福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

福聚講とは

「福聚」は観音経の「福聚海無量」からとりました。 神仏は苦悩する衆生を救うためにこの世に示現されています。 私自身いままで無数のお蔭を頂いてきました。特に四国遍路では末期がんの人、重度の鬱病の人など多くの縁者の病が快癒しました。その後も 続々とお蔭をいただいています。この講でひろめたいのは、困ったときは、古くからの神社仏閣に必至に祈願すれば、必ず救われるということです。 日本列島には十五万以上の神社仏閣があります。各神社仏閣のご本尊・主祭神から路傍のお地蔵様道祖神までも今現在、日夜を問わず衆生済度に獅子奮迅のお働きをされています。神仏の世界は厳然として存在します。このブログではいただいた霊験や法話を中心に書いていき世界はおかげで溢れていることを証明するとともに、日本中の家庭・地域・霊場で神仏を一体としてお祀りすることを推進していきたいと願っています。そしてこれらのお参り・修行は究極的には自身の中の仏様を掘り出すためです。霊験は自身のなかの仏さまと宇宙の仏さまの加持感応によります。

光明真言念誦と十善行のお願い

『「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」 今日本は相次ぐ大災害に見舞われています。今後も大災害が起こるようです。この光明真言は大日如来の最も有難いご真言で、その功徳は広大無辺です。無限の罪障を消滅し、唱える人に無量の福徳をもたらし、亡者を速得往生せしめるとされます。この有難い光明真言を随時おとなえして犠牲者菩提ひいては国難突破を祈願していただきたいと考えます。是非一人でも多くの方にお唱えしていただき日本列島が光明真言で蔽われることにより今後は悲惨な災害被害が少しでも軽減されることを願っています。光明真言の功徳はここにあります。また、十善行に努め少しでも国土を清めていただければと願います

現地集合です

福聚講のお参り予定は当分未定

今日は神泉苑請雨経法の験があった日

2023-06-09 | 法話
日本紀略 / 長和五年(1016)六月九日辛巳条「九日辛巳 権大僧都深覚(注1)、神泉苑に於いて請雨経法を修せらる 炎旱による也。 然間 未剋(未の刻・14時ころか) 大雨降る。」天皇は後一条天皇。摂政は道長。(注1)、深覚は禅林寺大僧正・石山大僧正。寛朝に伝法灌頂をうけ呪験に通じ法験をうること数度。観修・勝算とともに瑜伽三傑と称えられる。京都禅林寺、東大寺別当、東寺長者をへて石山寺。晩年,高野山 . . . 本文を読む
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今日は旱で全国の神社に金剛般若経を読誦させた日

2023-06-09 | 法話
日本三代実録 / 貞観八年(866)六月九日壬午条「九日壬午 五畿七道に奉幣し境内諸神に兼て金剛般若経を転読せしむ 。旱也」天皇は清和天皇。 「日本三代実録」貞観八年十月八日条には、「備中国哲多・英賀両郡百姓復二年を給ふ。旱疫を以て也。」とあり旱で二年の税を猶予したとあります。旱がよほどひどかったと思われます。こうしたときには天皇はちゃんと免税をおもなっています。 . . . 本文を読む
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今日は増賀上人入定の日

2023-06-09 | 法話
扶桑略記に「長保五年(1003)六月九日、辰時、増賀上人、大和国十市郡今橋山多峰南無房に入滅す。年八十七.西方に直向し金剛合掌、居乍ら遷化。仍て棺に入れず。轝(こし)をつくって葬送す。晝は法華経疏を披き終日倦むことなし。夜は弥陀念仏を修す。通宵不眠、之を以て其の一生の行業と為す。少なくして叡山に昇り、学業日に進み、忽ちに菩提を慕ふ。現狂遁去。其の後数十年余、偏に往生を期し、他事に交らず。」 「棺に . . . 本文を読む
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今日は良忍が鳥羽上皇より融通念仏弘通の許可を得た日です

2023-06-09 | 法話
今日は良忍が鳥羽上皇より融通念仏弘通の許可を得た日です。以下大念仏寺ホームページ等に依ります。「・・(良忍上人は)『後拾遺往生伝』『三外往生記』等に見え、真摯な念仏行者であり、法華経の修行僧であったことが窺えます。また『一切経を披閲し』とあるのは、大原来迎院に『如来蔵』という書庫を建て、仏教の典籍に親しまれたことを指しています。良忍上人は大原来迎院に隠棲して念仏修行に明け暮れていた四十六歳の永久五 . . . 本文を読む
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藤吉地蔵様のこと

2023-06-09 | 頂いた現実の霊験
藤吉地蔵様のこと「観音の霊験」中根環道(明治・昭和期の教育家、曹洞宗僧侶。鶴見大学理事長兼校長、駒沢大学学長)の本に死刑囚も観音様のお導きで大往生しお地蔵様になったという不思議な有難い話が載っていました。要約すするとこうです。当時一世を風靡した大博徒の武部申策から聞いた話として以下の様に書いています。「昭和7年滝野川で強盗殺人を犯し死刑宣告を受けた藤吉という男がいた。どういう訳か自分が博徒であると . . . 本文を読む
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今日は足利義満が五壇法を修せしめた日

2023-06-08 | 法話
続史愚抄/ 文中三年(1374)応安七年六月八日条「八日 常住院大僧正良瑜(注1) 五壇法(注2)ヲ義満ノ第(邸)ニ修シ 三星合(注3)ヲ祈祷ス」この時代、天皇は、南朝が長慶天皇、北朝が後円融天皇。室町幕府将軍は足利義満。(注1)ウキぺデアには「良瑜」・・天台寺門宗の僧侶。二条兼基の子。園城寺長吏(108・112・120世)。 実相院の増仁に伝法灌頂を受けた後、園城寺に入って良慶・道瑜に学ぶ。園城 . . . 本文を読む
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今日は道雄ご入滅の日です

2023-06-08 | 法話
今日は道雄ご入滅の日です。高野春秋に「仁寿元年六月八日、権少僧都伝燈大法師位道雄乙訓寺に遷化。道雄はじめは華厳宗なり。後高祖に随逐して入室資となる。」道雄は大師十大弟子の一人。大師と同族佐伯氏。実恵の親族。また、一説には円珍の伯父ともいわれる。海印寺開基。初め法相の慈勝に唯識を学び次いで東大寺の長歳に華厳・因明を学び華厳七世。後大師の資となる。 海印寺を開創し真言・華厳兼学とする。(密教辞典等) . . . 本文を読む
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人に二種あり。一には信。二には不信

2023-06-08 | 諸経
  大般涅槃経梵行品第二十の一 「・・善男子。人に二種あり。一には信。二には不信。菩薩當に知るべし、信は是れ善。不信者は名けて善と為さず。復次に信に二種あり。一には常に僧坊に往く。二には往かず。菩薩、當に知るべし、其の往く者は善、其の往かざる者は名けて善と為さず。僧坊に往く者に復た二種あり。一には禮拜す。二には禮拜せず。菩薩當に知るべし、禮拜者は善、不禮拜者は名けて善と為さず。其の禮 . . . 本文を読む
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今日は光明皇后崩御の日です

2023-06-07 | 法話
光明皇后は天平宝字4年6月7日(760年7月27日)60歳で崩御されています。皇后は篤く三宝に帰依され、東大寺・国分寺・正倉院の設立に関与され「悲田院」、「施薬院」を設けられました。(続日本紀、巻十に「天平二年(七三〇)四月辛未【十七】》○辛未。始置皇后宮職施薬院。令諸国以職封并大臣家封戸庸物充価。買取草薬。毎年進之」とあります)。光明皇后については、以下のような素晴らしい伝説が残っています。「光 . . . 本文を読む
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今日は長雨で室町幕府が止雨を祈らせた日です

2023-06-07 | 法話
東寺百合文書/ 永享三年(1431)六月七日条「七日 幕府 東寺及ビ醍醐寺三宝院ヲシテ 晴ヲ祈ラシム」(天皇は後花園天皇。室町幕府は第六代足利義教。義教は悪将軍といわれるように恐怖政治をしていましたが、将軍になる前は青蓮院門跡として僧侶でもあったので民草の為にこういう祈祷をさせるという一面も持っていたのでしょうか) . . . 本文を読む
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盲目の女が、薬師仏への祈願によって開眼した霊験。二談。

2023-06-07 | 頂いた現実の霊験
盲目の女が、薬師仏への祈願によって開眼した霊験。二談。 「二つの目盲ひたる女人の、薬師仏の木像に帰敬して、以て現に眼を 明くこと得し縁」(『日本霊異記』下巻第十一)」 「諾楽(なら)の京の越田の池の南の蓼原の里の中の蓼原堂(平城京の左京九条四坊にあった)に、薬師如来の木像在り。帝姫阿部の天皇(称徳天皇)のみ代に当りて、其の村に二つの目ながら盲ひたる女有りき。此れが生める一の女子、年は七歳なり . . . 本文を読む
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今日は高野聖の祖・蓮待上人遷化の日

2023-06-07 | 法話
  高野春秋・「(承徳二年1098戊寅)六月七日、(蓮)待師、服を樹下に整へ西方を向て定印を結び佛號(南無三身即一阿弥陀如来、南無弘法大師遍照金剛菩薩)を唱へ、安祥として寂す。香気芬馥、結縁の人群参焉。」 蓮待は、平安後期の真言僧。高野聖の先駆。仁和寺で修学したのち,金峰山で塩穀を断つ苦行に励み,次いで高野山に入った。久しく諸国を遍歴し,晩年病んで聖地で入滅すべく再び高野山に戻る。極 . . . 本文を読む
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お日様を拝んだ盲目の少女

2023-06-07 | 法話
以前こういう記事を見たことがあります。いい記事でしたので趣意を載せておきます。其の人は盲学校の教頭先生でした。「自分は校長試験に落ちて荒れくれた気持ちでいたが、仕事なので朝いつものように校門に立って登校する児童に挨拶をしていた。小春日和であったが自分の気持ちは荒んでいた。すると女子児童が登校してきて校門の前で深々と手を合わせているのを見た。『どうしたの?』ときくと盲目の児童は『お日様が照ってくださ . . . 本文を読む
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今日は西田幾多郎の命日です。

2023-06-07 | 法話
今日は西田幾多郎の命日です。西田 幾多郎は 1945年(昭和20年)6月7日に75歳で鎌倉姥ケ谷の自宅で、尿毒症により死亡。北鎌倉の東慶寺に墓地があります。以前知人の墓参りに行ったとき東慶寺の知人墓地の近くにこじんまりと西田の五輪塔の墓がありびっくりしたことを覚えています。此の墓を見て改めて、西田の苦労、肉親(姉・弟・娘2人・長男)の死、父の破産、一度目の妻との離縁などを思い出し悲劇の哲学者であっ . . . 本文を読む
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今日は光格天皇が庶民救済を幕府に申しいれる元になった「御所千度参り」が始まった日

2023-06-07 | 法話
今日は光格天皇が庶民救済を幕府に申しいれる元になった「御所千度参り」が始まった日。以下ウキぺデア等に依ります。天明期には飢饉・浅間山の大噴火等で天明七年五月には天明の打ちこわしが始まっています。御所千度参りは、天明7年6月7日 (1787年7月21日)に発生した、京都御所を神社仏閣に見立ててその周囲を多数の人々が廻り、千度参りをして飢餓の救済を祈った事件。 この御所千度参りは、天明7年6月7日頃か . . . 本文を読む
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