人類の敵プーチンとロシア国民に向けられたとも思われる言葉が既に淮南子にありました。
「無罪の民を殺し、無義の君を養ふは害焉より大なるはなし。天下の財を殲くして一人の欲を贍(た)らしむるは禍焉より大なるはなし。」
「淮南子・巻十五・兵略」
「夫れ兵なるものは暴を禁じ乱を討つ所以なり。炎帝火災を為す、故に黄帝これを擒にす。共工、水害を為す、故に顓頊(せんぎょく)之を誅す(注1)。之を教ふるに道を以てし、之を導くに徳を以てするも聴かざれば則ち之に臨むに威武を以てす。之に臨むに威武を以てするも従はざれば則ち之を制するに兵革を以てす。故に聖人の兵を用ふるや髪を櫛り苗を耨(くさぎ)るが如し。去る所の者少なくして利する所の者多し。
無罪の民を殺して無義の君を養ふは害焉より大なるはなし。天下の財を殲くして一人の欲を贍(た)らしむるは禍焉より大なるはなし。もし夏の桀、殷の紂、民に害有りて立どころに其の患いを被れば炮烙を為に至らざらん。晋の厲(注2)、宋の康(注3)、一不義を行ひて身死し国亡べば侵奪して暴を為すに至らざらん。此の四君なる者は皆小過有れども之を討つ者なきなり。故に天下を擾して百姓を害し、一人の邪を肆ひままにして海内の禍を長ずるに至る、此大論の取らざる所なり。
君を立つる所為のものは以て暴を禁じ乱を討たんとするなり。今万民の力に乗じて反って乱賊を為すは是虎の為に翼を傳くるなり(注4)。なんすれぞ除かざる。夫れ池魚を畜ふ者は必ず猵獺(へんだつ・かわうそ)を去る。禽獣を養ふ者は必ず豺狼を去る。又況や人を治むるをや。」
(注1)『淮南子』「天文訓」や『楚辞』「天問」では、顓頊(黄帝の子孫)と帝の地位を争い敗れたとあり、その際、怒りにまかせて暴れ周り、天を支える柱がある不周山を破壊。そのため天柱が折れ、天が西北に傾いてしまった。中国の河川がすべて東南方向に流れるのはこのためとされている。
中国,殷の最後 (第 30代) の王。前 11世紀頃に三十数年在位。名は受,帝辛とも呼ばれる。紂は諡号。『史記』その他の所伝によれば体力,知力にすぐれたが,妲己 (だっき) を愛して酒池肉林の楽しみにふけり,諫言を退け,民心のそむくところとなり,周の武王の討伐にあって王都朝歌の鹿台でみずから火中に投じて死に,殷王朝は滅亡した。
(注2)晋では君権を更に強めようとした厲公が大世族・郤氏を族滅したが,その直後,身の危険. を感じた欒書と荀偃によって殺された。
(注3)宋の康王は周辺各国に対して自国の国勢に見合わぬ軍事行動を展開し成功した。このことで外政に自信をつけた宋の康王は、内政でも暴政をおこなった。紀元前286年、斉・魏・楚の連合軍に攻められた時宋の国民は康王を恨んでおり抵抗せず、宋王偃は殺された。
(注4)乱を除くためにつけられた君主が万民の力を利用してかえって悪逆を働くならばそれば暴虎に翼をつけてやるようなものだ。
すこしでも平和が実現することを
祈ります。ガザも停戦希望する。
とはいえ、私は、私事に
まだ怒りや恨みをかかえています。
おかげで仏教を久しぶりに
学んでいますが、いまだ
心は清浄になりません。
犯罪をおかしたものが
きちんと逮捕され起訴されることを
のぞんでいますが、やっと
被害者聴取が先日おわったばかり。
私たち家族の苦しみは通じず。
会社のコンプライアンス部も
社外コンプラも、役員も、もみ消しにうごき。
会社に見事そそのかされた
所轄刑事も刑事課長も、
怒りと悲しみをくださりました。
水戸黄門の前半を
リアル体験するとは思わなかったが、
時間は心を癒してくれるだろうか。
とはいえ、
黒多羅菩薩をお祈りしようとおもいます。
プーチンは、ラスプーチンのように
鉄壁の霊的なバリアを
張ってるだろうから、
呪術合戦は、やめたほうが
よいでしょう。
結界はってから、ひたすら光明真言で、
浄化エネルギーをおくったほうが
よさそう。
白ターラ菩薩 白衣観音様を祈ってからの
光明真言とかどうかなと
素人ながらおもいました、