東宝記/ 弘安四年(1281)六月二日条
「二日 不動法ヲ東寺ニ修シテ 異国降伏ヲ祈ル」
蒙古軍は五月二十一日には対馬に上陸、二十六日には壱岐に上陸しています。この後、六月六日には志賀の島に上陸しました。
なお、志賀の島には高野山から五月に波切不動様が動座されて蒙古退散の祈祷をされていました。『高野春秋編 年輯録』には浪切不動の志賀島動座について 「弘安四年 五月日、詔当山及諸寺社、令抽異賊降伏之 禱明神官符詳悉于兹、仍供奉南院不動明王於筑前国鹿島(志賀島)、執行五壇大秘法、中壇御導師長者兼座主醍醐僧正定済、 片壇南院阿梨賢隆・蓮上院入寺長任等也外二僧是任院宣及鎌倉殿御教書也考、此尊也、 大師帰朝之時、為舶中安泰魔風降伏、将来之、為安国 之鎮将、然将門追討之時、勧請尾州熱田社頭、冊降伏 之本尊、而東夷大治、任此吉例今又如斯」(なお八月七日には敵を退散させて高野山に凱旋したとあります。そしてその功績で十二月には南院主の賢隆が検校になったとあります。
「八月七日(中略) 山僧亦護持本尊帰山也明王還御 之時、留火形於鹿島(志賀島)、蓋是依明王之示現為異国鎮壓 乎、又自武家被請之乎、尋求島僧未明也」 「十二月十三日 静弁師退譲検校職、賢隆替補焉隆師 字号智眼房、南院主、此秋帰自鹿島(志賀島)、法威鳴当世、此人州之荒川荘之産也、執行代釈迦文院幸明勤之」
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