観自在菩薩冥應集、連體。巻4/6・24/33
二十四備後尾道浦浄土寺の観音の事
備後州御調郡(「みつぎぐん」は、広島県(備後国)にあった郡で、現在の尾道市、三原市、世羅町、府中市を含む広範囲の郡域。古代山陽道と銀山街道の交差するクロスロードの宿場町として栄え、寺社・城跡などが多く残る)尾道浦転法輪山浄土寺(浄土寺縁起によると、飛鳥時代の616年に聖徳太子の開基と伝えられている。その後いく世相の . . . 本文を読む
今日はウオルター・ホイットマン生誕の日です。ホイットマンは1819年5月31日にニューヨーク州ロングアイランドで生まれています。南北戦争にも従軍していますが、戦場とは正反対の詩情あふれる作品を書き続けています。「彼(ウオルター・ホイットマン、『草の葉』の作者)の好きな仕事は、一人で戸外をぶらぶらと当てもなく歩き回って、草や花や日向の並木や変化する空の様子を眺めたり、鳥やコオロギや、雨蛙や、そのほか . . . 本文を読む
「・華厳宗では三生成仏をいいながら五種の疾得成仏や三種の成仏をといて一生成仏説に帰している。 ・天台宗では龍女成仏説を証拠として即身成仏を唱える。その理論的根拠は本覚思想である。そして修行と仏性と煩悩との三者を本来不二と観じ、修行に努力することをもって即身成仏の要道とする。 ・禅宗であるが道元は他の諸大乗と同様に悉有仏性に成仏論の根拠をもとめた。座禅を菩提への手段とせず修行と菩提とを一体とし . . . 本文を読む
白村江の戦いで唐の捕虜となった日本人が観音様の霊験で無事帰国できた話二話
・其の1、「今昔物語集巻十六・伊予国の越智の直、観音の助けによりて震旦より返り来れる語第二」
今昔、・・(天智か?天智二年に白村江の戦いが始まる)天皇の御代に、伊予の国越智の郡の大領が先祖に、越智の直と言ふ者有けり。
百済国の破れける時、彼の国を助けむが為に、公け、数(あまた)の軍を遣す。中に此の直を遣しけり。直、彼の . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻4/6・23/33
二十三三河国岩屋の観音の事
東海道三州吉田(愛知県豊橋市)の宿より二河(愛知県豊橋市二川町)に至る右の方の山中に松茂りたる處あり。二河よりは十里ばかり南の方に小峰あり岩石奇怪絶景なり。此の岩屋に小堂あり。正観音の像を安置せり。西国大名の中に常に観音を信ずる人あり。江戸参勤の時心にかかる事ありて、公儀の首尾如何あらんと覚束なくて下向せられけるに御油( . . . 本文を読む
・今日30日は大師が「弘仁の遺誡」を定められた日です。ここでは大師は十善戒・三昧耶戒を守れない者は出ていけ、とおしゃっています。弘仁の遺誡(高野大師御広伝等による)「四年仲夏晦。製遺誡云。諸の弟子等に語ぐ。凡そ出家修道は、もと仏果を期す。更に輪王梵釈の家を要めず。豈況んや、人間少少の果報をや。発心して遠渉せんには、足にあらざれば能はず。仏道に趣向せんには、戒にあらざれば寧んぞ至らんや。必ず須く顕密 . . . 本文を読む
弥勒下生信仰は、弥勒下生に合わせて現世を変革しなければならないという終末論、救世主待望論的な要素がある。そのため、弥勒の世を求めて北魏の大乗の乱や、北宋・南宋・元・明・清の白蓮教の乱がおこっている。 日本でも戦国時代に、弥勒仏がこの世に出現するという信仰が流行し、「弥勒仏の世」の現出が期待された。弥勒を穀霊とし、弥勒の世を稲の豊熟した平和な世界であるとする農耕民族的観念もある。この観念を軸とし、東 . . . 本文を読む
noteの徳力基彦プロデューサー
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今日嘉暦三年1328五月二十九日は良観が後醍醐天皇より忍性菩薩の尊号を勅許された日。(「叡尊・忍性」吉川弘文館)忍性は師叡尊からは真言密教・戒律・聖徳太子信仰を受け継ぎ聖徳太子の「四箇院の制」の復興を図る。『性公大徳譜』によると忍性が生涯で草創した伽藍83ヶ所、供養した堂154ヶ所、結界した寺院79ヶ所、建立した塔婆20基、供養した塔婆25基、書写の一切経14蔵、図絵した地蔵菩薩1355図、僧尼に . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻4/6・22/33
二十二二月堂の観音火災に焼け玉はず幷尊像を疎かにする罰の事
南都東大寺二月堂の観音は威霊無双なれば鳥羽院の御宇(12世紀前半)に日本国の霊験の観音を記し玉ふにも二月堂の尊像は肉身となん書かせ玉ひき(『二月堂縁起絵巻』(天平勝宝三年十月)實忠和尚摂津国難波津に行きて補陀落山に向かひて香華を供へて海にうかべ懇誠をぬきいでて祈請勧請す。かの関伽の器はる南 . . . 本文を読む
今日は後光厳天皇が大覚寺にある勅封般若心経を写経された日です。(後光厳天皇は北朝四代。光厳天皇の皇子。1351年南朝によって兄・崇光天皇が退位させられたが,翌年北朝再興のため足利義詮に擁立されて践祚。在位中南朝軍の攻撃を受け,近江や美濃に避難することもあった。新千載和歌集、新拾遺集を編。宝鏡寺・金戒光明寺・雲龍院開基。日蓮に大菩薩号授与。)大覚寺に勅封般若心経あり。この心経については、続史愚抄に「 . . . 本文を読む
三代実録 / 元慶六年(882)五月廿九日庚午条「廿九日庚午 是月霖雨 賑給京師貧困病患之輩」五月二十九日、今月霖雨(長雨)。京師で貧困病患の輩に賑給す。昔は長雨でも貧窮者に救援していました。 . . . 本文を読む
「釈迦如来が竜王に仰せられるに「一法あり、能く世間出世間の苦を離れて楽を与えることができる」とこうお説きなされた。その一法とは何であるかというと十善戒である。本業瓔珞経に『理』に順ずるを善といい、『理』に反くを悪という」とある。『理』とは真如法性のことじゃ。真如法性とは即ち自身の心性である。心性とは心の本体で俗にいう本性のことじゃ。その真如をば諸法実相ともいい、法界ともいい、また第一義天ともいふて . . . 本文を読む
続史愚抄 / 文明六年閏1474五月「廿八日壬午 今日より諸寺において変異の御祈り 奉行蔵人右少弁元長」天皇は後土御門天皇。室町幕府は足利義尚。此の年、特に大きな災害は記録されていません。文明九年十一月(1477年) には応仁元年(1467年)から続いていた応仁の乱が終息しています。 . . . 本文を読む