今日は一粒万倍日です。 . . . 本文を読む
ダライラマ法皇の8月18日の法話
唯識と中観の解説を始め大乗仏教のエッセンスが詰まっています。之を読むと改めて中国はチベットにかなうわけがない、次元が違いすぎると思います。翻って日本はとも思います。
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スターウォーズでは10年後の世界を予告していてそれがどの程度実現したかが話題でした。
しかし、本来時間はリニアに流れてはいないというのが仏教の考えです。過去現在未来は恰も「時間のるつぼ」にぐちゃぐちゃに入っているようなものだというのです。
たとえば般若心経では「不生不滅」といいます。これも現代人の西洋的なリニアな時間概念をもっていては到底理解できません。
具体的にはこの時間概念は華厳経にはっきり . . . 本文を読む
「我等長夜に 仏の浄戒を持って 始めて今日に於て 其の果報を得 法王の法の中に 久しく梵行を修して
今無漏無上の大果を得 我等今者 真に是れ声聞なり 仏道の声を以て 一切をして聞かしむべし
我等今者 真に阿羅漢なり・・世尊は大恩まします 希有の事を以て 憐愍教化して 我等を利益したもう 無量億劫にも 誰か能く報ずる者あらん 手足をもって供給し 頭頂をもって礼敬し 一切をもって供養すとも 皆 . . . 本文を読む
今日は可睡斎奥の院不動尊大祭の日です。
以下可睡斎のホームページです
「創立 応永八年(1401年)
開山: 如仲天誾禅師(じょちゅうてんぎんぜんじ)
本山 :大本山永平寺(福井)・大本山總持寺(横浜)を両大本山とし、總持寺の直末寺院です。
本尊: 聖観世音菩薩を本尊とし、高祖承陽大師(こうそじょうようだいし)と太祖常済大師(たいそじょうさいだいし)を両祖とします。
さらに宗派を越えて古来よ . . . 本文を読む
延喜式には東海道の諸國驛傳馬として55駅が定められておりこれが慶長6(1601)年正月に江戸幕府が定めた東海道五十三次の元となっているといわれています。そもそもこの55とは華厳経の入法界品で善財童子が菩薩の道を探して尋ねる聖者の数です。延喜式の55は入法界品で善財童子が訪問する菩薩方を重複もいれて数えると55体になります(注)。これらの菩薩を訪問して順次菩薩五十二位を登っていくという設定になってい . . . 本文を読む
「世には強情な女性は十分います。必要なのは心の優しい女性です。
粗暴な女性は十分います。必要なのは思いやりのある女性です。
無礼な女性は十分います。必要なのは品のある女性です。
名声と財産を手にしている女性は十分います。必要なのは信仰の篤い女性です。
貧欲はもう十分です。もっと慈しみが必要です。
うぬぼれももう十分です。もっと徳が必要です。
流行ももう十分です。もっと清さが必要です。」マーガレット . . . 本文を読む
普賢菩薩の十大願は四十華厳・入不思議解脱境界普賢行願品に出てきます。十大願の内容が書かれています。
大方廣佛華嚴經(四十華厳)卷第四十罽賓國三藏般若奉詔譯・入不思議解脱境界普賢行願品
爾時普賢菩薩摩訶薩は、如來の勝功徳を稱歎し已り、
諸菩薩及び善財に告げて言く『善男子よ、如來の功徳は假使へ十方一切諸佛の不可説不可説佛刹極微塵數劫を経ても相續演説不可窮盡なり。若し此功徳門を成就せんと欲せば應に . . . 本文を読む
今日8月24日は広河原の松明上げです。
広河原松明上げは洛北に伝わる精霊送りと火伏せ・五穀豊穣を祈願する愛宕神事といわれています。
広河原松上げでは約1,000本の松明(たいまつ・地松)に点火し、その後広場中央の高さ約20メートルの木・燈籠木(とろぎ)の先に取り付けた大笠に向かって紐の付いた松明を投げこむ、というものでよくテレビでも見ます。
これも民俗的には深い意味をもっているようです。
五來重 . . . 本文を読む
「人間は、先ず自分を責むべきであって、
世の中や時代を責むべきではない。
世の中が悪い、
時代が悪いというのならば、
そういう時世に対して、
一体自分はどれだけ役に立つのか、
それをどう解釈し、
それに対してどういう
信念・情熱を持っているのか、
よく自分を責めるがよい。」(安岡正篤) . . . 本文を読む
化野念仏寺では、毎年8月23日・24日に、「千灯供養」が行われ、八千体にも及ぶ無縁の石仏に灯りが供えられ、多くの参詣者でにぎわいます。愛宕古道街道灯しも同時に行われるということです。無縁佛の供養には功徳があるという説や霊にとりつかれよくないという説がありますがこうして多くの方々と共に供養するのは有難いことと思われます。 . . . 本文を読む
・「ものごとは心でしか見ることができない。大切なことは目には見えない。」
(サン=テグジュペリ(プチ・プランス』)という言葉は有名です。この言葉を心の中でつぶやくとなぜかホッとします。世の中のすべてを数量化してやまない風潮の真っ只中で日々生活していると、こういう優しい言葉に出会うと救われた気がするのです。
・聖書(コリントの信徒への手紙)にも「私たちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます . . . 本文を読む