福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「公家(朝廷)の仁王講を修せらるる表白」

2024-07-19 | お大師様のお言葉
今日天長二年825七月十九日はお大師様(御年52歳)が「公家(朝廷)の仁王講を修せらるる表白」を選せられた日です「公家(朝廷)の仁王講を修せらるる表白」(続性霊集補欠抄)[おおいなるかな三尊、六趣に耶嬢(父母)なり。殿(宮殿)を大虚の無際に構え、都を妙空の不生に建つ。五眼(肉、天、恵、法、佛)高うして赫日の光儔(ともがら・・類)に非ず。四量(慈・悲・喜・捨の四無量心)普く覆うて靉雲(雲がさかんに覆 . . . 本文を読む
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弘仁五年七月八日は大師が嵯峨天皇に梵字悉曇字母幷釈義一巻、古今文字讃三巻等を献じた日です。

2024-07-08 | お大師様のお言葉
  ・弘仁五年七月八日は大師が嵯峨天皇に梵字悉曇字母幷釈義一巻、古今文字讃三巻等を献じた日です。 「梵字幷に雑文を献ずる表 沙門空海言す。空海聞く、帝道、天に感ずるときは則ち秘録必ず顕はれ、皇風、地 を動かすときは則ち霊文聿めて興る。故に能く龍卦亀文は黄犠を待つて以て用を標は し、鳳書・虎字は白姫を候つて以て体を呈はす。於焉縄を結ぶこと廃れて三墳燦爛た り。木を刻むこと寝んで五典鬱 . . . 本文を読む
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有情の業寿、この日ながく断じ

2024-07-02 | お大師様のお言葉
大師の性霊集「前の清旦州、亡妻の為の達嚫(だっしん)」には「伏して願わくは此の法力をもって先霊を開悟せしめむ」とあります . . . 本文を読む
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今日は大師が満濃池修築別当に任ぜられた日です

2024-05-27 | お大師様のお言葉
弘仁十二年(821年、大師御年四十八歳) 五月二十七日、大師は讃岐国満濃池の修築別当に任ぜられています。 (弘法大師全集) 「高野大師御廣伝」には「請傳燈大法師位空海宛築満濃池別当状」があります。それには「・・浜継等、去年より修築を始めるが池大にして民少なし、築いまだならず、・・件僧空海・・道俗欽風、民庶望景、いればすなわち生徒市をなし、出ればすなわち追従するもの雲の如し、・・百姓恋慕すること父母 . . . 本文を読む
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今日は東寺にて夏安居を開催し、「守護国界主陀羅尼経」を講ずることとされた日

2024-04-08 | お大師様のお言葉
・天長二年825四月八日、東寺にて夏安居を開催し、「守護国界主陀羅尼経」を講ずることが勅許されています。大師御年52歳でした。東宝記に「応令東寺安居講守護国界主経事牒太政官今月七日下治部省符偁右大臣宣奉勅許経宣令真言宗僧、毎年夏中永講彼寺消禍修福降雨止風饒益年穀擁護邦家宣承知依宣行之者絶所察此依宣令行故牒天長二年四月八日・・」 . . . 本文を読む
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今日三月三十日は大師が比叡山に登られて西塔釈迦堂の落慶供養をされた日です。

2024-03-30 | お大師様のお言葉
今日三月三十日は大師が比叡山に登られて西塔釈迦堂の落慶供養をされた日です。大師は六一歳でした。当時伝教大師はすでに崩御されていました。弘仁十三年822六月四日「天台座主記」によると「承和元年834三月三十日西塔院供養檀主 座主円澄年六十三両塔内供建立主私号寂光大師導師 元興寺護命僧正 年八十五呪願 空海大僧都 年六十一讃 真済 年三十五梵音 光空 年五十六円仁 年四十 一錫杖 安恵 年四十一恵亮  . . . 本文を読む
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今日は大師が「十喩を詠ずる詩」を撰せられた日です

2024-03-01 | お大師様のお言葉
今日天長四年三月一日は大師が「十喩を詠ずる詩」を広智禅師に贈られた日です。大師の「十喩を詠ずる詩」です。「十喩を詠ずる詩一、如幻の喩を詠ず吾、諸法を観ずるに譬ば幻の如しすべてこれ衆縁の合成するところなり一箇の無明ともろもろの行業と中にあらず外にあらず凡情を惑わす三種の世間は能所の造なり十方の法界は水蓮城(蓮華蔵世界、仏の世界)なり空に非ず有にあらず、中道を越えたり(中道にもとどまらない)三諦宛然と . . . 本文を読む
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人の為こそ我が為とはなれ

2024-02-26 | お大師様のお言葉
「我が為をなすは我が身の為ならず、人の為こそ我が為とはなれ」ということわざがあります。これこそ俗世の真理です。自分もこの言葉がもっと早く身についていれば余計な苦労をしなくて済んだかもしれません。1、仕事でも自分が助かる方法は人を助けること。出世している人は自分の功績を独り占めしていません。必ず周囲の人のお陰で成功したといいます。ノーベル賞受賞者も必ず周囲の人のお陰といっています。IPS細胞の山中教 . . . 本文を読む
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今日二月十日は大師が西明寺に移られた日です。

2024-02-10 | お大師様のお言葉
今日二月十日は大師が西明寺に移られた日です。御請来目録に「延暦二十四年805仲春十一日、大使等、軔ながえを本朝に旋めぐらす。ただ空海のみ、孑然けつぜんとして、勅に准じて西明寺の永忠和上の故院に留住す。ここにおいて城中を歴て名徳を訪ふに偶然にして青龍寺東塔院の和尚、法の諱は恵果阿闍梨に遇ひ奉る」このとき大師は御年丗二歳。(西明寺は7世紀に高宗と武則天が祇園精舎を模して建てたものといわれ、長安随一の名 . . . 本文を読む
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今日は大師が「酒人の内公主がための遺言」を代筆された日

2024-01-20 | お大師様のお言葉
今日弘仁十四年823正月廿日は大師(50歳)が「酒人の内公主がための遺言」を代筆された日です。この酒人の内親王(光仁天皇の王女)はなかなかさばけた人で、すでに逆修をおわっているので 簡素にせよ・・といっています。いまでも大変参考になる遺言です。「酒人の内公主がための遺言(酒人の内親王は光仁天皇の王女。天長六年八月に薨ぜられたので大師が遺言を代筆されたもの)」われ式部卿と大蔵卿と安敕(あと・桓武天皇 . . . 本文を読む
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今日弘仁六年一月十日は大師が小野陸奥守に餞別の歌を贈られた日です

2024-01-10 | お大師様のお言葉
・今日弘仁六年一月十日は大師が小野陸奥守に「野陸州に贈る歌并(なら)びに序」を贈られた日です(弘法大師全集および性霊集による)。「戎狄馴れ難く辺笳感じ易し。古より有り、今何ぞ無からむ。公、大廈の材を抱いて、出でて犲狼の境を鎮む。堂中には久しく定省の養を闕き、魏闕には遠く龍顔の謁を阻てたり。天理歓然に合へりと云ふと雖も、人の情豈感歎無からむや。貧道と君と遠く相知れり。山河雲水何ぞ能く阻てむ。白雲の人 . . . 本文を読む
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今日12月19日はお大師様が御修法の奏上をされた日です。

2023-12-19 | お大師様のお言葉
今日12月19日はお大師様が御修法の奏上をされた日です。お大師様は承和元年十二月 乙未(834年12月19日)に御修法の奏上をされています。「宮中真言院の正月の御修法の奏上承和元年十二月 乙未 大僧都傳燈大法師位空海上奏して曰さく。空海聞く。如来の説法に二種の趣あり。一には浅略趣、二には秘密趣なり。浅略趣といふは諸経のなかの長行偈頌これなり。秘密趣とは諸経のなかの陀羅尼、是なり。浅略趣とは、太素、 . . . 本文を読む
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今日12月14日は高尾山にて大師が胎蔵結縁灌頂を開壇され、伝教大師等入壇

2023-12-14 | お大師様のお言葉
今日弘仁3年12月14日は高尾山神護寺にて大師が胎蔵結縁灌頂を開壇され、伝教大師・賢栄・泰法・忠栄・泰範・長栄等の高僧二十二人他、沙弥・近事・童子等145人が入壇した日です。灌頂歴名には「弘仁三年十二月十四日 於高尾山寺受胎蔵灌頂人々歴名 都合一百卌五人 之中太僧廿二人、沙弥卅七人、近事卌一人、童子卌五人  太僧衆数廿二人 一僧最澄興福寺宝幢 二僧賢栄元興寺大白明 ・・」とあります。畏れ多いことで . . . 本文を読む
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今日は三教指帰が書かれた日です

2023-12-01 | お大師様のお言葉
今日は大師の「三教指帰」が書かれた日です。三教指帰序末に「時に延暦十六年臘月の一日なり」とあります。三教指帰は、大師が24歳の延暦16年12月1日(797年12月23日)に成立、出家宣言の書とされています。序文の「支離懸鶉(不具・貧者)をみてはすなわち因果の哀しみ休まず。目に触れて我を勧む。誰か能く風を係がん」には大師のすべてが現れているように思います。「誰か能く風を係がん」とは逆に如何に親を含め . . . 本文を読む
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今日は實恵等が嵯峨上皇の「海上人を哭する」詩に答えて「恩勅の詩篇を謝する表」を奉じた日。

2023-10-18 | お大師様のお言葉
承和二年835十月十八日實恵等が嵯峨上皇の「海上人を哭する」詩に答えて「恩勅の詩篇を謝する表」を奉じた日。(大師年表等)「門弟實恵等上表し恩勅の詩篇を謝す」「草上の僧實恵等聞く、徳廣きときは則ち物懐かざるなく、仁廣きときは則ち恩こうむらざるは無し。信なる哉、斯の言、今日七日、伏して御製の手札先師を哭するの詩を奉ず。宸章高臨、下土を照曜す。生死栄龍永く無窮に伝ふ。非幸非幸。伏して惟んみれば太上皇帝陛 . . . 本文を読む
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