福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は観賢座主が大師号を重ねて陳情した日

2024-10-05 | 法話
  「高野山秘記」 「右追て祖師贈大僧正法印大和尚位空海の諡名を賜はるべきの状。先年陳請以聞す、而して天許の後未だ明詔を蒙らず、觀賢今遺跡を拜せんが爲めに遙かに南岳に向ふ、望み請ふ諡名將さに廟前に告げん。然らば則ち久亡の靈魂新に天恩に感ぜん、觀賢懇切の至りに任へう重ねて以つて陳請以聞す。觀賢誠惶誠恐謹言。 延喜二十一年十月五日           権大僧都法眼和尚位觀賢」 &nb . . . 本文を読む
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今日は蒙古・高麗軍が対馬に上陸し、婦女や子供を裸で数珠つなぎにして殺戮した日です

2024-10-05 | 法話
今日(1274年10月5日)は蒙古・高麗軍が対馬に上陸し、婦女や子供を裸で数珠つなぎにして殺戮した日です。 . . . 本文を読む
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今日は第八十八代後嵯峨天皇御出家の日

2024-10-05 | 法話
「本朝皇胤紹運録」(第八十八代後嵯峨天皇)「文永五年(1268)十月五日御出家。四十九。法諱素覚」 . . . 本文を読む
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今日は津田左右吉生誕の日です

2024-10-03 | 法話
今日は明治維新を日本歴史の暗黒部分であると喝破した津田左右吉生誕の日です。津田 左右吉は明治6年(1873年)10月3日に岐阜県、美濃加茂市に生まれています。津田の主張はここに端的に表れています。「幕府を倒した薩人もチョウシュウ人も、また彼等の先駆となり彼等と共に活動した志士輩浪人輩も、決して国家の功臣ではなかった。彼等は、しばしば述べた如く、日本の国家の進運を阻害し国民の生活を甚だしく傷つけたも . . . 本文を読む
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今日は鎌倉時代に弘智法印が入定された日

2024-10-02 | 法話
今日は鎌倉時代に弘智法印が入定された日長岡市寺泊の西生寺生寺ホームページに「弘智法印即身仏御縁起」より、として以下のようにあります。「弘智法印は、鎌倉時代に、千葉県八日市場市(現在の匝瑳市)大浦の鈴木五郎左ェ門の次男「音松」として生まれ幼少のころに、同じ大浦村にある「蓮花寺」に出家。「真諦」となる(「弘智」となるのは、西生寺「奥の院」で即身仏と成るための修行を始めた頃から)。50代はじめで蓮花寺を . . . 本文を読む
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今日は疱瘡平癒の為宮中で薬師法を修した日

2024-10-02 | 法話
史料綜覧 巻五 / 弘長二年(1262)十月二日条「二日 薬師法ヲ禁中ニ修シテ 御疱瘡ヲ祈ル」天皇は亀山天皇。鎌倉幕府は宗尊親王、執権は北条長時。 . . . 本文を読む
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今日は皇太后が京都の貧民に銭米を施された日

2024-10-02 | 法話
三代実録 / 貞観二年閏860十月二日戊申条「二日戊申 使者を分遣して  京師の貧窮者に銭米を賜ふ  今日皇太后宮斎講畢を以ての故也」天皇は清和天皇。皇太后は藤原明子。御斎講は宮中の年中行事の一。正月8日より14日までの7日間、大極殿(のちには清涼殿)で国家護持・五穀成就の祈願をした法会。衆僧を召して斎食ときを設け、金光明最勝王経を講じさせた。奈良中期に始まり、平安時代には重要な儀式となった。 . . . 本文を読む
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学習障害児がノーベル賞受賞

2024-10-01 | 法話
「ノーベル医学生理学賞受賞者グライダーさんは学習障害児だった。 グライダーさんが持つ「ディスレクシア(難読症)」とは、学習障害の一つで、正確に単語認識に困難さがあり、結果的に読解や読む機会が少なくなり、語彙の発達や背景知識の獲得を妨げるとなりうる、とされている。障害のため、学者である親を持ちながらも、勉強は不得意で、自ら「頭が悪い子」と思っていた。障害の壁を乗り越えるため、グライダーさんは様々な . . . 本文を読む
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今日は夢窓疎石示寂の日です。

2024-09-30 | 法話
今日は夢窓疎石示寂の日です。夢窓疎石は1351年(正平6年/観応2年)の今日9月30日77歳で示寂されています。南北朝時代の臨済僧。9歳から密教を学び,18歳で得度,東大寺で受戒。 20歳で建仁寺の無隠円範に参禅。のちに後醍醐天皇や足利尊氏の帰依を受け恵林寺、臨川寺、天龍寺などを創建。弟子に義堂周信や絶海中津等。諡は夢窓国師。正覚国師。心宗国師。普済国師。玄猷国師。仏統国師。大円国師。 通称は七朝 . . . 本文を読む
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今日は国学者本居宣長の命日です。宣長は戒名を付けています

2024-09-30 | 法話
今日は国学者本居宣長の命日です。宣長は享和元(1801)9月29日 72歳で没しています。 ここで言いたいのは宣長は決して仏教を排斥していなかった、ということです。 宣長の墓は二つあります。いずれもお寺の境内にあります。しかも一方には自身も含めて一族の戒名が刻まれています。 まず亡骸は、宣長の遺言書に従い松阪市山室にある妙楽寺(宣長の菩提寺樹敬寺の隠居寺)の山内に葬られ、墓石には「本居宣長之 . . . 本文を読む
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今日は聖武天皇が殺生禁断令を出されています。

2024-09-29 | 法話
・続日本紀・天平二年730九月庚辰(29日)「(聖武天皇)詔して曰く・・・又、法を造りて禽獣を捕こと、先朝禁断す。・・しかるに諸国なほ法籬を作して擅(ほしいまま)に人兵を発し、猪鹿を殺害す。計(はか)るべき頭数なし。直に多く生命を害するのみに非ず、實に亦た章程に違犯したり。宜しく諸道に頒ちて並びに湏(すべから)く禁断すべし。」 . . . 本文を読む
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今日は瑩山禅師ご遷化の日です

2024-09-29 | 法話
日本曹洞宗太祖瑩山禅師は、正中2年(1325)9月29日、62歳で遷化されています。以下ウキぺデア等に依ります。禅師は13歳のときに永平寺で懐奘禅師について得度。義介禅師、越前大野の宝慶寺の寂円禅師、京都・万寿寺の宝覚禅師、東福寺の東山湛照や白雲慧暁禅師、紀州由良の興国寺の心地覚心禅師等についてご修行。その後、義介禅師に「平常心是道」の逸話を聞いて大悟され、義介禅師より印可を受けられています。生 . . . 本文を読む
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今日は筒井順慶が春日大社に寄進した日

2024-09-29 | 法話
史料綜覧 十一巻 / 天正十年1582九月廿九日条「廿九日 筒井順慶 興福寺中﨟ト為リ 米千石ヲ春日社ニ寄附シ 修理ノ資ニ充ツ」筒井 順慶は戦国大名。信長・秀吉に仕える。大和筒井城主、後に大和国郡山城主天正十年(1582)六月二日には本能寺の変がおこりがその後、光秀と親しかった順慶は洞ヶ峠をきめ込む。この寄進を行った頃は秀吉の家臣となり、大和の所領は安堵されていた。 . . . 本文を読む
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今日は覚行法新王が孔雀経法を修された日

2024-09-27 | 法話
「孔雀経法記」「康和四年1102九月二十七日、近日天変あり。件の変を消さんが為に、鳥羽北殿において勤修御。大阿闍梨御室覚行法新王、伴僧二十口の内、僧綱三口。同十月十三日御結願了。」天皇は堀河天皇。このころ特段の天変地異は記録なし。覚行法親王は、平安時代中期から後期にかけての真言僧。白河天皇の第二皇子。中御室とも称される。真言宗仁和寺の第3世門跡。永保3年(1083年)に仁和寺性信入道親王の下で出家 . . . 本文を読む
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今日は天変により覺行法親王が鳥羽離宮で孔雀経法を修せられた日

2024-09-27 | 法話
「孔雀経法記」に(康和四年1102壬午九月二十七日)「近日天變あり。件變を消す為に鳥羽北殿に於いて令勤修御。大阿闍梨御室覺行法親王、伴僧廿口のうち、僧綱三口。同く十月十三日結願了。」天皇は堀河天皇、白河上皇の院政。鳥羽離宮は白河上皇の御所。覺行法親王はウキぺデアによれば「永保3年(1083年)に仁和寺に入り、1085年(応徳2年)性信入道親王の下で出家・受戒。性信の没後に仁和寺寺務に就任する。10 . . . 本文を読む
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