Kオジサンの気の向くまま

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2/26、郵便物機械化/どういう設備だろう  郵便局の郵便物区分機等を見学したあと、イタリアンランチ

2015年02月26日 23時26分23秒 | 見学 ゆうゆうなごや

「ゆうゆうなごや」と言うコミニティサイトで名古屋神宮郵便局を見学してきました。
名古屋神宮郵便局に着いてから、5階の会議室に案内されました。総務部の女性から、こちらの局の概要を説明してくれました。名古屋神宮郵便局は昭和59年8月に名古屋郵便集中局としてスタートしましたが、郵政の民営化の変遷を辿り「名古屋神宮郵便局」改称されました。
取扱う郵便物は郵便番号のカミ2桁が45から49までの地域で、愛知県の尾張地方全域と豊田市など西三河地域の一部だそうです。


雨の中、名古屋神宮郵便局に向かいます。
右側の大きな建物が名古屋神宮郵便局の局舎です。



フェンス越しに航空機の荷物ケースが見えました。
ANA CARGOと読めます。
中部国際空港から来たのでしょう。という事は海外からのエアメールでしょうか。
多分、今はカラ容器となったので、空港に戻されるのでしょう。


名古屋神宮郵便局
名古屋市熱田区六野2丁目6番地1号


名古屋神宮郵便局の正面玄関に到着しました。
郵便局らしく正面に赤いポストが待っていました。



名古屋神宮郵便局の局舎模型です。
巨大な建物です。フロアーで、階と階の間隔が大きく取られていて、通常のビルよりも階段数が多くなっていました。



今日のメンバーは15人でした。
全員が一緒にエレベータで5階に上がりました。



ヘタな絵で恐縮です。
見学しました時は、写真を撮らせて貰いましたが、一般公開をしていない施設なので、写真をアップするのを控えて欲しいと言われましたので、拙い絵を掲げました。
現場の雰囲気を推測していただければと思います。

5階からから4階に下りてきました。
工場のような長い建物で、その室内です。一番先が見えないほど遠くとなっています。
4階は定型郵便物のフロアーとなっていました。
横に長い郵便番号の読取り機が並んでいます。1号機から6号機まであり、それぞれに大きな番号札が天井から下がっています。マシーンを稼動させると音を立てて動き出しました。早いスピードでベルトが走ります。郵便物の束がマシーンにかけられ、凄い速さで郵便番号を読み取り、ベルトが流れボックスの中に封書を送り込みます。
担当の人が話していましたが、このベルトの長さは100メートル以上有るのだそうです。

特に、担当者から出た言葉は郵便番号と切手についてであります。郵便番号は漢数字は受け付けない。機会で読取るので、しっかりした字で書いて欲しいと言うことと、切手を左肩の位置に貼って欲しいと言うことでした。
昨年4月の消費税のアップに伴い、切手料金が上がりましたが、これまで長い期間80円で封書を送る事が出来ました。そのようなことも郵便行政の企業努力が有ったから、同じ料金で維持してこれたのだと思いました。


4階からか3階へ降りてきました。
3階は定型外の郵便物を扱うフロアーです。
こちらのも拙い絵で恐縮です。

こちらは定型封筒などよりも大型の郵便物を扱っていました。
空港で飛行機から降りた後、ターンテーブルで手荷物を受け取りますが、アレは幅の広いゴムのベルトですが、こちらのはゴムベルトがプラスチックのような皿になっています。長いベルト状の皿の上に乗った郵便物が流れて行き、目的のところへ来ると皿が跳ね上がり、方向別に送り込みます。その先はローラーの滑り台で流れていました。

また、ここでは書籍やカタログなどの封筒を区分していました。贈答品のカタログも扱っており、お歳暮時期などは繁忙期となるのだそうです。



1階の西側のトラックエリアです。
こちらは郵便局などで集まってきた郵便物を受け入れる場所です。
ここから荷を受け入れて、大型の荷物エレベータで2,3,4階へと送りあげます。

行き先ごとに区分けされた郵便物は東側のトラックエリアから送り出され、旅立っていきます。



3階から、名古屋神宮郵便局から出てきたトラックが見下ろせました。
郵便物を持ち込んだのか、目的の郵便局に向かうの判りません。

いずれにせよ、巨体なハブ郵便局から出てきたトラックです。
物品の移送や情報伝達を人の体に例えるなら、道路や鉄道は筋肉の部分です。電気、ガス、水道は血液で流れます。
電話やインターネットは神経で、頭脳の命令を伝えますが、姿が見えません。郵便物の輸送・配達が一番、可視的な部分ではないでしょうか。




伊太利食房 Zen Zero 神宮店
名古屋市熱田区六野2-6-13
tel 052-872-0001

名古屋神宮郵便局を見学した後、局の南のZen Zero でランチとしました。


歩道橋の上から見えたZen Zeroです。



雨の中。歩いてきました。

これからZen Zeroに入ります。



予約してあって、窓が大きく明るい部屋へ通されました。
ウエイトレスがオーダーを取りに来てくれました。
ランチコースの予約でしたが、各自が希望するものを注文しています。



店内。素敵な天井画です。
フレスコ画と言う事は無いでしょうね。



フリードンクでミニケーキも付いています。



先に出てきたプレート。
生ハムが美味しかったです。



これは向かい席のmomokoさんが注文した8種類の野菜が乗ったピザです。
1片戴きましたが、薄い生地でしたが、美味しかったです。



こちらは私が頼んだもので、カキと白菜のパスタです。
ホワイトソースの味が良かったです。
パスタを食べ終わった後にホワイトソースが残りました。スプーンで掬いたいと思いましたが、ヤメときました。



ミニケーキが3個、OKでしたので、好みのものをチョイスしてきました。



改めて思ったこと

旅行社から郵便物が届きます。
正確に言うと郵便物はJTBからだけです。トラピクスからは日祐メールと言うメール便です。クラブツーリズムからはクロネコメールです。今日、このようなモノが大量に運び込まれている現場を目にしました。今まで、何も気に留めませんでしたが、このようなモノも激しい競争の世界に有るのだと思いました。





こちらは、今日次男からカミさん宛てにナノブロックが届きました。ナノブロックって、何なの?
雛人形の小さなブロックでした。
カミさんは早速、組み立ててから次男にお礼のメールを入れていました。
2月25日の京都中央の消印。そして翌日には届いていました。ありがたいことです。
実は、このゆうパック。10時34分に届けられましたが、不在でして、持ち帰りとなり、夕刻に再配達してもらいました。このように対応して貰える事が嬉しいことです。



昭和の軽快な曲で「憧れの郵便馬車」と言うのがあります。http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%86%A7%E3%82%8C%E3%81%AE%E9%83%B5%E4%BE%BF%E9%A6%AC%E8%BB%8A&tid=474a1523cff6877c4b0f619121cad7cb&ei=UTF-8&rkf=2
かつては特急や急行の列車編成に郵便車が組み込まれていました。馬車から鉄道へ、そして高速道路網の発達により自動車輸送へと変わりました。それも時代の趨勢でしょう。
上の画像は昨年八重山諸島を訪れた時のものです。石垣島から西野表島への船便でした。石垣空港までは航空便で送られ、さらに島々へはこの船のように、船で島から島へ~と。輸送されます。でも、海が荒れたりすると三日遅れの便りを乗せ~て となります。

今回は大規模な集中処理局の見学でした。47都道府県に拠点となる郵便局が有るのでしょう。愛知県の三河地方の郵便物は豊橋南郵便局で集中処理しているそうです。何箇所か有る集中処理郵便局。その中でも名古屋神宮郵便局はスーパーな処理局です。機械化が進んだ局内を見学する事が出来ました。
安価な料金で迅速に処理して貰える。そのようなことも、ここのような郵便局に勤務する人たちの尽力が有るからこそだと思います。
これまで、郵便をごく、普通の感覚で捉えていましたが、改めて郵便のありがたさ、良さを感じました。

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名古屋ボストン美術館  華麗なるジャポニズム展

2015年02月26日 22時03分12秒 | 絵画展

久し振りに名古屋へ出かけましたので、名古屋ボストン美術館へ行き「華麗なるジャポニズム展」を観てきました。ルノワール。ゴーギャン。ロートレック。など著名なヨーロッパの画家たち。並べて展示して有ったのは歌川広重。葛飾北斎。喜多川歌麿などの錦絵が有りました。日本からフランスに持ち込まれた錦絵が大きく影響を及ぼしたのです。


華麗なるジャポニズム展のパンフです。




名古屋ボストン美術館。
これから、美術館へ向かいます。



館の前に設置された広告塔。



エスカレータで3階に向かいます。



《ラ・ジャポネーズ着物をまとう(カミーュ・モネ)》で使われた内掛け。絵は100年以上前の制作されたが、この内掛けがその時のもので、本物だろうか。それならどの用に保存されていたのだろうと思ってしまいます。



華麗なるジャポニズム展のパンフの裏側の写真。
左下に絵を修復している人が写っています。会場内に修復の状況の説明があり、修復に1年以上の歳月を要したと有りました。



内掛けに刺繍されたサムライ。
謡曲「紅葉狩」で平惟茂(タイラノコレモチ)が鬼女を成敗に行くときの図ではないかと書かれていました。


この先は撮影禁止で、カメラを仕舞いました。




こちらは会場で買ってきた絵ハガキです。
歌川広重の「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」と言う作品で、1857年のものです。これを手本としてゴッホが描いた作品の写真が掲示して有りました。ゴッホが描いたのは1887年となっています。江戸時代末期。鎖国となっていても、このような錦絵を輸出したのでしょう。このような絵がヨーロッパで大きな影響を与えた事が判りました。



会場内で錦絵と、錦絵の影響を受けたヨーロッパの絵画が並べて展示して有りました。はるばる日本から届いた絵が、大きな影響を与えた事が面白いと思いました。

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