アヌラーダプラからミヒンタレーへは、車で30分。
途中、猛烈な土砂降りに。
日本から持参のカッパなどまるで役にたちそうもない。。
その豪雨も5分ほどでピタッとやんだ。
何事もなかったように太陽が照り、道路は乾いている。
スリランカ仏教史の観点からすれば、アヌラーダプラよりミヒンタレーを先に回った方がいい。
なにしろミヒンタレーは、スリランカに最初に仏教が伝えられた場所だからです。
そんな聖地が発掘されたのは、1934年、私が生まれるわずか4年前のことでした。
なんと2200年もの間、ジャングルに埋まったまま気付かれずにいたというのだから、驚く。
新しい話のような、古い話のような・・・
◇9世紀の病院跡
駐車場から歩き出して、最初にぶつかるのが、病院跡。
「9世紀の病院跡」とは現場の英語説明板だが、そうすると「2200年ぶりの発掘」と は、整合しないことになる。
ミヒンタレーの歴史を読んで分かったのだが、ここミヒンタレーの仏教施設は、10世紀に破壊され、12世紀に再興、再び、廃墟となっている。
スリランカのどこの王都でも同じような、破壊と再建の繰り返しが、この地でもあったことになる。
小部屋が並んでいる。
個室の病室か。
人型の窪みの石台は、薬草に患者を浸して治療したものだろう。
伝統医療アーユルヴェーダの先駆けのようにも見える。
ミヒンタレー博物館には、外科手術用の用具もあるそうで、当時の先進医療がここで行われていたのはまちがいなさそうだ。
◇シンハ・ポクナ
シンハ=ライオン、ボクナ=沐浴場、だからライオン沐浴場。
立ち上がったライオンの口から出る水で、僧侶が沐浴した施設。
水は、右横の崖地から石組みの水道管を通して流れてきている。
この立ち上がるライオンはスリランカ彫刻の最高傑作と紹介する向きもあるが、立ち上がるポーズは珍しいけれど、彫技レベルはさほどではないように、私には見える。
スリランカでは、ライオンのデザインやレリーフを良く見かけるが、スリランカにライオンはいないし、いたこともない。
インド文化の影響だと思われる。
沐浴場前に住居跡の石柱が立っている。
水浴してさっぱりした体を横たえるお休み処だったのではないか。
説明がないから妄想ばかり湧いて来る。
◇食堂跡
ガイド氏の話では、僧侶たちの食堂ということだったが、説明板には「貧窮院」の食事提供所と書いてある。
一段低い大広間は、水の流れる食器洗い場だったという。
一度に5000人もが食器を洗ったというが、ではどこで食事をしたのか、その場所が見当たらない。
それとも足を水に浸したまま、立ち食いしたのだろうか。
下は、ごはんやおかゆを入れる舟形容器。
かなり大量のご飯を蓄えるわけで、ではその炊事場はどこか、となると判らない。
同じような石櫃に見えるが、洗濯板のようなギザギザがあるから、洗濯場ではなかろうか、とこれは私の推理です。
食材を保管する倉庫も不可欠で、それがどこにあるのやら、なんとも不可思議な「食堂跡」でした。
◇会議場
食堂の上は、会議場。
10世紀、マヒンダ4世によって建てられた。
スリランカ全土の僧侶の守るべき戒律や規則は、ここで決められていた。
入口の両側に立つ2枚の石版には、その規則が書かれている。
傍らのこじんまりした円錐形は、高僧の墓。
あちこちに点在している。
◇アムバスタレー大塔
スリランカ旅行で、誤算があったとすれば、それは聖地の多くが山頂や崖上にあったこと。
自慢するわけではないが、極端に「上り」に弱い。
心臓が悪い上に、足も痛む。
都営地下鉄「神保町駅」は、エスカレーターがなく、地上まで階段をあがらなければならない。
途中、3回は立ち止まって休まなければならない身には、この石段はきつかった。
階段を上がる時間より、立ち止まって休む時間を多くして、なんとか頂上に到着。
眼前の白い大塔の立つ場所が、仏教伝来の伝説の場所。
伝説とはこうだ。
「紀元前3世紀、仏教拡大に意欲的なインドのアショカ王(阿育王)は、息子マヒンダをスリランカに派遣した。山で鹿狩りをしていたアヌラーダブラの王、デーヴアナンピヤ・ティッサ王は鹿に導かれるまま、山中でマヒンダに会い、彼の説く仏教の教えに惹かれて帰依し、スリランカ最初の仏教徒となった」。
ディーバナンピヤ・ティッサ王
その王がイスルムニヤ精舎を建て、マヒンダの妹、つまりアショカ王の娘が持ってきたブッダガヤの菩提樹の分け木がスリー・マハー菩提樹となったことは、前述した。
この伝説と史実を通して浮かび上がるのは、アショカ王の偉大さだろう。
アショカ王は、タイやビルマにも仏教使節を派遣している。
アショカ王がいなければ、仏教は広がらなかったと考えていい。
アショカ王の息子、マヒンダ王子はスリランカにそのまま住んで、長老として敬われ、80歳でこの地で亡くなった。
その遺骨は、このアムバスタレー大塔に祀られている。
塔の背後に聳える岩は、マヒンダ長老が瞑想していた場所・インビテーション・ロック。
みんな上ってゆくが、私は、もちろん、敬遠組。
アムバスタレー大塔を挟んで反対側の山頂には、釈迦の毛髪が納められているマハー・サーヤ大塔があるのだが、これも上らなかった(正確には、登ろうとしなかった)。
青空に溶け込むようにうっすらと見えるのが、マハー・サーヤ大塔
仏教遺跡巡りのレポートとしては、誠に不甲斐なく、情けない。
しんどい思いをして石段を上ってきたのには、もう一つの目的があったから。
それは、、レリーフが見事だと評判の仏塔カンタカ・チャイッテヤを観ること。
空が赤みを帯びて夕景になりつつある。
ガイド氏に催促すると「ここではないんです」との答え。
思いもしない事態にがっくり。
「それはないよなあ」とブツブツ言いながら石段を急ぎ足で下りる。
◇カンタカ・チャッテヤ
レンガ造りの仏塔は紀元前60年造立で、スリランカ最古。
他の仏塔のようにすべすべ、さらさらした表面ではなく、ごつごつしている。
積み重ねた基層の段によっては、動物の首がならんでいる。
東西南北に祭壇状のものが張り出していて、象、馬、牛、ライオンが東西南北にレリーフされている。
その配列は、ムーンストーンと同じだ。
つるべ落としのように急激に陽が落ちて、写真も撮れなくなってきた。
近くの巨岩には修行僧が住んだ洞窟がいくつもあるというが、もう撮影するのはあきらめざるを得ない。
街灯が点灯し始め、雨も降りだした。
車に駆け込んで、二日目は、これでジ・エンド。
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