不動経にいう「四大八大諸憤怒尊」とは? . . . 本文を読む
第七五課 日本の仏教
印度が仏教の原料産出地とすれば、支那は加工、輸出地であります。そして日本は輸入消費地であります。しかし、ただの輸入消費ではありません。輸入するにも、国土民情に適したものを篩ふるい選より、そしてさらにこれを民族精神で精製し直し、全く日本的の仏教にして消費し来ったのであります。故に日本の仏教は、印度の仏教とは大変な相違があり、支那の仏教ともよほど異なっております。
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第七四課 聖徳太子仰讃
聖徳太子さまを仏教徒が尊崇し奉るのは、太子さまが、高貴の御身分の方であらせられたのに、親しく仏教を弘通せられたということばかりでありません。それももちろんありますけれども、なおその上に、太子さまの仏教に対する御理解の深さに対して人々は渇仰するのであります。御理解の深さというよりは独創の御卓見と言った方が当っているのであります。つまり仏教に対する御実力であります。
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第七三課 仏陀
宇宙には自ずから真理が備わっております。この真理は、始めもなく終りもなく、行き亘らぬ隈もなく、歴々堂々として万物を支え、万物を活かし、万物をそのものであらしめておる当体であります。空を見れば日月星群は時を間違えず天体が運行し、地を見れば山河草木、いちいちその趣を尽しております。そういう大きなものばかりかと言うと、蟋蟀こおろぎの髭の尖さきに生命用心の機能はたらきを揮わしめ、 . . . 本文を読む
4月19日の定例会の記録です。
明日は穀雨。本来ですと、春本番で暖かいはずですが、曇りがちで寒い日となりました。午後は護国寺の入壇式があり、また、午後4時から別の法要を控え、その間をぬってのお勤めとなりました。
護国寺定例参拝会は、7名の参加者でした。
いつものとおり、全員で般若心経、観音経、諸真言をお唱えいたしました。そのあとに飯田橋に移動して懇親会となりました。
今年は四国霊場開創1200 . . . 本文を読む
第七二課 さとり
「さとり」ということは、無限の宇宙生命と、有限の私たち個人の生命と、全く一つのものであることを、はっきり認識したその意識を指すので、禅家の方殊に臨済宗の方で、やかましく言う修業上の心境の段階を指します。さとった人は、この有限で生き死にする私たち個人の精神肉体が、取りも直さず永劫不滅えいごうふめつなるものの現れと知って、もはや人生上に煩悶するものもなく安心立命のその日その日を . . . 本文を読む
第七一課 モダン極楽・モダン地獄
地獄、極楽とは一応、私たちの心の状態を指します。心の経験する苦の世界、これが地獄であります。その反対なのが極楽であります。
現代の人々が嘗める地獄苦で、昔の人と同じものもありましょうが、また昔の人の知らなかった新しいものもあります。 焦燥地獄、何となくいらいらして落付けぬ地獄です。虚無地獄、人生の何物にも張合いが持てなくなり虚無的ニヒリスチックな気持 . . . 本文を読む
高田松原の松材を製材して良材のみを再接合し、一木彫造技法により、5千人の鑿入れにより制作された「あゆみ観音さま」が誕生されています。 平成26年4月1日、當麻寺中之坊(奈良県葛城市)にて開眼法要が営まれています。
・4月1日~4月30日 當麻寺中之坊にて拝観
・5月3日~5月 6日 長谷寺にて拝観
・5月~7月初 各所で巡回(詳細未定)
・7月11日 岩手県陸前高田市にて奉納法会
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1、[風もないのに太龍寺の鐘が(露口幸記、松山市、)]
昭和61年、私は体調が悪く、医者と薬と縁が切れず仕事も出来ない状態でした。
そんな時友人がお四国に誘ってくれました。道中の最初の頃は脂汗がでて引き返そうとしたこともありました。しかしいままでお大師様を拝んできたのだからお大師様がついていてくださるのだと思い直し、一生懸命拝んで周っているうちにすっかり健康になりました。
此の後、車の運転もできる . . . 本文を読む
第七〇課 知られざる傑作
フランス十九世紀の文豪、バルザック(西暦一七九九年に生れ、一八五〇年に歿す)の有名な作品の中の一つに、「知られざる傑作」というのがあります。
「一人の独身の絵画の老大家が巴里に住んでいました。十年近くもかかって大作を描き上げているという評判が巴里の画に関係する人々の間に弘がっていました。しかし老大家は、彼の新工夫の描き方を、仲間に盗まれるのを惧れて、絶対に人に . . . 本文を読む
第六九課 都会と田舎
都会と田舎を、言葉を換えて言えば、文化生活と自然生活と言えます。
文化生活は、人智の発達複雑化に伴って、自然生活から変化して来たものであります。それは人間の福祉幸福を望んで造りなされたために、もちろん便利、迅速、知識的でありますが、しかしその内部には、人間の欲望、煩悩、愚痴等が働きかけて、禍福相半ばするものであります。そこに都会の持つ俗人への魅力もあるわけです。 . . . 本文を読む
第六八課 差別と平等
仏像には大概、両脇に菩薩の像が附いております。これを脇士きょうじと言います。脇士に対して中央にある仏像は本尊です。
釈迦如来を本尊とする仏像の脇士は、左に文殊菩薩、右に普賢ふげん菩薩であります。これにはいろいろの意味がありますが、もし文殊が平等を現す場合には、普賢は差別を現すことになっております。真理というものは、一方に平等、一方に差別を控えて、ちょうど、車の両 . . . 本文を読む
高野山開創1200年記念で結縁行脚が行われていますが、その概要は以下のようになっています。なお東京へはまず、5月21日放生寺(早稲田文学部前)に来られます。このときには希望者は檀徒でなくても「飛行三鈷」を拝して、結縁できるとのことです。(結縁「灌頂」そのものは今迄通り高野山で行われます)
(○ 高野山結縁行脚とは 高野の三大宝のひとつ「飛行三鈷」をモチーフと して、お大師さまが明州の浜で高野山開 . . . 本文を読む