福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

大乗起信論・・その31

2023-08-31 | 諸経
復た次に初發意菩薩等の所見は、深く眞如の法を信ずるをもっての故に、少分を見て、彼の色相と莊嚴等の事は、無來無去にして分齊を離れ、唯だ心によってのみ現ずるも、眞如を離れずと知る。然れども此の菩薩は猶ほ自ら分別す。未だ法身の位に入らざるをもっての故なり。若し淨心を得れば所見微妙にして其の用は轉た勝り、乃至菩薩地盡きればこれを見ること究竟す。若し業識を離るれば則ち見相なし。諸佛の法身は彼此の色相を迭いに . . . 本文を読む
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坂東観音霊場記(亮盛)・・・31/31

2023-08-31 | 先祖供養
  第三十三番安房の那呉(現在も第33番は補陀洛山那古寺(那古観音)) 續日本紀に云、人王四十四代元正天皇養老元年(717)上総の國四郡を割て安房の國を置く。天平十三年(741)復た故の如し。後又是を置く。古語拾遺の中に云、南海道阿波國の忌部、于茲に来て麻穀を播殖、故に居る所便ち安房郡と名く。元は上総の一郡也。 大成經云、人王十二代景行天皇五十三年(123)冬十月上総國に至り海路よ . . . 本文を読む
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大乗起信論・・その30

2023-08-30 | 諸経
此用有二種。云何爲二。一には分別事識に依る。凡夫・二乘の心の所見にして名ずけて應身と為す。轉識の現ずるを知らざるを以ての故に、外より來ると見て、色の分齊を取て盡知ること能わざるが故なり。二には業識に依る。謂く諸菩薩の初發意より乃至菩薩究竟地の心の所見にして名ずけて報身と為す。身に無量の色あり。色に無量の相あり。相に無量の好あり。所住の依果にも亦た無量の種種莊嚴あり。示現するところに随って即ち邊ある . . . 本文を読む
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坂東観音霊場記(亮盛)・・・30/31

2023-08-30 | 先祖供養
  第丗二番東上総清水(現在も第32番は音羽山清水寺(清水観音)) 上総國夷隅郡鴨根邨音羽山清水寺は熊埜権現垂迹の處、圓通大師士影響の山也。本尊の彫造道場の開基は傳教大師の發願にして慈覚大師の勲功也。京城の音羽に擬して伽藍の製を為す者也。 人王五十代桓武天皇の御宇、延暦年中の事なるに、傳教大師台教を弘めんとして、東國の遊化を思立玉ふに、一人の老翁あって告げて曰く、去んぬる寶亀年中、 . . . 本文を読む
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今日は流れ星を凶兆として寺社に祈祷した日

2023-08-30 | 法話
史料綜覧 巻八 / 文明四年(1472)八月三十日条「三十日 流星アリ 大神宮及ビ興福寺ニ命ジ変異ヲ祈禳セシム 幕府モ亦之ヲ命ズ」天皇は後土御門天皇。室町幕府は足利義政。後土御門天皇時代は応仁の乱で宮中は極貧であったが、貧窮は自分の罪障が原因と考えて以下の和歌を詠じた。「誓ありと 思ひうる身に なす罪の 重きもいかで 弥陀はもらさむ」。 . . . 本文を読む
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今日は円融法皇が寛朝を戒師として御出家の日

2023-08-29 | 法話
寛和元 ( 985)年 八月二十九 日、円融法皇(注1)は寛朝(注2)を戒師として出家。「金剛法」となられる。日本紀略(注2。寛朝,祖父は宇多天皇(寛平法皇)。祖父寛平法皇の下で出家し、仁和寺寛空から灌頂を受ける。仁和寺別当・東寺長者・西寺別当・東大寺別当。広沢湖畔に遍照寺を建立。ここから廣澤流といわれるが廣澤流は益信・宇多天皇(寛平法皇)・寛空・寛朝と次第。天元四年981、宮中に五壇法を修した時 . . . 本文を読む
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今日は後柏原天皇が宸筆で「真如堂縁起絵詞」をお書きになった日

2023-08-29 | 法話
  大永元年1521八月二十九日には後柏原天皇が宸筆で「真如堂縁起絵詞」をお書きになった日   後柏原天皇宸筆「真如堂縁起絵詞一巻。真如堂極楽寺蔵」 「抑、本尊は慈覚大師の真作也。天長年中志賀郡苗鹿明神、神覚大師に対面有りて如法堂番神入衆望請ありける時、栢木柱一本彼明神より助成あり。此の木のもと切に毎夜光明を放つ間、大師恠給て打ちわりて見給ふに、一片は半座の佛體、一片は . . . 本文を読む
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大乗起信論・・その29

2023-08-29 | 諸経
復次に眞如の用とは、所謂く、諸佛如來、本と因地にあって大慈悲を発し、諸の波羅蜜を修して衆生を攝化し、大誓願を立て盡く等しく衆生界を度脱せんと欲して、亦た劫數を限らず未來を盡し、一切衆生を取ること己身の如くなるを以ての故に、而も亦た衆生の相をも取らず。此れ何の義を以てなりや。謂く如實に一切衆生及び己身とは眞如において平等にして別異無しと知るが故なり。如是き大方便智あるを以て、無明を除滅して本の法身を . . . 本文を読む
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今日は第六十四代円融天皇御出家の日

2023-08-29 | 法話
  「日本紀略」「寛和元 ( 985)年 八月二十九 日、円融法皇、寛朝を戒師として出家。金剛法。」 . . . 本文を読む
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今日8月29日は弘安の役で蒙古軍が壊滅した日です

2023-08-29 | 頂いた現実の霊験
今日8月29日は弘安の役で蒙古軍が壊滅した日です。弘安の役は 弘安4年5月21日(1281年6月16日)に蒙古軍が14万の大軍で博多に来襲したのに始まり、同年閏7月7日(8月29日)に日本軍の応戦と暴風のために壊滅しています。興正菩薩叡尊の伝記である「金剛仏子叡尊感身学正記」の記述によると、「・・・弘安四年(1281年)辛巳(叡尊)八十一歳、七月廿二日、浄住寺に参る。行阿比丘了意房先立ち入寺す。ま . . . 本文を読む
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大乗起信論・・その28

2023-08-28 | 諸経
・問曰。上には眞如は其體平等にして一切相を離ると説くに、云何んぞ復た體に如是の種種功徳ありと説くや。・答曰。實に此の諸の功徳の義有と雖も、而も差別の相無く、等同一味にして唯一の眞如なり。此義云何。無分別にして分別の相を離れたるを以て、是故に無二なればなり。・復た何の義を以て差別ありと説くを得るや。・業識の生滅の相に依って示すを以ってなり。・此を云何にして示すや。・一切法は本來、唯だ心のみにして實に . . . 本文を読む
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坂東観音霊場記(亮盛)・・・28/31

2023-08-28 | 先祖供養
  第三十番上総高倉(現在も第30番は平野山高蔵寺(高倉観音)) 上萼國望陀郡平野山高蔵寺は、人王四十一代持統天皇の御宇、朱雀年中、徳義道人の開基なり。本尊聖観世音菩薩は阿薩婆の梢に出現の靈像、長さ四寸余。後行基大士新に大像を彫み(一丈六尺)、小像を胸間に籠奉也。本尊御腹篭の小像は、素と聖徳太子の御持尊なり。太子佛像御信好の故に、百濟國王是を貢来る。後に大職冠鎌足へ賜はる。鎌足厚く此 . . . 本文を読む
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大乗起信論・・その27

2023-08-27 | 諸経
復た次に染法は無始より已來、熏習不斷なり。乃至得佛の後は則ち斷ずることあり。淨法の熏習は則ち斷あることなく未來を盡す。此義云何。眞如の法は常に熏習する故に、妄心は則ち滅し、法身顯現し、用熏習を起こす故に斷ずるあることなし。復た次に眞如の自・體・相は、一切の凡夫・聲聞・縁覺・菩薩・諸佛に増減あることなく、前際に生ずるに非ず、後際に滅するに非ず、畢竟常恒なり。本より已來、性として自ら一切功徳を滿足す。 . . . 本文を読む
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坂東観音霊場記(亮盛)・・・27/31

2023-08-27 | 先祖供養
  第廿九番下総千葉(現在も第29番は海上山千葉寺) 下総國葛飾郡千葉郷海上山観音院は千葉寺と名く。生身の観音説法の處なり。勅して三界六道青蓮千葉寺と號す。人王四十五代聖武帝の御宇、天平二年秋八月、行基大士武蔵國を経て當國の海邊を過玉ふ。前途、海を去ること不遠して池田の郷に大なる池あり。大士池中を臨見玉へば、水金色にして栴檀の香あり。彌視に中央に雲気集まり、雲中に微妙の聲有て、三界六 . . . 本文を読む
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坂東観音霊場記(亮盛)・・・27/31

2023-08-27 | 先祖供養
  第廿九番下総千葉(現在も第29番は海上山千葉寺) 下総國葛飾郡千葉郷海上山観音院は千葉寺と名く。生身の観音説法の處なり。勅して三界六道青蓮千葉寺と號す。人王四十五代聖武帝の御宇、天平二年秋八月、行基大士武蔵國を経て當國の海邊を過玉ふ。前途、海を去ること不遠して池田の郷に大なる池あり。大士池中を臨見玉へば、水金色にして栴檀の香あり。彌視に中央に雲気集まり、雲中に微妙の聲有て、三界六 . . . 本文を読む
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