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晩秋の川島を川風と共に歩こう    各務原市川島地区の旧跡めぐり

2015年11月05日 23時19分03秒 | 各種講座

各務原市の社会教育施設で「晩秋の川島を川風と共に歩こう」と言うチラシを目にしました。濃尾・各務原地名文化研究会が特別企画の第2弾として開催したものであります。
参加者は、何れも年金を受給しているような年代の人ばかりです。平日の午前中ですので、このような人々となるのは当然かも知れません。
集合場所は川島会館の前の河川敷駐車場です。30人ほどの人が集まりました。



社会教育施設で目にしたチラシです。
川島地区の旧跡をめぐるというものでした。



集合場所は川島会館の前の河川敷駐車場です。
三々五々、参加者が集まってきました。



右は今日、案内してくれる鵜沼宿のボランティアガイドをしている人たちです。
左はボランティアガイドのメンバー紹介が有りました。
挨拶する福島さんです。



これから川島会館に入ります。
そして3階へ



会館の3階に木曽川文化資料館が有ります。
そして、入口前に川島地区のジオラマが設置してあり、みんなが眺めます。
今日、歩く地域です。
川島。
字の如く川の中の島で有る事が判ります。



木曽川文化資料館です。
これから入ります。



館内。
舟運の関係して、船が展示してあったり、川島の生活を説明しています。



資料館から出て川島地区を歩き始めます。
左は、資料館の前に設置して有る指示標柱です。
今日の参加者は30名ほどでして、第1班と第2班に分けて、1班から歩き始めました。
右は堤防の下を歩き始めたところです。



墓標の場所に来て説明を聞きます。
墓石には元禄と、刻まれていると話していました。



川島地区を歩きます。
街角で説明。
こちらの家屋。
お金持ちは、家が水害に耐えるように、高い位置に構えると説明してくれました。





木曽川の堤防へ。




堤防の階段を上がります。




松倉渡船場跡です。
堤防の外には常夜燈が有ります。
たまたま、川岸に係留して有る舟が有りました。
河漁に使われる舟です。
渡し舟とは違う船が係留されているのですが、この位置が渡し舟の場所でして、ここでを舟で渡ったとイメージが沸きます。




渡船場跡から少し上流に説明板が設けて有ります。





堤防から降りてきて、南に向かって歩きます。
この道は馬街道と呼ばれ、渡船から降りて来た人が往来し、賑わった道です。
今では、ひっそりとした静かな道です。




馬街道から横道に外れて長光寺に来ました。




長光寺の本堂です。
副住職が説明してくれました。




貴重な掛け軸を持ち出して見せて貰えました。
南無阿弥陀仏と有ります。




黒板ボードに掲示してあった川島の地図を撮らせて貰いました。
明治の頃の川島の姿です。
今は1つの島となっていますが、この当時は、川が網の目のようになっていて河田島とか松原島と島に分かれた形になっています。




再び、馬街道に戻りました。
説明板を読みます。




昔の街道の説明板が設置して有ります。
各務原市と一宮市を結ぶ街道で、かつては賑わったと有ります。



元の馬街道に戻って歩きます。
右側は機屋さん。
最盛期には布を織る機械の音が聞こえました。
今はそんな音が聞こえません。
石が高く積み上げられた位置に工場が建てられています。
少しでも水に浸からないようにとの思いからでしょう。




秋葉神社へ来ました。
第1班が説明を聞いています。
秋葉さんの前に土俵が設けて有ります。
ここのようにお宮さんの前に土俵が有るのは珍しいとの事でした。
今でも子供相撲が行われるのでしょうか。




秋葉神社から南に歩き、河跡湖公園に来ました。



橋の上から。
これから河跡湖公園を歩きます。



綺麗な水の流れ。
鯉が群れになって泳いでいます。




河跡湖公園の中の道を歩きます。



河跡湖の説明プレート。
透明のアクリル板に説明文が書かれています。
文字が読み難く、見た目は好いのですが、実用的ではありません。

この後、下流に向かいそして木曽川の堤防に向かいました。




神明神社へ来ました。
前方では1班が説明を受けています。




神明神社の大イチョウです。
ここでも説明を受けました。




前方に西養寺が見えてきました。




西養寺前の街道の説明板。
設置当時は無かったのか、フェンスが邪魔です。




こちらが西養寺です。
これからお寺に入ります。
少しでも高い位置にと、石垣が積まれています。




西養寺の境内と、お寺の境内に有った博文義校跡の石柱。




西養寺の前に役場跡の石柱が有ります。




村役場跡の石柱です。
長光寺の副住職が話してくれた、村々が島の状態だった事が判ります。




昔の街道を歩きます。




川島会館の近くへ戻ってきました。
会館西側の石碑。
三斗山島の跡の石碑です。
この石碑は県道に面していて、道を通る度に目にしていましたが、裏側に書かれていることで、河川工事で移転したことを知りました。




河田渡河戦の説明板。




この説明板で、関が原の合戦の前に前哨戦が有ったことを知りました。
右側は木曽川文化資料館に展示して有った説明で、池田輝政や山内一豊の名が有ります。




川島地区を廻って来て、川島会館に戻りました。
全員の写真を撮影しました。
それに便乗して、撮影させて貰いました。




館内に入り、アンケートを求められました。
そして、最後に「濃尾・各務原地名文化研究会」の会長から終りの挨拶が有りました。




参加者募集のチラシの裏側です。
川島地区を線のルートで歩きました。
今回の主催団体を紹介します。
濃尾・各務原地名文化研究会
http://noukakuken.web.fc2.com/

各務原市「まちづくり活動助成金」助成事業と書かれています。今回の参加費は無料でしたが、長光寺では副住職に謝礼を渡していました。それに、歩く前には資料を渡されました。そのような資金に助成金が使われているのでしょう。

ブログの写真を見ていて、家屋を少しでも高い位置にしようとしている取り組みを感じました。町内を歩いている時は気が付かなかったのです。川に囲まれた地形で、少しでも水害から逃れたいという姿勢です。
撮影時は気づきませんでしたが、後で気がつきました。

今回、川島地区を歩いて2つの大きな事柄を知る事が出来ました。第1は川島町が現在のような1つの島の町でなく、小網島とか、河田島と、島々に分かれていたと言うことです。1つの島を潰してしまったりして、川の流れを改良し今日の川島の形となった事を知りました。
もう1つは、この場所が関が原の合戦の前哨戦の場所だということを知りました。資料館の古絵図には起とか玉ノ井と有ります。その場所は一宮市です。そしてここ川島の河田。その東には犬山が描かれています。
木曽川を挟んで両軍が広い範囲で対峙したことを知りました。
関が原の合戦は有名ですが、前哨戦が当地で有ったことは知られていません。このことを世間に広めて行ってはどうかと思います。
2つの大きな事柄を知る事が出来ました。知らないことを知る事が面白いです。
穏やかな天候の下、川島地区を歩く事が出来ました。




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