明治三陸大津波は明治29年6月15日、三陸沖を震源として起こったマグニチュード8.5の巨大地震で死者行方不明者2万1,959人とされますがこの時も僧侶が慰問にいって泣いて読経できなかった様子がありました。
「仏教顕揚会の慰問師達が細浦(現南三陸町)という村で行った回向を行っていると、十三四の男女より七八十の老人皆が滂沱の涙を流し会場が嗚咽に包まれた。この村はもともと1 . . . 本文を読む
今日はウオルター・ホイットマン生誕の日です。ホイットマンは1819年5月31日にニューヨーク州ロングアイランドで生まれています。南北戦争にも従軍していますが、戦場とは正反対の詩情あふれる作品を書き続けています。「彼(ウオルター・ホイットマン、『草の葉』の作者)の好きな仕事は、一人で戸外をぶらぶらと当てもなく歩き回って、草や花や日向の並木や変化する空の様子を眺めたり、鳥やコオロギや、雨蛙や、そのほか . . . 本文を読む
今日嘉暦三年1328五月二十九日は良観が後醍醐天皇より忍性菩薩の尊号を勅許された日。(「叡尊・忍性」吉川弘文館)忍性は師叡尊からは真言密教・戒律・聖徳太子信仰を受け継ぎ聖徳太子の「四箇院の制」の復興を図る。『性公大徳譜』によると忍性が生涯で草創した伽藍83ヶ所、供養した堂154ヶ所、結界した寺院79ヶ所、建立した塔婆20基、供養した塔婆25基、書写の一切経14蔵、図絵した地蔵菩薩1355図、僧尼に . . . 本文を読む
今日は後光厳天皇が大覚寺にある勅封般若心経を写経された日です。(後光厳天皇は北朝四代。光厳天皇の皇子。1351年南朝によって兄・崇光天皇が退位させられたが,翌年北朝再興のため足利義詮に擁立されて践祚。在位中南朝軍の攻撃を受け,近江や美濃に避難することもあった。新千載和歌集、新拾遺集を編。宝鏡寺・金戒光明寺・雲龍院開基。日蓮に大菩薩号授与。)大覚寺に勅封般若心経あり。この心経については、続史愚抄に「 . . . 本文を読む
三代実録 / 元慶六年(882)五月廿九日庚午条「廿九日庚午 是月霖雨 賑給京師貧困病患之輩」五月二十九日、今月霖雨(長雨)。京師で貧困病患の輩に賑給す。昔は長雨でも貧窮者に救援していました。 . . . 本文を読む
「釈迦如来が竜王に仰せられるに「一法あり、能く世間出世間の苦を離れて楽を与えることができる」とこうお説きなされた。その一法とは何であるかというと十善戒である。本業瓔珞経に『理』に順ずるを善といい、『理』に反くを悪という」とある。『理』とは真如法性のことじゃ。真如法性とは即ち自身の心性である。心性とは心の本体で俗にいう本性のことじゃ。その真如をば諸法実相ともいい、法界ともいい、また第一義天ともいふて . . . 本文を読む
続史愚抄 / 文明六年閏1474五月「廿八日壬午 今日より諸寺において変異の御祈り 奉行蔵人右少弁元長」天皇は後土御門天皇。室町幕府は足利義尚。此の年、特に大きな災害は記録されていません。文明九年十一月(1477年) には応仁元年(1467年)から続いていた応仁の乱が終息しています。 . . . 本文を読む
今日天長四年(827) 五月二十八日は大師が大僧都に補任された日です。(弘法大師全集、沙門空海)「高野大師御広傳」には「今年(天長四年)大僧都に転補。再三辞遁するも公家許さず」とあります。 . . . 本文を読む
高野山往生伝「沙門教懐は京兆の人也。幼日出家、興福寺に住す。壮年寺を離れ、小田原(山城国久世郡)に住す。故に俗に呼んで、小田原迎接房聖と曰ふ矣。其の後高野山に移住、已後二十四年、毎日所作両界修練、弥陀行法、大佛頂陀羅尼を受持し、阿弥陀を誦念す。自余の行業は人の知る所に非ず。而して寛治七年五月二十七日、篤癃に非ずと雖も、聊か小悩あり。其の明旦手ら不動尊像数百体を模写し即ち以て開眼供養す。漸く巳刻に及 . . . 本文を読む
今日は唐木順三の命日です。唐木は1980年(昭和55年)5月27日、肺癌のため築地の国立がんセンターで死去しています。76歳、戒名は雪峰院不期順心居士。唐木は「日本人の心の歴史」の最初に『詩情』が日本人の心であるとして正法眼蔵の現成公案の「仏道をならふは自己ををならふこと、自己をならふといふは自己を忘るること、自己を忘るるといふは萬法に証せらるること、萬法の証せらるるといふは自己の身心および他己の . . . 本文を読む
三代実録 / 仁和二年(886)五月廿六日甲辰条「廿六日甲辰 長日 山城国石清水八幡大菩薩宮自鳴 す。如撃鼓の声の如し 南楼も鳴ること 風波相激して成す声の如し。 数剋を経て而も停らず。 神祇官卜して云ふ。 大菩薩の心に所願あり。 陰陽寮占して云ふ。 兵事を警すべし。」天皇は光孝天皇。翌年、仁和三年(887年)、仁和地震(東海・東南海・南海連動型地震)が発生、五畿七道が被災、大阪湾に巨大津波、八ヶ . . . 本文を読む
今日はロシアが対馬の永久租借を要求した日文久元年1861五月二十六日、は対馬芋崎を不法占拠していたロシア軍が対馬藩主宗義和に謁見、芋崎の永久租借を要求した日です。此の後イギリスによる干渉に助けられロシアもやっと8月15日に退去します。https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd . . . 本文を読む
今日は大師が内裏に於いて雨ごいの祈祷をされ験を顕された日です。天長四年(827年大師五十四歳 )五月二十六日に大師は内裏において祈雨法(きうほう)を修されています。高野大師御広傳です。「天長皇帝大極殿において百僧を屈して雩(あまごい)す。大師願文を作して云く『維れ天長四年中夏の月、朔乙由酉。・・・大極清涼両殿において三尊の霊に雩(あまごい)す。聞くならく、仏心とは慈と悲なり。大慈は則ち楽を與え、大 . . . 本文を読む
今日は唐の太宗の没したの日。ウキぺデア等に依ると太宗は貞観23年5月26日(649年7月10日)に没しています。太宗は中国史上の名君として知られています。・太宗の対話を編集して為政者の心得を説いた『貞観政要』は頼朝・政子、家康等日本の歴代の為政者の愛読書でもあった。ここには、贅沢を誡めるために後宮を整理するとき美人は嫁ぎ先が見つかりやすいとして美人から先にリストラした(吉宗が享保の改革で大奥の美女 . . . 本文を読む