観自在菩薩冥應集、連體。巻6/6・24/52
二十四願西尼観音の摩頂を得し事
願西尼は恵心僧都の妹なり。妹をば安養尼と云。願西出家してより以来堅固に戒を護り、衣服は僅に身を蔽ふばかり。持斉節食して尚命を支ふるばかりなり。受る所の施物は皆貧窮孤独の者に施し常に法華を誦して其の深義を解せられければ、観自在菩薩の現じて頂を摩で安慰し玉ふことを感得し、普賢菩薩の六牙の白象に乗じて来たりて室に入り玉ふを . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻6/6・23/52
二十三善為康並びに藤敦充の事
算学士善為康は越中の国射水郡の人なり。治暦二年(1066年)十八にして京に入りて、博士善為長に師とし事ふ。少年より能く如意輪の大呪(のうぼう あらたんのう たらやあや のうまく ありや ばろきてい じんばらや ぼうじさとばや まかさとばや まかきゃろにきゃや たにゃた おん しゃきゃらばりち しんだまに まかはんどめい . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻6/6・22/52
二十二行善法師の事
興福寺の行善法師は何の處の人と云事を詳らかにせず。
天正天皇の養老二年(718年)に高麗に入りて法を求るに、路に大河あり、橋絶て舟なければ心に観音を念じ奉るに、須臾に老翁舟に掉さして来て行尊法師を載せて岸に著て後、老翁も舟も俱に失せぬ。善、是観音の応現なることを知りて観音の形像を造て日夜に敬禮せられければ彼の国の人も大に貴みて . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻6/6・21/52
二十一行尊僧正修験の事
行尊僧正は小一条院(敦明親王の事。三条天皇の第一皇子。母は皇后・藤原娍子。藤原道長の圧力の前に自ら皇太子の身位を辞退し、その見返りに准太上天皇としての待遇を得た。)の子従三位源基平卿の四男なり。十二にして三井寺の明行の弟子となる。性頭陀を好み十七
にして潜かに寺を出て日本の名山霊区を巡礼し玉ふに、疲れて嵒間に臥せば神童枕を . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻6/6・20/52
二十宋の隆蘭渓並びに善哉餅不識羹の事
鎌倉建長寺の開山大覚禅師諱は道隆、字は蘭渓。宋國の西蜀涪江(ほうこう)の人なり。姓は冉氏、年十三にして成都の大慈寺に於て出家し、北宋の第二主太宗皇帝の淳祐六年に来朝して泉涌寺の来迎院に暫く寓居して鎌倉に赴くに最明寺時頼公帰依浅からず。即ち建長寺を営建して住せしむ。居ること十三年にして京都の建仁寺へ遷るに御嵯峨院 . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻6/6・19/52
十九松室の仲算大徳並びに浄蔵貴所の事、醒が井の事
仲算大徳は何れの所の人ということを知らず。空晴法師の弟子にして学内外を綜べ、尤も論議を能くし玉へども僧官を願ず、維摩の講師に召し玉へども三度まで人に譲り玉ふ。安和二年(970年)熊野山那智の滝の下に於て般若心経を講じ玉ふに、忽ち千手千眼の像を現じ、講じ已りて岩上に昇り、これより見へずと。或る人の曰く . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻6/6・18/52
十八観修僧正の事
解脱寺の観修僧正は紀氏なり。父母佛神に祷りて子を求むるに母星光懐に入ると夢見てより孕みて生まるる子なり。幼少より肉を食せず。或る時家人海月を食せしむるに児、病むこと数日瘡出て形海月に似たり。父母悔やみ歎て此の瘡速やかに差へば児を三宝に奉らんと云へば瘡即ち癒へぬ。年十一にして叡山に登りて静祐を師とす。前の日、祐夢みらく、沙門五六人白 . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻6/6・17/52
十七金龍寺千観内供の事
千観内供は橘氏なり。父母子の無き事を歎いて千手観音の像に祈りて得たる子なれば千観んとは云なり。母懐妊の時夢みらく、蓮華一茎を得たりと。依りて生ぜる子なれば實に観音の分身なりと思へるも理なり。三井寺に於て顕密の二教を学び性(ひととな)り慈順にして面に怒る色なし。応和二年(962年)に夏旱するに千観に雩し玉へと勅使ありければ、時 . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻6/6・16/52
十六天狗に摑まれしを観音の救玉ふ事
彦根城下知る人の家に往きて日晩に松尾に帰るに路に一人の大男あり。沙弥を提て去んとす。首をもたげて仰ぎ見れば山上に二童子あり。聲を挙げて「やれやれ松尾は其の方ではないぞ、此の方へ此の方へ」と呼ぶ。沙弥驚て二童子に随て行けば程なく寺中に帰れども誰も知る人なし。住持小僧の回へらざることを怪しみ翌日彦根に人を遣はして尋ね . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻6/6・15/52
十五恩融法師十一面観音の真言霊験の事
恩融法師と云人あり。何れの處の人と云事を知りがたし。勇猛に厳修して常に十一面観自在菩薩の真言を持念して効験を得られたり。一人の童子あり、常に給仕して粥斎を営む。或晨期を過ぐれども童子来たらず。怪しみて往きて見れば已に死す。恩融悲しみ憐れんで屍を撫でて十一面の陀羅尼(たにゃたおん だらだらじりじりどろどろ いだい . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻6/6・14/52
十四法勢法師普門品を守りとする利益の事
法勢法師は叡山の義真和尚(最澄と渡唐、初代天台座主)の弟子なり。承和八年(841年)近江國比良山下和邇村(滋賀県大津市和邇)を過ぎて民家に宿するに婦、俄かに病に狂気して曰く「師、観音普門品を読玉へ。我聴んと欲ふ」と。法勢常に普門品を頸に掛けたれども狂病人の言ことなればおぼつかなく思ひ「経本なし」と云ふ。婦人の . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻6/6・13/52
十三比叡山の宗順横死を免るる事
昔一條院の御宇(10世紀後半)に叡山に宗順と云人あり。長谷寺の観音にして詣して通夜せる夢に観音の現じ玉ひ告げ玉はく、「汝本寺に帰りなんときに釣鐘風の為に吹き落されて多くの坊舎を打ち破り人の命を多く失ふべし。汝も命亡ぶべしと雖も我を念ずるが故に此の度の命には代りて救ふべきものなり」と。夢覚めて宗順つくずくと思ふやう「何 . . . 本文を読む