福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は大師が「元興寺の僧中璟が罪を赦んことを請う表」を書かれた日です。

2024-07-26 | お大師様のお言葉
今日弘仁五年閏七月二十六日は大師が「元興寺の僧中璟が罪を赦んことを請う表」を書かれた日です。 「沙門空海言す。空海聞く、刑を緩うするの文顕はれて前書にあり。責を宥むるの言、嚢策(昔の書)に聞こえたり。之を以て草纓艾韠(そうあいがいひつ、尭舜の世の獄衣)、美を垂拱の年に揚げ(獄衣を着せただけで世が治まるという美風)、赭衣畫冠(しゃいがかん、秦時代、赤い獄衣と冠に罪名を書くもの)、誉を無為の日に流す . . . 本文を読む
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今日天長四年七月二十四日は大師が、藤原冬嗣三回忌の願文を書かれた日です。

2024-07-24 | お大師様のお言葉
今日天長四年七月二十四日は大師が、藤原冬嗣三回忌の願文を書かれた日です。   「右将軍良納言(良岑安世)開府儀同三司左僕射(藤原冬嗣)のために大祥(三回忌)の斎を設くる願文 奇きかな、逸婀の徳(奇特にすぐれた徳を有せるのは一つの阿すなわち胎蔵界大日の梵字阿である)。皇いまるかな五転の鑁(広大な徳を持つものは金剛界大日の梵字鑁である,これは発心・修行・菩提・涅槃・方便の五転の徳を有す . . . 本文を読む
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今日は嵯峨天皇が大師に「富壽神宝」二万銭を賜った日

2024-07-23 | お大師様のお言葉
今日弘仁十二年821七月二十三日は嵯峨天皇が大師(四十八歳)に新銭「富壽神宝」二万銭を賜った日です。(弘法大師全集・年譜。) 「日本紀略」(弘仁十二年821七月)「丁巳(二十三日)、新銭二万を空海法師に施す」 . . . 本文を読む
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今日は大師が「公家の仁王講を修せらるる表白」を書かれた日です

2024-07-19 | お大師様のお言葉
・今日は天長二年七月一九日大師が「公家の仁王講を修せらるる表白」を書かれた日です。   仁王経が大切な護国の経典であることが分かります。   「公家(朝廷)の仁王講を修せらるる表白 唐(おお)いなるかな三尊(仁王経の教主たる釈迦如来、脇侍の普賢・文殊菩薩)、六趣(六道)に耶嬢(父母)たり。殿を太虚の無際に構え(あまねく法界を宮殿とし)、都を妙空の不生に建つ(都を真空の . . . 本文を読む
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今日は大師が三島大夫亡息女の追善法要を修された日です。

2024-07-18 | お大師様のお言葉
  今日天長六年七月十八日は大師が三島大夫為亡息女の追善法要を修された日です。     『性霊集』巻八「三島大夫為亡息女写経供養法華経講説表白文」より 弟子正五位三嶋真人助成、三宝に帰命し奉る。それ恒河の女人(子を抱いてガンジスを渡ろうとして共に溺れた女人がその善根力により天上にうまれお釈迦様の授記を得た話(大乗本生心地観経))は子を愛するによって天上に生じ . . . 本文を読む
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今日はお大師様が求められて劉希夷の詩集四巻を奉納された日です。

2024-06-27 | お大師様のお言葉
今日はお大師様が求められて劉希夷の詩集四巻を奉納された日です。今日弘仁二年811六月二十七日はお大師様(38歳)が求められて劉希夷の詩集四巻を奉納された日です。「劉希夷が集を書して献納する表」「劉希夷が集四巻、本を副えたり。右、伏して小内記大伴氏が上宣を奉って書取して奉進す。ただ恐らくは久しく揮翰を韞つつんで筆意に勝はず。強ひて書して空しく珍紙を汗すことを免れざるをことを。王昌齢が詩の格一巻、これ . . . 本文を読む
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今日6月19日は大師が高野山下賜を願う表を上表された日です

2024-06-19 | お大師様のお言葉
弘法大師「紀伊の国伊都の郡高野の峯にして入定のところを請け乞はせらるる表」 「沙門空海言す。空海聞く。山高きときは雲雨物をうるおす、水積もるときは魚龍産化す。是の故に耆闍(ぎじゃ)の峻嶺には能仁の迹休せず(霊鷲山ではお釈迦様が説法されている)孤岸の奇峯には観世の跡相続す(観音の霊験が続いている)。其の所由を尋ぬれば地勢自ら爾るなり。又台嶺の五寺に禅客肩を比し(中国山西省五台県にある文殊菩薩の聖地と . . . 本文を読む
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今日はお大師様が聖徳太子の御廟に参篭され菩薩の三位(発光地)を得られた日

2024-06-16 | お大師様のお言葉
今日はお大師様が聖徳太子の御廟に参篭され菩薩の三位(発光地)を得られた日『聖徳太子傳私集記』 の下の帖 に、「弘法大師、太子御廟恭詣 弘仁元年庚寅(811)三月十一日より恭籠百个日(或説云高貴寺御住所より毎日御恭百个日云々)。第九十六日六月十六日夜、御廟崛内に一揮手半の光明輪現給ふ。其光中に阿彌陀三尊現じ般若理趣分を誦す 次に法華・勝鬘・維摩を誦す 見佛聞法の功徳により第三定を得給ふ云々」『高野大 . . . 本文を読む
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大師のご生誕

2024-06-15 | お大師様のお言葉
大師のご生誕についての記述(高野大師御廣伝)「贈大僧正法印大和尚位。諱空海。灌頂號曰遍照金剛。平生職位大僧都傳燈大法師位。謚號弘法大師。讃岐國多度屛風浦の人也。俗性佐伯直。源出天尊なり。少時の御名は眞魚。その父は田公という。・・昔倭武命、毛人を征するに随ひ、功勲世を蓋ひ讃岐國に土地を賜ふ。因って家の子孫相次いで県令と為る。母は阿刀氏也。父母は、聖人天竺より飛来して我等の懐に入ると夢み、乃ち妊胎し、 . . . 本文を読む
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今日はお大師様の御生誕の日でもあり、生まれ変わりとされる不空三蔵の入滅された日でもあります

2024-06-15 | お大師様のお言葉
不空金剛は、705(唐・中宗・神龍元)年生まれで、774(代宗・大暦9)年の6月15日に大興善寺に入滅されています。「付法の八祖」では第六祖、「伝持の八祖」では第四祖。以下、大師の「秘密曼荼羅教付法伝」と「密教辞典」をあわせて書いておきます。「北インドのバラモン出身の父と康居人の母との間に西域で生まれ、長じて長安に入り金剛智に会い門下に投じる。20歳ごろ有部律により師金剛智より具足戒を授かり、以後 . . . 本文を読む
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今日は大師(32)が青龍寺に於いて學法灌頂壇に入壇された日

2024-06-13 | お大師様のお言葉
・今日は大師(32)が青龍寺に於いて學法灌頂壇に入壇された日です。眞言付法纂要抄( 成尊)に「大唐貞元二十一年(延暦二十四年に配す)・・六月十三日。長安城青龍寺東塔院灌頂道場において、學法灌頂壇に入る。是日、大悲胎藏大曼荼羅に臨んで即ち五部灌頂に沐し、三密加持を受く。此より以後、胎藏之梵字儀軌を受け、諸尊之瑜伽觀智を學す。」『太上天皇灌頂文』に「去んじ大唐の貞元二十二年、日本の延暦二十四年805の . . . 本文を読む
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今日今日は大師が役人の猟官運動に協力してあげた日です。

2024-06-01 | お大師様のお言葉
今日は大師が役人の猟官運動に協力してあげた日です。 大師は人の世の深い苦しさを能くお分かりでした。役人の代筆をされた文に「死なんと欲すれども死なれず。天に訴へて生きなんと欲すれども生きられず」と書かれています。   人の官を求むるがための啓(大師が官位を求める官僚の代筆をされた文) 「某乙(注1)啓す。某乙聞く、巨石は重くして沈み、蚊虻は短くして飛ぶ。しかりと雖も巨石舟を得つれば . . . 本文を読む
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今日30日は大師が「弘仁の遺誡」を定められた日です

2024-05-30 | お大師様のお言葉
・今日30日は大師が「弘仁の遺誡」を定められた日です。ここでは大師は十善戒・三昧耶戒を守れない者は出ていけ、とおしゃっています。弘仁の遺誡(高野大師御広伝等による)「四年仲夏晦。製遺誡云。諸の弟子等に語ぐ。凡そ出家修道は、もと仏果を期す。更に輪王梵釈の家を要めず。豈況んや、人間少少の果報をや。発心して遠渉せんには、足にあらざれば能はず。仏道に趣向せんには、戒にあらざれば寧んぞ至らんや。必ず須く顕密 . . . 本文を読む
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今日は大師が「大夫笠左衛佐、亡屋のために大日の楨像を造る願文」を撰せられた日です。

2024-05-22 | お大師様のお言葉
今日(天長四年五月二十二日)は大師が神護寺で笠仲守のた亡妻のために法会を営み、大日如来の一印曼荼羅を図画し大日経を講演され、あわせて「大夫笠左衛佐、亡屋のために大日の楨像を造る願文」を撰せられた日です。「大夫笠左衛佐、亡屋のために大日の楨像(ちょうぞう、絹の上に描く像)を造る願文恭んで聞く、嚩曰羅(ばざら)は智なり。鉢納麼(はんどま)は理なり。智はよく物を照らすに功あり。理は摂持して乱るることなし . . . 本文を読む
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五月二十一日は大師が真雅に印相秘義を授けられた日です

2024-05-21 | お大師様のお言葉
弘仁十二年五月二十一日は大師が真雅(注)に印相秘義を授けられた日です。(東宝記第四、弘法大師全集) 真雅は弘仁七年(816年)、16歳のとき大師の弟子となっていますから21歳の時です。天長二年825年には大師から両部灌頂を受け阿闍梨となり特に天長の大事を相承されています。(注、真雅は大師の実弟。大師十大弟子の一人。清和天皇誕生以来の護持僧で、天皇の厚い信頼。清和天皇の御願寺である貞観寺の開基。貞 . . . 本文を読む
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