大内 青巒は大正7年(1918年)12月16日に73歳で没しています。
16歳で原坦山の弟子となり、印可を受けています。20歳で明治維新に遇い、上京し西本願寺大津鉄然と交わり第21世宗主大谷光尊の侍講をつとめました。そのためか禅・念仏一致の考えで「禅は面白いところから入って、有難いところに徹底せねばならぬ。念仏は有難いところから入って面白いところまで徹底せねばならぬ。」といっていたということです(明治の仏教者)。島地黙雷・井上円了らとともに天皇崇拝を中心とする仏教政治運動団体「尊皇奉仏大同団」を結成し曹洞宗の『修証義』も起草しています。前田慧雲の後を受けて東洋大学の学長にも就任しています。青巒は僧侶は戒律を守り肉食妻帯は避けよとの考えでした。
明治四年に「信行綱領」として三信三行を掲げて実践していたということです。
「三信、
・吾等は無限の空間に充塞し無限の時間を通貫して宇宙平等の本体たる絶対不変の霊光あるを確信す。
・吾人は宇宙平等の本体活動して万象差別の現象となり、因縁相続して世界の果報歴然たることを確信す。
・吾人は万象の妙用各々そいの本徳を全うして互いに相感応するときは即ち差別の現象直にこれ平等の本体たることを確信す。
三行
・吾人は凡そ止悪転迷の規律、皆誓って之を実行す。
・吾人は凡そ修善開悟の道法、皆誓って之を実行す。
・吾人は凡そ済衆救世の事業、皆誓って之を実行す。」
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大内青巒居士の命日について、お知らせいただき、ありがとうございます。
当時のスペイン風邪で亡くなったとされる居士は、まさに現在の様子にも繋がる行き方を示した人でした。
遺言が「葬儀不要」だったという話もあるのですが、その件については、あまり信用していないです。
どちらにせよ、青巒居士という人は、必ず複数の見方ができてしまう人なので、扱うのはとても難しい人です。