」でして、古墳を見学したりしました。この地図は、その時に資料として配布して貰ったものです。
明治24年で、2万分の1の縮尺です。
まだ、境川放水路が出来ていない時代です。竹ヤブの中を通って木曽川の渡船場へ出ていますが、今より西側を通っています。それに湾曲した道です。
明治の時代ですが、現在河跡湖公園となっているところを川が流れています。



こちらもその時に配布された資料ですが、時代は昭和7年で、江南市の市域地図です。
16000分の1.縮尺です。
渡し場への道がハッキリと描かれています。現在の形に近いものとなりました。
それに境川放水路が完成しています。


2枚の地図で時代の相違が有りますが、渡し場の跡を想像できます。公共交通機関が整備されてきましたが橋が無く、歩くのが唯一の交通手段の時代です。このような時代が川島大橋が出来るまで、続いたのでしょう。
このような状況からも文化財としての位置づけし、後世に伝えていく必要があると思います。






ムクの木の下へ来て、ムクの木の説明を受けています。
ムクの木の実を食べに来る鳥で、ムクドリと呼ばれるようになったそうです。




コレはヨナクサフジです。
宮部さんに教えて貰いました。




ほぼ、周回してきました。
この場所で座り込んで、なかさんの話を聞きました。




かさだ公園の駐車場へ戻って来ました。
コーンで囲った区画が有りました。
パッと見。何があるのか判りませんでした。





良く見ると判りました。
コチドリの卵です。
中央に卵が4個有ります。
私たちが卵を眺めている時、親鳥が近くに居ました。
こう言う時。親が自分の方に注意を引くためケガをしているように装う事が有るのだそうです。擬態と言っていました。
こんな場所に卵が有る。もし、観察に訪れるのでしたら、周囲にカラスが居ないかどうか、気に掛けて近づかなければと言われました。カラスに注意を払う事も必要ですが、ヘビに狙われないかと思いました。




コチドリの卵をカメラに収める人。
真ん中に卵が有ります。
鳥が成長するようにと思います。




感想
募集のパンフにはなかさんの名が出ていなかったので、なかさんの話が聞けるとは思っていませんでした。忍冬とスイカズラが結びつく。ハゼの花がこんなものだ等々。色々と知る事ができて面白かったです。
15年11月に松倉渡船場跡を見ました。その反対側。下中屋側にも何か、手を差し伸べてもらえたらと思いました。

コメント
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