・今日30日は大師が「弘仁の遺誡」を定められた日です。ここでは大師は十善戒・三昧耶戒を守れない者は出ていけ、とおしゃっています。弘仁の遺誡(高野大師御広伝等による)「四年仲夏晦。製遺誡云。諸の弟子等に語ぐ。凡そ出家修道は、もと仏果を期す。更に輪王梵釈の家を要めず。豈況んや、人間少少の果報をや。発心して遠渉せんには、足にあらざれば能はず。仏道に趣向せんには、戒にあらざれば寧んぞ至らんや。必ず須く顕密 . . . 本文を読む
弘仁十年五月十七日は大師が筑前の王大守宛に病気平癒の為に金剛般若経転読し快癒を喜ばれた日です。「筑前の王太守宛 弘仁十年五月十七日前に寝膳乖和(寝食不調)すと承る。すなわち諸の弟子らを率いて「金剛般若経」を転読すること一七日。前に人の伝え説るあり。王太守久しく風疾に染むと。たちまちこの言を聞いて驚憂これ深し。香を焚き誠を投じて諸仏の威護を祈る。今、音札(音信)を披きて、平達を華下に承る(快癒の様 . . . 本文を読む
今日5月7日は勤操大徳が七十四歳で入滅された日です天長四(827)年五月七日に大僧都であった勤操大徳が七十四歳で入滅されています。お大師様の『性霊集「故贈正勤操大徳影讃」』に勤操大徳について記述されています。「故贈正勤操大徳影讃いかだはよく済し、車はよく運ぶ。しかれどもなお、御する人なければ遠きに致すこと能わず。柁の師なければ深きを越ゆること能わず。道もまたかくの如し。人を導くものは教なり。教を通 . . . 本文を読む
大唐神都青龍寺故三朝國師灌頂阿闍梨耶恵果和上之碑 日本國學法弟子 苾蒭空海撰文并書俗之貴ぶ所者五常、道之所重者三明。惟忠惟孝。聲を金版に彫る(名声を彫って伝える)。其徳天の如く、盍んぞ石室に蔵めざらん乎。甞試に之を論ずるに不滅者法也。不墜者人也。其法誰ら覺する、其人何在る。乎爰に神都青龍寺東塔院大阿闍梨法諱恵果和尚者あり。大師掌を法城之行崩に拍って迹を昭應之馬氏に誕ず。天は清粹を縦にして、地は神霊 . . . 本文を読む
「高野春秋」「(承和二年835)夏五月三日、奥の院石室中に殯斂し奉る。秘蔵記に云、高祖此の室中に卜す。金剛定門に入り慈氏の下生を期す。注に曰く、件の石室とは、六尺間三間也。三六十八尺は金剛頂十八会を表示す。中心に蓮華座あり、花蔵世界を標顕す。扉三尺八寸は三十七尊を擬するなり。」 . . . 本文を読む
今日は大師が高野山で三鈷杵を得られた日
「高野春秋」
「弘仁七年816丙申五月三日。本朝真言根本高祖傳燈大阿闍梨位空海和尚、行年四十三、紀州伊都郡高野山に攀登され、大唐明州津より投るところの三鈷杵を感得さる。是れ神助に依る也。
三鈷記に云、帰朝纜を解くの浜、東方に紫雲起こるを見る。而して黙祈し我所学の密教流布相応の地有らば吾より先んじて早く日域に到い之を點 . . . 本文を読む
続性霊集八巻、藤左近将監、先妣の為に三七の斎を設くる願文「先師に聞けり、色を孕むものは空なり、空を呑むものは佛なり。佛の三密何処にか遍ぜざらん。佛の慈悲、天の如くに覆い、地の如くに載す。悲は苦を抜き、慈は楽を与う。いわゆる大師、豈に異人ならんや。阿里也摩訶昧怛羅冒地薩埵(ありやまかまいたらやぼうじさった、弥勒菩薩のこと)すなわちこれなり。法界宮に住して大日の徳を輔け、都史殿に居して能寂の風を扇ぐ( . . . 本文を読む
天長二年825四月二十日には勅を奉 じ て東寺講 堂を創建、仁王經大法を修されています。 講堂 は五佛 五菩薩 五大明王六天の二十 一尊を安置せる道場 で、仁王護國般若波羅蜜多經の曼茶羅を造立したも のであり、鎭護國家の精神を最もよく發揮 してゐる。(年譜九、 二八三。高祖大師の鎮護国家思想とその事蹟 . . . 本文を読む
今日は明恵上人が夢で御大師様に即身成仏の印を教わった日です
(夢記・長承四年1135四月廿日)「酉剋許、行法の間、自ら、阿弥陀佛は是大日如来成菩提の一徳なり。而して我今口誦の真言手握念珠之を勤行す。即ち是成仏の行なり。所以は何と云ふと思惟す。口に云う念珠経、観音自在王如来也。然れば即身成仏の種子はキリク字(梵字)にやと、思念の間、非夢非覚に後方に吾が大師、仰せられて云く、『即身成仏の種子には阿字 . . . 本文を読む
三昧耶戒序遍照金剛撰若しそれ一千二百の草藥、七十二種の金丹は身病を悲しんで方を作り。一十二部の妙法、八萬四千の經教は心疾を哀れんで垂訓す。身病百種なれば即ち方藥一途なることあたわず。心疾萬品なれば則ち經教一種なることを得ず。是故に我大師薄伽梵(仏) 種種の藥を施して、種種の病を療したまふ。五常五戒は(仁義礼智信、不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)即ち愚童持齋之妙藥なり。六行四禪は(下界を厭う . . . 本文を読む
今日4月13日は大師が勤操大徳の讃を撰せられた日です。天長四(827)年五月七日に大僧都であった勤操大徳が七十四歳で入滅されています。お大師様の『性霊集「故贈正勤操大徳影讃」』に勤操大徳について記述されています。「故贈正勤操大徳影讃いかだはよく済し、車はよく運ぶ。しかれどもなお、御する人なければ遠きに致すこと能わず。柁の師なければ深きを越ゆること能わず。道もまたかくの如し。人を導くものは教なり。教 . . . 本文を読む
四国霊験記には、霊夢でここの温泉に浴すれば癩病がなおるとつげられた遍路の一向がそのとおりに快癒したので21回の遍路をしたとあります。「この霊閣に吾が作りし薬王仏この地に湧でる温泉あり。この湯に七度入湯して薬師の陀羅尼を一心に念じて懺悔を行するその時ハ忽ち業病平癒致し本の姿となし得さすぞ。この時剃髪善衣を着し道心修行を致すべし、と御霊夢受けて皆目をさまし互いに顔を打ち眺め夢想の御告げを尊んで有り難涙 . . . 本文を読む
「金剛般若經開題」(弘法大師)
「今斯の蘇多覽を釋すに略して二趣あり。一には顯略、二には深祕なり。
顯略趣とは、多名句を以て一義理を詮ずる是也。深祕
とは、一一名句中に無邊の義理を含する是也。
初門に就きて又二あり。所謂、唐梵二國の説是れなり。梵淺略とは又二あり。初は題目について釋し、次は經文について釋す。
題額の淺略とは謂く、バザラセイジキャハラジニャハラミタソタラン
の十三字は四名 . . . 本文を読む