三代実録 / 仁和三年(887)六月十一日癸丑条「十一日癸丑 ・・・去る五月より霖雨 此に至って未だ止まず 京師飢餓 倉廩を開いて両京乏絶之民に賑給す」天皇は第58代光孝天皇。『日本三代実録』に「天皇少く(わかく)して聡明、好みて経史を読む。容止閑雅、謙恭和潤、慈仁寛曠、九族を親愛す。性、風流多く、尤も人事に長ず」とあり、天皇のお慈悲で京の貧民に宮廷の食料を配ったと思われます。 . . . 本文を読む
今日は観賢僧正ご入滅の日観賢僧正は延長3年6月11日(925年7月4日))に73歳で入滅されています。真雅について出家・受戒し、聖宝より三論・真言密教の教学を学んで、寛平7年(895年)に灌頂。仁和寺別当・弘福寺別当・権律師・東寺長者・東大寺検校,醍醐寺初代座主・金剛峯寺検校、般若寺を創建。高野山宝亀院を建立。を歴任し、「三十帖冊子」を東寺の経蔵に納めて以後代々の真言宗長者の相承とするなど、東寺を . . . 本文を読む
金山穆韶猊下は明治から昭和にかけての大混乱の時代を導かれた学行兼備生涯不犯の稀代の高野山の名僧です。高野山大学長,金剛峰寺座主,高野山真言宗管長を歴任。昭和33年6月11日83歳で高野山天徳院で遷化されています。金山穆韶猊下は、1924年(大正13年)49才の夏、四国21番大龍寺で「求聞持」を成満されています。私が平成21年にここで求聞持を成満させていただいた時求聞持堂には金山猊下の成満札が掛かっ . . . 本文を読む