池の土手を猿を見ながら進む。
次の「ガル・ヴイハーラ」は磨崖仏。
観光客の列は、土手を下りてゆく。
「岩崖なんだから山へ入って行くんではないの?」と訝りながらついて行くと、そこにガル・ヴィハーラはあった。
◇ガル・ヴイハーラ(岩の・僧院)
近くから見る磨崖仏は、重々しく威厳に満ちている。
しかし、遠目からだとそうは見えない。
威厳をなくしてるのは、スチール屋根。
軽くて強いスチールの利便性が、宗教的雰囲気をぶち壊している。
まるで物置き場所のようだ。
同じ覆い屋根でも、木造だったらこうは軽薄な雰囲気にはならなかっただろう。
と、書きながら、今、気付いたのだが、仏像群に「厳かさ」を求めるのは、日本人の私であって、スリランカ人はそんなものは無頓着なのではなかろうか。
磨崖仏を目の当たりにすると、臼杵の磨崖仏と無意識に比較してしまうのは、日本人だから、仕様がない。
製作時期も12世紀頃とほぼ同じ。
保存状態は、こっち(スリランカ)のほうがはるかにいい。
寒くないから、岩の水分が凍って割れることがなかったからか。
一番の違いは、龕に入っているかどうか。
龕に収まっている臼杵の磨崖仏は、暗く、陰湿で、重々しい。
一方、ガル・ヴィハーラは、明るく開放的で、人間の悩みなど吹き飛んでしまいそう。
ただし、昔は、それぞれの磨崖仏ごとにレンガの部屋で囲われていたというから、開放的ではなかったようだ。
ガル・ヴィハーラの磨崖仏は、4体。
左から、座像、龕に入った座像、立像、涅槃像。
では、左から順に紹介してゆこう。
一番左の座像は、高さ4.6m。
磨崖仏とはいえ、ほとんど丸彫りに近い。
右足を上にして胡坐を組む勇猛座。
右手を上にして重ねるこのポーズは、瞑想の禅定印。
スリランカのブッダ像の大半は、この禅定印ポーズです。
顔は、鼻が長いのが、特徴。
スリランカのお釈迦さまには、螺髪と白毫がない。
ちなみに臼杵磨崖仏唯一の釈迦如来像の顔は、これです。
お釈迦さまのお顔にも、国民性が現れるのが面白い。
この座像磨崖仏の見どころは、後塀のレリーフ。
小堂には仏がいて、なぜかインド神話の怪魚マカラも見られます。
左から2番目の龕の中の座像は、金網で囲われ、正面にはすりガラスがあって、横から金網越しに見るしかありません。
身体と腕の間の隙間などどうして彫ったものやら、中々の彫技で、スリランカ石仏の最高傑作という声も。
顔が、他の3体とはまるで違うので、この像だけ別な石工の作品ではないかとみられています。
仏陀の両側には、払子(ほっす)を持つ菩薩、その上に右はブラーマ、左はヴィシュヌのヒンズーの神々、さらに頭上に4臂のこれまた菩薩がいらっしゃいます。
菩薩とヒンズーの神との同居は、この頃からあるんですね。
天井からは天蓋が下がるなど手の込んだ細工装飾が素晴らしい。
仏陀像は全身金箔で覆われていたが、盗掘者たちが足下で木を燃やして、金を溶かして持ち去ったと云われています。
鉄格子越しに中を覗き込んでいたら、右壁に赤茶色の模様があるのに気付いた。
格子にカメラを入れて、あてずっぽうで撮ったのが、下の写真。
何だろうと思っていたら、『セイロンの仏都 講談社』に壁画とあった。
「仏堂内の側壁、その入口に近いすみに、驚くべき壁画の断片を見出した。仏への供養者たちの姿で、特に、右手の親指と中指で、枝のついた小さな実をつまみ、左手の上に巻貝をのせた、聖人の姿は、セイロン第一の傑作である」と指摘している。
『セイロンの仏都』には、壁画の線描があるので、転載しておく。
『セイロンの仏都 講談社』より無断借用
≪続く≫
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