福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

明恵の高弟/高信が「栂尾明恵上人遺訓」を撰した日

2024-06-02 | 法話
栂尾明恵上人遺訓人は阿留辺畿夜宇和(あるべきやうは)と云七文字を持つべきなり。僧は僧のあるべき様、俗は俗のあるべき様なり、乃至帝王は帝王のあるべき様、臣下は臣下のあるべき様なり。此あるべき様を背く故に、一切悪きなり。我は後世たすからんと云者に非ず。ただ現世に先あるべきやうにてあらんと云者なり。(法然の後生成仏を批判した)仏法修行は、けきたなき心在まじきなり。武士なんどは、けきたなき振舞しては、生て . . . 本文を読む
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ロシア中國北朝鮮は敗北の道を着々と歩んでいることは六韜でわかる

2024-06-02 | 法話
・「六韜・三疑編」 「強を攻むるには、必ずこれを養いて強からしめ、これを益して張らしむるなり。はなはだ強ければ必ず折れ、はなはだ張れば必ず欠く、強を攻むるには強を以てするなり。」(自分より強いものに対抗するには、必ずそいつをさらに強くすることだ。はなはだ強いものは必ず折れ、ふくらんだものは必ず欠ける。強いものを攻撃するには相手の「強さ」を逆に利用する。) ・「六韜・守國編」「進んで争うことなく . . . 本文を読む
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今日は蒙古襲来に対し東寺で不動法を修した日

2024-06-02 | 法話
東宝記/ 弘安四年(1281)六月二日条「二日 不動法ヲ東寺ニ修シテ 異国降伏ヲ祈ル」蒙古軍は五月二十一日には対馬に上陸、二十六日には壱岐に上陸しています。この後、六月六日には志賀の島に上陸しました。なお、志賀の島には高野山から五月に波切不動様が動座されて蒙古退散の祈祷をされていました。『高野春秋編 年輯録』には浪切不動の志賀島動座について 「弘安四年 五月日、詔当山及諸寺社、令抽異賊降伏之 禱明 . . . 本文を読む
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今日は旱で諸社に仁王経を読誦させた日

2024-06-02 | 法話
日本紀略 / 天暦二年(948)六月二日己卯条「二日己卯 於七社自今日限三箇日 令転読仁王経 祈雨也(二日、七社(注2)において今日より三箇日を限り 仁王経(注1)を転読せしむ 祈雨也)(注2)『日本紀略』永延元年(987年)12月12日の条には 奉幣七社として、伊勢、石清水、賀茂、松尾、平野、春日、大原野が挙げられています。)(注1)仁王経には「爾時、金剛手菩薩摩訶薩等は・・佛に白して言さく「・ . . . 本文を読む
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今日は本能寺の変で信長の高野山包囲網が解けた日

2024-06-02 | 法話
今日は本能寺の変で信長の高野山包囲網が解けた日。『高野春秋編年輯録』によると、天正9年年末ごろから高野攻のため織田勢が13万人余を擁して高野七口を塞いでいた、とされます。しかし天正10年6月2日本能寺の変がおき、信長の包囲網は解けます。史料綜覧 十一巻 / 天正十年(1582)六月二日条「二日 前右大臣正二位織田信長 惟任光秀ノ弑ニ遭ヒ 本能寺ニ薨ズ 従三位左近衛中将織田信忠 誠仁親王及ビ王子<和 . . . 本文を読む
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6月2日は三万日分のお大師様のお茶湯功徳日です。

2024-06-02 | おすすめ情報
6月2日は三万日分のお大師様のお茶湯功徳日です。 . . . 本文を読む
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