今日は山本玄峯老師ご遷化の日です。老師は昭和36年6月3日竜択寺自坊で断食後に遷化されています。96歳でした。午前一時に当番で就いていた中山玄寿老師に「旅に出る、着物を用意せよ」とおっしゃり其の儘遷化されたということです。(「明治の仏教者」)慶応2年、和歌山県東牟婁郡本宮町の湯の峰温泉で私生児として生まれ、路傍に放置されていたのを 素封家岡本善蔵・とみえ夫妻にもらわれ養子となる。 16歳で筏流しと . . . 本文を読む
今日は村上天皇が水旱・疾疫消除の為十四の神社に仁王経を読ましめた日「日本紀略」(村上天皇)「天徳元年957六月三日、戌午、定、十四社に於いて仁王経を読ましむること。社毎に僧綱一口、十口僧を率ふ。是今年は三合の年にて水旱・疾疫の災絶へざるに依る。」
天暦十一年十月には旱と飢饉で天徳に改元しています。相当ひどかったと思われます。神社に当然のこととして納経しています。 . . . 本文を読む
今日承和七年六月三日は常曉が法林寺で太元帥法を行うことを勅許された日です。続日本後紀卷九に「承和七年(八四〇)六月丁未【三】》○丁未。入唐請益僧傳燈大法師位常曉言。山城國宇治郡法琳寺。地勢閑燥。足修大法。望請。今般自大唐奉請太元帥靈像秘法安置此處。爲修法院。保護國家。不關講讀師之攝。許之。」大元帥法は大元帥明王を本尊として、怨敵・逆臣の調伏、国家安泰を祈って修される法。承和6年(839年)常暁が唐 . . . 本文を読む
日本紀略 / 天徳元年(957)六月三日戊午条「三日戊午 定め、十四社(注1)験所に於いて 仁王経を読ましむ亊 毎社僧綱一口、 十口僧を率い 是依、今年は三合の年(注2)に当たる。水旱疾疫之災絶へて不らしむべし」(注1) 上七社(伊勢・石清水・賀茂・松尾・平野・稲荷・春日)、中七社(大原野・大神・石上・大和・広瀬・竜田・住吉)(注2) 陰陽道でいう厄年の一。太歳・太陰・客気の三神が合すること。災害 . . . 本文を読む
信仰してもなお種々の障害がおこることがある、其の時は休まずより勇猛信心せよ
「若し人信心を修行すと雖も、先世より来、多く重罪悪業の障あるを以ての故に、魔と邪と諸の鬼との為に悩乱せられ、或は世間の事務の為に種々に牽纏せられ、或は病苦の為に悩まされ、是の如き等の衆多の障礙あらん、是の故に、まさに勇猛に精進して昼夜六時に諸仏を礼拝し、誠心に懺悔し、勧請し随喜して、菩提に廻向すべし。常に休廃せずんば、諸 . . . 本文を読む
續日本紀巻二十四「天平寳字六年762六月庚戌(三日)・・又一には朕菩提心發すべき縁に應るらしとなも念す、是を以って(第四十六代孝謙天皇は)出家し佛弟子と成りぬ」)
これは淳仁天皇が不孝であることをもって仏門に入ると表明したものとされます、此の時さらに国家の大事である政務を自分が執ると宣言しています。
称徳天皇は史上6人目の女性天皇でこの称徳天皇以降は、江戸初期の第109代明正天 . . . 本文を読む
あるお大師様信者の話です。「私は和歌山県西牟田郡に生れました。小学校の時はおばあちゃんに連れられて三里の道を田辺のお大師様のお参りにっておりました。その後結婚して岸和田に住みましたがこのころ如何しても書き残しておきたいことが起こりました。そのころは天然痘がはやっておりました。毎日のように友人が入院し、近所を消毒しておりました。そんな中、主人も天然痘にかかってしまったのです。腫れ物が出来、熱があがっ . . . 本文を読む