二人の子どもと共に鉄道自殺や入水自殺を何度も企てた果てに肺病になったが突然御大師様に助けられてお寺まで建立できた尼僧の体験談がありました。善根山弘法寺初代住職 齋藤智照法尼の法話 . . . 本文を読む
・聖者と云ひ、凡夫と云ふ、遠く外に求むべからず。浄土と云ひ、穢土と云ふ、遥かに境を隔つべからず。我法を空ずるを覚者と云ひ、我法に著するを愚夫と名く。所執の境を穢土と称し、如幻の境を浄土と名く。(聖者と凡夫は自分の心を離れてあるのではない。浄土と穢土も同じ心の中にある。自分という主体(我)も世界を構成する諸要素・法則(法)も本来「空」であるとさとれば覚者となりこれに迷えば愚夫となる。外界に執着する心 . . . 本文を読む
Q, 真言宗には加持で人を救う方法があるが禅宗にはこういう手段はないのは如何?A,真言宗の加持も愚人を悟りへ至らしむるための方便、禅宗は最初から悟りへ導く。悟りの境地では生死・災殃・貧富もなくなる。夢中問答集(無窓疎石)より・・・15問。真言宗には苦厄をやむる加持門あり。禅宗はかやうの利益欠けたりと難ずるひと有。そのいわれありや?答。密宗は十界の凡衆、本位をあらためず。全くこれ大日如来也とす。しか . . . 本文を読む
「十喩を詠ずる詩」(大師)
「・・・一念の眠りの中に、千萬の夢あり
乍ちに娯み、乍ちに苦んで、籌ること能はず
人間と地獄と天閣と
一たびは哭し、一たびは歌つて、幾許の愁いぞ
睡りの裏には實眞にして、覺むれば見へず
・・・
喜ぶこと莫れ、嗔ること莫れ、是れ法界なり
法界と心とは、異詳なし・・」
何度読んでもすごいお言葉です。 . . . 本文を読む
今日は伝教大師が弘法大師にしばらくは天台の修行に勤しみたいとする書状を出された日
「忽ち迎問(げいもん)を承けて、伏して下情を慰む。雨寒し。伏しておもんみれば、闍梨、持念安穏ならむ。最澄いたる所、未だ了らず。頂拝未だ由あらず。不信の衆生は己身にあり、おもうに、方便を設けて吸引せむのみ。窮子(法華経信解品に説く長者窮子の教えのように仏性を悟れていない衆生)の驚き未だ息まず。暫く一乗の門(諸法実相と . . . 本文を読む
・今日、天平九年736、十月二十六日、道慈律師が大極殿で鎮護国家のために最勝王経を講じられました。續日本紀に「天平九年(七三七)十月丙寅廿六丙寅。講金光明最勝王経于大極殿。朝廷之儀、一同元日。請律師道慈為講師。堅蔵為読師。聴衆一百。沙弥一百。」とあります。道慈律師は奈良時代の僧。大安寺流の祖。大和の人。701年入唐、元康から三論を、善無畏ぜんむいから密教を学ぶ。求聞持法も招来したといわれる。718 . . . 本文を読む
今日弘仁四年十月二十五日は大師が「藤中納言大使のための願文」を書かれた日です。この日、藤原葛野麻呂が無事渡唐の御礼に『金剛般若経』187巻の書写をしたので大師がその供養をされた際願文を執筆されています。「某聞く智慧の源極を強いて仏陀と名け、軌持の妙句を仮りて達磨(法のこと)といふ。智よく円なるゆえに、なさざるところなく、法よく明らかなる故に自他兼ね済う。五眼常に鑑みて溺子を津渉し、六通自在にして樊 . . . 本文を読む
今日1944年10月25日はレイテ沖海戦で日本海軍が事実上消滅した日です。今朝何の気なくYouTubeを開くと名もなき兵士たちの軍歌というページが突然現れました。暫く聞いていましたが涙が出てきました。この名もなき兵士たちの供養は本当にできているのだろうかと思ったのです。そしてさらに戦後の様々な大災害(注1)はこうした名もなき戦争犠牲者の供養が出来てないからではないかとも思いました。調べてみるとやは . . . 本文を読む
今日10月25日は金門島事件の起こった日です。1949年10月25日深夜、中共軍八個連隊は、対岸の厦門(アモイ)からの砲兵隊の援護を受け、200隻のジャンクで金門島を三方向から包囲するようにして迫って来た。中華民国の顧問であった旧日本軍中将根本博は塹壕戦の指揮をおこない上陸してきた中国人民解放軍を破り、同島を死守しています。この根本博という人は、「生長の家」の信者で、満州で不可侵条約を破り侵攻して . . . 本文を読む
最近修法で香花燈塗を供養するのにどうもマンネリ化しているのが自分でもわかりました。結論は、供養する自分を功徳を受けようとして「自分が自分が」として我利我利に考えていたためでした。供養する方、供養物、供養される仏様すべて雲海のように広がっているとイメージすべきだったのです。そこに自分などという狭い考えは入りようもなかったのです。1、およそ供養といって思い出すのは供養雲海菩薩で、自分の供養が海のように . . . 本文を読む
A,三生得道とは、ふとした縁を仏さまと結ぶだけでも三度生まれ変わった後には仏道に入り悟ることができる、という因縁の話です。「大智度論巻第十三」に「比丘尼曰く、我れ自らもとの宿命を憶念するに、時に戯女と作る、種々の衣服を著けて旧語を説く。或時比丘尼衣を著して以て戯笑と為す。是の因縁を以ての故に、迦葉佛の時に比丘尼と作りき。時に自ら貴姓端正なるを恃み、心に矯慢を生じて禁戒を破る。禁戒を破る罪の故に地獄 . . . 本文を読む
今日大同元年十月二十二日は大師が唐より大宰府に御到着になり「新請来経等目録」を朝廷に出された日です。「御請来目録」に「・・・それおもんみれば鳳凰干飛するときは必ず堯舜を窺る。仏法の行蔵は時を遂うて券叙す。今すなわち一百余部の金剛乗経、両部大曼荼羅海会、請来して見到せり。波涛漢にそそぎ、風雨舟を漂わすというといえども、かの鯨海を越えて平らかに聖境に達す。これすなわち聖力のよくするところなり。&hel . . . 本文を読む
今日は真濟が上表して大師に「大僧正」が追贈された日
文徳実録・天安元年十月二十二日の条に
「丙戌,詔法師等曰:「天皇我が詔旨と,法師等に白さへと敕命を白.僧正-真濟大法師上表て,以為く:『故大僧都-空海大法師は,真濟か師なり.昔延曆年中,渡海求法.三密教門,從此發揮.諸宗之中,功無與二.所願は,以僧正號將讓于師.』者.雖知師資其志既切,而在於朕情,未有許容.仍今先師をは,大僧正の官贈賜ひ治賜ふ . . . 本文を読む