白村江の戦いで唐の捕虜となった日本人が観音様の霊験で無事帰国できた話二話
・其の1、「今昔物語集巻十六・伊予国の越智の直、観音の助けによりて震旦より返り来れる語第二」
今昔、・・(天智か?天智二年に白村江の戦いが始まる)天皇の御代に、伊予の国越智の郡の大領が先祖に、越智の直と言ふ者有けり。
百済国の破れける時、彼の国を助けむが為に、公け、数(あまた)の軍を遣す。中に此の直を遣しけり。直、彼の . . . 本文を読む
今日承和元年(834)五月二十八日は大師(当時61歳)が「承和の遺誡」を製せられた日です。戒を守らぬものは佛罰を蒙ると書かれています。高野大師御伝に「承和元年五月二十八日重ねて遺誡文を製して云はく、諸の金剛弟子等に語[つ]ぐ。それ頭を剃り衣を染めるの類は、我が大師薄伽梵[ばがぼん]の子なり。僧伽と呼ぶ。僧伽といっぱ梵名なり。翻じて一味和合と云ふ。意を等しくして上下諍論なく、長幼次第あり。乳水の別無 . . . 本文を読む
国宝唐招提寺金亀舎利塔の由来
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今昔物語巻十二「沙弥所持法花経不焼給語 第廿九」
「今昔、聖武天皇の御代に、牟婁の沙弥と云ふ者有けり。俗姓は榎本の氏、本より名無し。紀伊の国牟婁の郡の人也。此れに依て牟婁の沙弥とは云ふなるべし。而るに、同国の安諦の郡の荒田の村に居住す。此の沙弥、髪を剃り袈裟を着たりと云へども、翔(ふるま)ひ俗の如し。朝暮に家の業を営みて、昼夜に妻子眷属を養ふ計を巧む。
而る間、沙弥、願を発して、法の如く . . . 本文を読む
わたしは大正11年12月から肋膜炎にかかり医師はみな此の子の病気は良くならないと匙をなげてしまいました。そんなある朝父の夢枕にお大師様が現れ、「子供の病気は医者では治らぬ。お前の好きなものを願立てに絶ちなさい」とおっしゃったそうです。其の夢つげから父は大好きな煙草をぷっつりとやめました。そしてお大師様におすがりしたのです。ある朝行商のおばさんがきて「子供さんの病気はお大師様の信仰により治ります。君 . . . 本文を読む
桓武天皇が田植えを心配されて伊勢神宮等に祈雨され、大雨が降った日
続日本紀 / 延暦七年(788)「五月己酉(二日)(桓武天皇は)群臣に詔して曰 『宜しく伊勢神宮及七道名神に差使して祈雨すべし。』 是夕大雨 其後雨多 遠近周匝 遂に耕殖を得る矣」 . . . 本文を読む
「・・長安城の中に於いて写し得るところの経論疏等凡て三百余軸、及び大悲胎蔵・金剛界等の大曼荼羅の尊容、力を竭くし財を涸くして趁め遂って図画せり、しかれども人は劣に教えは広うして未だ一ごうをも抜かず(九牛の一毛にも及ばず)、衣鉢竭き人を雇うこと能はず、食寝を忘れて書写に労す、日車返り難うして忽ちに発期迫れり、心の憂い誰に向かってか紛を解かん。空海偶々崑嶽に登って未だ懐に満ことを得ず、天を仰いで屠裂( . . . 本文を読む
日本霊異記第十四「僧の心経を憶持し現報を得て奇しき事を示しし縁」
「釈義覚は本百済の人なりき。其の国破れし時に、後の岡本の宮に宇御(あめのしたおさ)めたまひし天皇のみ代に当りて、我が聖朝(みかど)に入り、難破の百済寺に住りき。法師は身の長七尺ありて、広く仏教を学び、心般若経を念誦せり。時に同じ寺の僧慧義といふひと有りき。独り夜半を以て出で行く。因りて室の中を見るに、光明照り耀く。僧乃ち之を怪しび . . . 本文を読む
「大師の霊験(真言宗伝道団・明治45年出版)」より趣意
伯爵東久世通禧様のご子息に「孝人」という方がおられた。(注1)。この子は4歳になっても口を利かず、聾唖者と診断されどこの名医も治しようがなかった。ここに「お元」という信心深い乳母がおり、麻布不動院(注2)の山科俊海僧都に相談したところ山科僧都(注3)は「自分も修法するが、そちらも毎日千遍不動真言を唱えてお参りせよ」と教えた。その . . . 本文を読む
盲目の僧が根本大塔で開眼した話
「高野山往生伝」「厳實上人は大和の国、虚空蔵巌の住侶也。壮年の始、両眼共に盲。業障を懺する為、當山に参籠し纔に鳩杖(上部が鳩の形の老人用の杖)を携へて鵞王(仏)を巡礼す。三年の間、一心に祈請す。有る時、先ず社壇に参り、次いで大塔に詣ずに、忽然として眼開き、日輪新しく現ず。縡楚(さいそ)の間、周章して佇立。猶両目を拭ひ四方を見るに堂舎塔廟朝日に映じ巍然たり。山岳林樹 . . . 本文を読む
四国遍路で不可能と思われた小児麻痺が治癒した話があります。「日本巡礼記集成」の中のn尼の手記によると昭和55年5月45番岩屋寺奥の院で小児麻痺により20年間動かなかった女性の手が行場へ登ろうとして鎖に手をかけた途端に動くようになったということです。「不思議はいまも新たなり」です。其処の所を抜粋しておきます。「昭和55年5月12日、四国88所巡拝」に、「美代ちゃん(19歳の女性、小児まひで左腕が上に . . . 本文を読む
護国寺一言地蔵様の霊験護国寺が発行しておられる「護国寺」第96号に一言地蔵様の霊験が載っていました。最近一言地蔵様の前で熱心に拝む人が増えて有難いことと思っていましたが、この「護国寺誌」をみるとやはり大変なご利益を受けている人が増えていることがわかりました。紙面より紹介します。「お地蔵様には沢山の方がお参りに来られます。遠くは北海道や福岡から来られています。・・学生さんが真面目にお参りされていたの . . . 本文を読む
「弘法大師近世の霊験」明治41年12月31日 鉄塔堂発行、佐伯曼荼羅著 「序文・・本書は因島大浜村吉田幸七の次女芳江が姉お増のいく四国巡拝に同行したいと申し出たが父が許さず、ほどなくして芳江は死すがその五七日の法要中吉田家の玄関に旅僧が一緒に四国巡拝をしたという芳江を連れてきた。さきに葬式をした亡骸は四国七十七番道隆寺の大師が身代わりとなってくださったもの . . . 本文を読む
「(日本霊異記)卅四、怨病忽ち身に嬰かかり、之に因りて受戒行善して以って現に病を愈すことを得る緣」
「巨勢呰女(こせのあさめ)者,紀伊國名草郡埴生里(和歌山市)之女也。以天平寶字五年761辛丑、怨病身に嬰(かか)り,頸に癭肉疽を生じ、大苽の如し。痛苦切るが如くにして歷年不愈。自ら謂へらく、「宿業の招く所ならむ,但だ現報にみには非じ、滅罪し病を差(いや)すよりは,善を行はむには如かじ。」と。剃髮受 . . . 本文を読む