観自在菩薩冥應集、連體。巻5/6・21/39
二十一摂州摩耶山の観音の事
摂津の国兎胎郡佛母摩耶山忉利天上寺(兵庫県神戸市灘区摩耶山町摩耶山天上寺)は法道仙人の開基なり。本尊十一面観音は長一尺六寸(60㎝)同じく仙人の作にて霊験掲焉の秘尊なり。仙人帰天の後、弟子の僧印海と云人あり、仙人の遺嘱を受けて白鳳年中(7世紀後半)に伽藍を営建し僧舎三百餘宇ありといへり。後に天平勝宝五年(753年)五月雷 . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻5/6・20/39
二十法華山千手観音の事
播州印南郡山法華山は法道仙人の開基なり。又は徳道上人とも云。本は中天竺の人なり。霊鷲山に五百の持明仙あり。持明仙とは真言法に依りて法成就して仙人と成る者を云ふ(大日経疏三には密厳佛國・十方浄厳・諸天修羅宮等の三品の悉地を得たる者を云)。
金剛摩尼の法(「五相成身観」に基づいた法)を修して皆能く道を得て須臾に十方刹に遊んで便 . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻5/6・19/39
十九播州清水寺千手観音の事
播磨國犬寺は昔皇極天皇二年(643年)に蘇我入鹿臣諸国軍兵を集めて聖徳太子の御子達二十五人を亡ぼす時に播磨に枚夫と云者あり、入鹿が催促に従って軍に出ず。枚夫が妻あり、好じて志貞ならず。枚夫が僕内々密通せり。軍終わりて後枚夫帰りければ、僕熟ら思ふやう、もし事発覚なば我必ず誅せらるべしと。即ちいつはり謀って曰く、山中に鹿猪多 . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻5/6・18/39
十八勝尾寺観音幷善仲善算開基開成王子の事
摂津國勝尾寺は善仲善算(奈良時代の双子の僧。ともに摂津天王寺(大阪府)の栄湛につき出家。のちふたりで俗世をのがれ摂津勝尾山にはいり草庵をむすんで修行。弟子に弥勒寺(現箕面市勝尾寺)をひらいた開成がいる。)の開基にして観音は開成王子の造立なり。善仲善算は摂津國守藤原致房の双子なり。母は源氏、紀州の刺史懐位の第 . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻5/6・17/39
十七摂州総持寺の観音の縁起
摂津國嶋下郡総持寺(現在も大阪府茨木市にあり)の千手観音の像は山陰中納言(平安時代前期の公卿。藤原高房の三男。従三位、中納言包丁道の祖)の父藤原高房公の願にて開基は円仁法師(第三代天台座主。慈覚大師。「入唐求法巡礼行記」を著す。)なり。人王五十七代陽成天皇の御宇に(9世紀)越前守藤原朝臣高房公といふあり。淡海公五代の孫な . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻5/6・16/39
十六丹波穴穂寺の聖観音附けたり佛像を造る法式の事
丹州桑田村(亀岡市)菩提寺聖観音の像は御長三尺宇治宮成(曽我部郷の郡司)が願主、佛工感世(かんせい)が造る所なり。この仏師は仏像を彫刻するをなりはひとすると雖も余暇には常に法華を読む事一両巻或は一品二品、多く暇あるときは或は一部を終ふ。又日課として普門品三十三巻を誦すること怠る日なし。丹波國桑田郡に . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻5/6・15/39
十五良峯寺千手観音の事
山城國乙訓郡善峰寺(表記が時々異なっているが其の儘で出す)は小塩山の上に在り。西山と号す。後一条院の長元三年(1459年)に源算法師の開基なり。算は因幡の人にて叡山にて出家し後に西山の善峯寺に至って伽藍を構へ七十餘年の間山を下らず閉関して修行し行年百十七歳堀河院の承徳二年(835年)三月に定印を結び端座して遷化し玉ふ。数日を . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻5/6・14/39
十四京一条の革堂千手観音の事
京都行願寺(今も西国第十九番 霊麀山 革堂 行願寺としてある)八尺(2.4m)の千手観音の尊像は一条院寛弘二年(1005年)に建立あり。本願行円上人(平安時代中期。革聖、皮聖人。長保年間に鎮西から上洛し、寛弘元年(一〇〇四)一条北辺に行願寺を建立、ここを拠点として民衆教化、社会事業を行った。)は鎮西の人也。都に来たるに . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻5/6・13/39
十三六波羅蜜寺十一面観音幷空也上人事
山城國京東山六波羅蜜寺十一面観音は御長一丈空也上人の作にして三十三所第十七番の霊像なり。村上天皇の天暦五年(951年)に洛中疫癘流行して万人死すること多し。上人是を憐みて自ら十一面大悲の像を造りて祈り玉へば其の疫疾即ち止みぬ。即ち四衆を勧めて一宇の堂を建立して安置し玉ふ。今の六波羅蜜寺なり。方丈普門院は寺領七十 . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻5/6・12/39
十二洛陽東山今熊野の観音の事
今熊野は紀州熊野の権現を勧請するが名乗れるなり。本地十一面観音は弘法大師の御作なり。古老相傳へて曰く、弘法大師東寺に住し玉ふ時東の峯より光明赫奕として東寺の方を照らす、大師怪しみをおぼしめして其の光を慕ひて東山に至り見玉ふに白衣の翁一人顕れ出て大師に告げ玉はく、此の山に十一面観音おはします。御長一寸八分(5cm)にて天 . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻5/6・11/39
十一三井寺如意輪観音の事。
江州三井寺南院の如意輪観音は智証大師の開基なり。園城寺と号す。天智・天武・持統の勅願として天武天皇三年(676年)に教待和尚(説話上の僧。園城寺にひさしくすみ,貞観元年(859)伽藍建立の適地をもとめて同寺にいたった円珍を旧知の人のようにまちうけ,檀家の大友都堵牟麿とともに寺の再興を委嘱し,たちまち姿をけした。ときに16 . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻5/6・10/39
十石山の観音幷良辨僧正の事
近江國勢田郡石山寺一丈六尺(4.85m)の如意輪観音は聖武天皇の願主、良辨僧正の開基なり。良辨は義淵の弟子にて聖武帝の帰依僧なりければ帝に勧めて大仏を造らしめ玉ふ。或る時帝夢み玉はく、良辨の前世は震旦國の比丘なりしが求法の為に天竺に往時に流沙に至りて大河ありければ比丘銭なくして渡る事を得ず百日あまり逗留あり。時に渡守比丘 . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻5/6・9/39
九金剛山実相院舜海僧正の修験幷真言の功力疫神を払事。附けたり王宮の御室及び地蔵の霊験の事。
さて泰澄の雷神を縛して盟せ玉ふ事は近頃にも其の例あり。金剛山実相院(御所市高天国見城跡地にあった寺)舜海大僧正は天正年中(1573年から1592年)の人。和州宇智郡(奈良県五條市)の産にして当時に並びなき修験者なり。其の頃播州姫路の城を太閤秀吉公の築かれしに城 . . . 本文を読む
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