7月8日(水)雨【警策について】(先師がお持ちであった短策。半分に折れたもの。「海無量」と読める。手元のほうには「福聚」と書かれていた。)
先日、研究所に警策(きょうさく、臨済宗では「けいさく」と読む)についての問い合わせがありました。いつ頃から警策は使われているか、という質問です。警策は坐禅中居眠りなどしていますと、バシッと叩かれたり、修行僧のほうから眠気をさますために叩いてもらうために使われたりします。手元は丸くなっていますが、先に行って平たくなり先は手元よりも広くなった形が、現在の警策です。
だいたいこのようなことについての情報はtenjin和尚さんの「つらつら日暮らし」のブログに書かれているので、検索をかけたらすぐに出てきました。
また「SOTO禅ネット」に検索をかけますと、尾崎正善先生の「警策考」(『曹洞宗研究員研究紀要』27号、1996年)という論文がありましたので、この論文をもとに当ブログで少し紹介させていただきます。
釈尊の時代から、坐禅中居眠りをしている修行者には禅杖を使っていたようですが、これは、竹や葦でできた棒に、木魚の枹のように先を柔らかな物で包んだ形だったようです。
道元禅師の本師、天童如浄禅師(1162~1227)は、坐禅中眠っている僧がいますと、拳で打ったり、沓で叩いたりしていたようで、今の警策は使用していた形跡は見いだせないようです。道元禅師も法具として警策は使われていないようです。
今のような法具が、日本に入ってきたのは、江戸時代、黄檗宗渡来以降だそうです。黄檗宗渡来は隠元隆(1592~1673」)が来朝した承応3年(1654)になります。警策については『黄檗清規』(隠元隆撰)に書かれているようです。名前は警策ではなく、「香版」と記されているようで、現在のように警策として当初使われていたのではないようです。黄檗宗2世木菴性珀(1611~1684)の著した『黄檗山内清規』には警策としての使用が記されているそうですが、いずれにしても、日本において現在のような警策を警策と呼称することも、またその法具自体も黄檗宗渡来以前には存在しなかったようです。
尾崎先生の論文は大変詳しいのですが、ちょっとだけご紹介しました。
ですから道元禅師の時代、警策を入れて居眠りをしている修行者を叩いたというようなことはなかったようです。今でも坐禅会で、警策を使わないお寺もあります。京都にあった安泰寺というお寺もそうでした。最近お伺いした長福寺参禅会でも警策は使いません。警策無しで修行者の自覚に任せるのもよいのではないでしょうか。(真っ先に居眠りをするのは私かもしれませんが)
因みにこの記事の写真は、先師が平成8年のお正月に、坐禅中の雲水全員にこの短策を入れてくださったのですが、最後の私のところで、半分に折れてポーンと私の目の前に、これが飛んできました。それを頂いて今でも先師の遺影の前に置いてあります。先師はこの年に御遷化になりました。
先日、研究所に警策(きょうさく、臨済宗では「けいさく」と読む)についての問い合わせがありました。いつ頃から警策は使われているか、という質問です。警策は坐禅中居眠りなどしていますと、バシッと叩かれたり、修行僧のほうから眠気をさますために叩いてもらうために使われたりします。手元は丸くなっていますが、先に行って平たくなり先は手元よりも広くなった形が、現在の警策です。
だいたいこのようなことについての情報はtenjin和尚さんの「つらつら日暮らし」のブログに書かれているので、検索をかけたらすぐに出てきました。
また「SOTO禅ネット」に検索をかけますと、尾崎正善先生の「警策考」(『曹洞宗研究員研究紀要』27号、1996年)という論文がありましたので、この論文をもとに当ブログで少し紹介させていただきます。
釈尊の時代から、坐禅中居眠りをしている修行者には禅杖を使っていたようですが、これは、竹や葦でできた棒に、木魚の枹のように先を柔らかな物で包んだ形だったようです。
道元禅師の本師、天童如浄禅師(1162~1227)は、坐禅中眠っている僧がいますと、拳で打ったり、沓で叩いたりしていたようで、今の警策は使用していた形跡は見いだせないようです。道元禅師も法具として警策は使われていないようです。
今のような法具が、日本に入ってきたのは、江戸時代、黄檗宗渡来以降だそうです。黄檗宗渡来は隠元隆(1592~1673」)が来朝した承応3年(1654)になります。警策については『黄檗清規』(隠元隆撰)に書かれているようです。名前は警策ではなく、「香版」と記されているようで、現在のように警策として当初使われていたのではないようです。黄檗宗2世木菴性珀(1611~1684)の著した『黄檗山内清規』には警策としての使用が記されているそうですが、いずれにしても、日本において現在のような警策を警策と呼称することも、またその法具自体も黄檗宗渡来以前には存在しなかったようです。
尾崎先生の論文は大変詳しいのですが、ちょっとだけご紹介しました。
ですから道元禅師の時代、警策を入れて居眠りをしている修行者を叩いたというようなことはなかったようです。今でも坐禅会で、警策を使わないお寺もあります。京都にあった安泰寺というお寺もそうでした。最近お伺いした長福寺参禅会でも警策は使いません。警策無しで修行者の自覚に任せるのもよいのではないでしょうか。(真っ先に居眠りをするのは私かもしれませんが)
因みにこの記事の写真は、先師が平成8年のお正月に、坐禅中の雲水全員にこの短策を入れてくださったのですが、最後の私のところで、半分に折れてポーンと私の目の前に、これが飛んできました。それを頂いて今でも先師の遺影の前に置いてあります。先師はこの年に御遷化になりました。
こうして皆様のHPブログなどで勉強できることの幸せを感じております。
折れた警策のお話は、まだ伺ったことは有りませんでした。師匠のお顔を思い出しながら、様々な思いが頭をよぎりました。
師匠が今でもおまえがんばれと 肩をぽんとたたかれていますよ。
たまたま一致したに過ぎませんので、あまりこのような考えは持たないようにしていますが。
万華鏡は 色ガラスのかけらのあつまり
もし触れば指から血が滴り落ちます。
あなたは その万華鏡のきらきらとしたかけらの中のひとつで
若々しく微笑んでいます。
もうひとつの 色ガラスは、あなたの流した涙
くるくると回転する万華鏡の美しい光の世界は
あなたの生きる嘆き苦しみの過ぎ去った姿
苦しみも嘆きも過ぎ去れば
いつかは美しい万華鏡になるのですね
苦しめば苦しんだだけ万華鏡は豪華に華やかに
私たちの人生を彩ってくれます。
私は浜坂には訪ねたことがありませんが、30年以上前に京都の安泰寺にはお邪魔していました。内山興正老師がご存命の頃、居候をさせていただいたこともあります。
再生の旅の安泰寺の記事を読ませていただきました。耕法さんがお読みになられたら、その日を思い出してきっと笑い出すでしょう。照れるかもしれませんね。いや、もしかしたら、お読みかもしれませんよ。
地震の時は大変でした。復興なさったそうですが、お寺についての玉宗さんのお考えも読ませていただきました。
リンク宜しくお願いいたします。こちらにもリンクさせていただきたいと思います。宜しくお願いいたします。
お読みになる皆さんが、それぞれ自分の詩と受けとめることでしょう。私の場合はちょっと面はゆいですね。それほどの苦労ではないので。
私には、もう少し苦労する必要がありそうです。美しい光を放つためには、ですね。
ルナさえいればご機嫌な私ですから。
素敵な詩、有り難うございました。