mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

動態的な定常状態の幸運

2020-03-20 18:46:41 | 日記
 
私の平成時代(8)すべてが一つになる「せかい」

  あるとき、長く宇宙科学に携わってきた大学教授が退官に際して最後の授業を行ったのを観た。そのとき学生の一人が「では、ビッグバンが起こる前はどうだったのでしょう」と質問し、その......
 

  去年11月末のSeminarは「地球の不思議」であった。地表面に関する大陸移動説から大気の循環、地底に潜り込んで、内核、外核、マグマなどの構成と、話しは広がって面白かった。講師Mさんは、以前宇宙の成り立ちとミクロの世界の話をしてくれたこともあって、話しを聞くごとに身の裡がワクワクするのはなぜなのだろうと思ってきた。

 上記のブログ記事を読んで、そうか、わが身の出来上がり方と星の出来上がり方が一緒なんだという「一体感」が身の裡に響いて、感性の何かを揺さぶっているのだと思った。とすると、地球の不思議はなんだろう? きっとそれは、そういう何十億年という単位でみたときに変化しているものが、見事なバランスを保って生命をはぐくむ環境を作っている「定常状態」という、一瞬の不思議に、わが命の、例えば幸運という偶然性の在り様に感じ入っているのかもしれない。

 宇宙の話が、いわば移動中の「わたし」と重なる、動態的な「せかい」に触れている心のざわめきであり、地球の話が、定常状態を見つけて、その幸運にホッとしている秩序的な「わたし」といえるように思う。どちらも、このわが命の感じとっている「せかい」の不思議であり、幸運なのだ。

 そういうことに感応している「わたし」が面白いと思う。


春分の日

2020-03-20 17:04:28 | 日記
 
 いよいよ今日から、陽ざしの時間が長くなる。今年はすでに、冬の間からだいぶ暖かかったから、陽ざしが長くなることにそれほどのありがたさを感じない人が多いかもしれないが、山歩きをしていると、格段に違う。
 ことに冬場の山中は、午后3時ともなるとすっかり暗い。午后2時には下山地の舗装林道を歩いているくらいのペースでないと、同道している人たちが「不安」を感じる。それが、じつは、たいへん困る。
 「不安」が足元を危うくする。体のバランスをぐらつかせる。疲れがどっと出てくるみたいに感じられ、歩一歩がおぼつかなくなる。足場の不安定な山歩きは、微妙な心理的影響まで如実に露わになる。
 春分を過ぎると、間違いなく空が明るい。森の中にいても、そこを抜ければ明るいという「確信」は、気持ちを軽くし、歩きながら元気を補充し、回復していくのに、とりわけの力になる。そういうわけで、春分は、私の味方なのだ。
 
  新型コロナは、まだまだ収まりそうもない。昨日(3/19)の「新型コロナ専門家会議」の発表は、率直なものでした。一連の措置によって、ひとまず収まっているようだが、「孤発例」があるので感染経路が特定できない。場合によっては今後、「爆発的に感染が広まる」(「オーバーシュート」とカタカナで表現していましたが)恐れもあるというものでした。要するに、用心は継続して自己防衛してくださいというのですね。こういう「発表」を聞きたかったんだと思いました。
 国民あての、中身のない、空元気のようなリップサービスなど無用。実務的に、何がどうしているから何をしてほしいと、坦々と事実を伝えるような言葉の方が、モンダイが明快に見える。今の政治家たちは、やたらと国民を励ますとか、国民に好印象を与えるということを気にするせいか、言葉が中空に浮いて軽々と飛び去ってしまう。あなたの励ましなどは要らない。「事実」を精確にきちんと伝えることに徹してもらいたい。
 専門家会議も「オーバーシュート」などとしゃれたカタカナ語を使わず、「爆発的に感染が広まる」というくらいの心遣いをしてもらいたいと思う。こういう新奇な用語をもてはやすマスメディアも、言葉の専門家集団なんだから、できるだけこなれた日本語にして、私たち庶民には伝えるようにしてもらいたいね。江戸期の言葉に戻れとまでは言いませんから。
 
 さて、そういうわけで、3/28(土)に予定していた「第二期第十二回Seminar」は延期することにした。5月には岡山での「同期会」が予定されているので、講師には同じ「お題」で、7月のSeminarに、やっていただくことにした。
 
 あわせて、「Seminar7年のまとめを刊行することについて」、以下のようにお知らせをした。
 
 《じつは、3月のSeminarで、満7年をこえて8年目に突入します。よくつづいたものです。/このSeminarをはじめる前の2012年に、「うちらあの人生 わいらあの時代――古稀の構造色」と題して、戦中生まれ戦後育ちの私たちの「一代記」をまとめてみようと話しが出ていました。Mハマダさんが発案し、私がタイトルなどをつけたものです。/当時「36会掲示板」というホームページがあり、「先頭打者を務めます」と題してキミコさんが執筆し、その後、やりとりがだいぶありました。/「子どもの頃のことからと、歳をとった現在地の双方からトンネルを掘り進めて、うまく出会うことができますかどうか」とハマダさんが書き記したものもありました。/ところがその後、Seminarを実施することになり、また、ハマダさんの目が悪くなってパソコンのモニター画面をみるのがつらくなったために「掲示板」への記入は少なくなり、とうとう今は私だけが(掲示板が閉鎖になったのちに移転した)「36会ブログ」に書き込んでいる状態です。/発案したとき、77歳位までにまとめようと話していましたが、そういうわけで「一代記」をまとめることはできません。/ただ7年も続いたSeminarの記録が、それだけで「古稀の構造色」を読み取ることのできる体をなしています。Seminar事務局を務め、まったく「わたし」の視点から書き綴った記録をもとに、それらをまとめて印刷製本することにしました。/冒頭の標題「うちらあの人生 わいらあの時代――古稀の構造色」をもらい、「36会Seminar私記」と付け加えて、刊行します。Seminarに関係した人たちと今度の岡山での「同期会」に参加される方(の希望者)にお配りしようと考えています。/収録するのは、すでに(「掲示板」や「ブログ」あるいはメールで)公開したものばかりですが、第12回Seminarの折に「オフレコが多いので、公開するときにはチェックさせてください」と話していたトキさんの「商社の仕事」の「Seminar発言記録」の全文と、第26回Seminarのヤチヨさんの「お金の話、戦後のあとの女一代記」の、「Seminar発言記録」全文は、関係方面へご迷惑をおかけすることもあろうとの配慮で、すべて割愛することにしました。/よろしくご了承くださいますようお願い申し上げます。》
 
 さっそく何人かの方々からいろいろな声が戻ってきている。よくぞこの歳になってこのようなやりとりができるものと、速戦即決の電子的やりとりに感謝をしながら、わが味方の記念日を言祝いでいる

花の山散歩・三毳山

2020-03-19 07:38:48 | 日記
 
 昨日の強い風からうってかわって今日(3/18)は、穏やかな好天。気温も上がると予報はいう。車をつかって三毳山に足を運んだ。カタクリを観に行こうというのである。カミサンも同道してくれるから、門前の小僧ができる。
 家を出て1時間で三毳山の南駐車場に車を止めた。ガラッと空いている。駐車場の西側に木の鳥居が設えられていて、みかも不動尊がある。神仏習合の典型的なかたちか。お大師さんの石像もあるから、民間信仰のごった煮というところか。登山口の方へ歩いていくと、こちらにも駐車場があり、ここは、けっこうたくさんの車が止まっている。なんだ、下の方は不便だから、皆さん上へもっていっているのだ。
 
 栃木県で一番大きな都市公園と標榜する公園内は、舗装林道がしっかり設えられ、乗り降り自在の連絡バスが園内を走り回るようになっているが、新型コロナのせいで、3月は24日まで休止しているそうだ。登山道はその林道をショートカットするように古い石段が山の上部にある三毳神社へ向かって直登するように上っている。舗装林道の中断に桜が満開になっている。カンヒザクラだとカミサンが教えてくれる。それを横目で見ながら、直登の石段を上る。30分ほどで三毳神社に着いた。正面の扉は朱く塗られた鉄製で、鎖で鍵が掛けてある。そのカギの下に二つ穴があけられ「賽銭箱入口」と記している。なんとも無粋な「ジンジャ」だ。
 その脇から中岳への踏み跡がつづいている。岩が剥き出しになったりしているが、木々が生い茂っていて明るい。木のあいだから下界が見える。住宅や工場がびっしりと軒を連ね、南東側は栃木市、西北側は佐野市と、この山が結界になっているようだ。標高200mほどだが、この麓まで関東平野は真っ平の広大な平地だから、ちょっとしたランドマークになっている。
 
 何株ものシュンランが、楚々としたたたずまいを湛えて花開いている。枝にひれをつけたフユザンショウが棘を幹にも葉にも付けて孤軍奮闘している。ウグイスカグラが小さく薄赤い花をつけて控えめに咲いている。モミジイチゴが白い花を下向きにつけている。黄色い実をつけるそうだ。師匠からそういう話を聞きながら、下山するまで覚えていられるかなあと心配している。幾種ものスミレが咲いている。葉の形が違うので見分けるそうだが、覚えていられない。オオシマザクラだろうか、サトザクラだろうか、咲いている。
 中岳からみると、ずいぶん向こうにあるとみえた青竜が岳229mに11時10分頃に着く。地理院地図によると、ここが三毳山となっている。主峰なのだ。北の方に男体山が女峰山や大真名子・小真名子を従えてすっきりと姿を見せている。その左に、日光白根山がひときわ白い雪の頭を突き上げている。目を左へ移すと、赤城山も榛名山もさらに左には雪をかぶった浅間山も、まるで富士山のように姿を見せた。ぽっかりと浮かんだ雲が、まるで佐野の街を桃源郷のように彩っているようだ。
 
 ここからカタクリの里へ下る。と、若い人が一人、じっと木の枝を見つめている。カミサンが「レンジャクがいる!」と静かに声を上げる。向こうの枯れ枝にヒレンジャクが5羽、いや8羽、いやいや10羽を超えるくらいいる。「休んでるんですね」と若い人が話しかける。全体では、20羽はいたろうか。つい先日、秋ヶ瀬の森で3羽を見かけたが、こんなに群れているのは、今冬初めてだ。しばらく見惚れていた。
 
 青竜が岳の中腹まで下ると、金網の柵囲いがある。カタクリの里の保護地だ。下る一群が、その扉を開けたままにすると、上がってきていた人がもう一度下って扉を閉め、「閉めてくださいよ」と声をかける。一群の一番後ろの人は振り向いて、何を言ってんだろうと不思議そうな顔をして下ってしまう。「ごくろうさん」と声をかけて、私たちも扉をくぐる。保護地の斜面は枯葉と緑の葉を湛えてその中に花をつけるカタクリやアズマイチゲの白い花が広がる。その中央を階段状に散策路があり、ところどころ斜面の奥へ踏み込む見学路が入り込んでいる。たくさんの人が上り下りしている。
 そろそろ12時近いので、中央路から踏み込むところにしつらえられた板場にシートを敷いてお昼にする。上って来た人が、隣に座ろうかどうしようかと、場所を探す。もっと奥のハイキングコースへ入り込む人もいる。ちょうど一番下ったところの北口から登ってくる人が多いのだ。
 カタクリはちょっと小ぶり。でも、斜面全体を見晴らすと、なかなかの壮観だ。しゃがみ込んで写真を撮っている姿があちらにもこちらにも見える。下を向いたカタクリの花の花芯を画面に収めようと屈みこんでいるのだ。空の陽ざしを雲が遮っている。私がカメラを構えると、傍らにいた一眼レフをもった方が、「ここ、ここ。アズマイチゲとカタクリがうまく入る。陽ざしが出るのを待つといいですよ」と声をかける。そこへしゃがむが、陽ざしは出ない。その方はすぐ後ろに立って、「あとちょっと。もう少し」と私に待つように言う。何枚かカメラに収めて、その方にお礼を言って立ち上がる。下っていると陽ざしが入ってきた。カタクリの色が、アズマイチゲの白と葉の緑に映えて一段と際立つ。
 
 割りと急斜面のルートをたどりながら一番下まで降り、北口へのシカ柵を出たところに消毒薬が置いてある。入る人はみな、手にそれを取ってこすり合わせている。そこからもう一度中に入り、今度は斜面の東側を回り込む道を歩いて、上へ戻る。青竜が岳に向かう人が、三々五々、にぎやかに歩いていく。先ほどのレンジャクをみたところには、もう何もいなかった。一度山頂に戻り、それを超えて少し下ると、「東駐車場→」の表示があり、その広い道をたどる。樹林のあいだから遠方下の方に東駐車場の温室の建物などが陽ざしを受けて輝くように見える。標高差は100mほどあろうか。すれ違う人もいない、静かなルートだ。ヤマツツジが明るいオレンジ色を広げている。
 東駐車場近くの湿原にザゼンソウが咲いているのを見つけた。日陰の湿っぽく黒い地面に濃い茶色の花はほとんど姿を隠そうとしているように思える。何輪もある。池の向こうのサクラが明るく咲いている。「野草の園」にはユキワリソウやニリンソウが花をつけている。こちらにも何カ所かカタクリの群落があり、北口のカタクリよりも花が大きいように感じる。サンシュユの黄色い花が枯木の間ににぎやかだ。斜面の木立が差し込む陽ざしを受けて、薄赤い緑に輝き、まるで色づき始めた秋のはじまりのようにみえる。
 東駐車場からのんびりと「アジサイの道」を歩いて南駐車場へ戻る。ミツバツツジだろうか、赤紫の花が精一杯花びらを広げている。上るときにみたヒカンザクラに「シュゼンジヒカンザクラ」と名前が記してあった。車に帰着したのは14時半。ふだんの山歩きなら3時間ほどで歩くところを、ほぼ5時間の花見の散策であった。

切ない鬱屈を死刑にすることはできるか

2020-03-17 09:15:09 | 日記
 
 昨日(3/16)、「津久井やまゆり園」45人殺傷事件の植松聖被告に、横浜地裁は求刑通り死刑を言い渡した。それを報じた「ダイヤモンドonline(2020/3/16)」のジャーナリスト・戸田一法は、法廷での被告の様子を綴った末尾で、《植松被告は一切の後悔も反省もないように見える。そして、ネットでは支持する投稿がある。/それが、怖い。》と締めくくった。
 そうか? と、どこかに違和感を感じた。
 
 ヘイトスピーチが行われ、世界最強国の大統領であれ、日本の最長記録首相であれ、#ミー・ファーストの蔓延しているご時世を考えると、「ネットでは支持する投稿がある」ことは、ほとんど不思議ではない。だが「それが恐い」? なぜ恐いのか。
 
 わが身の裡のどこかに、植松被告の言ではないが、「言葉がしゃべれないのは人間ではない」という思いに共振する振動が、感じられるからではないのか。わが身の裡を覗いていみると、異形に対する恐れの感触がみえる。恐れは虞れであり畏れである。ただ恐いという感触の「恐れ」、何か良くないことが起こるのではないかという「虞れ」、と同時にわが身を縮こまらせてかしこまる「畏れ」が、ないまぜになって身の裡に湧き起る感じが見てとれる。なぜかはわからない。ただ「異形」は、見慣れぬもの、見知らぬもの、正体がわからぬものへの「おそれ」であることだけは、まちがいない。20歳代の後半になってはじめて脳性麻痺の友人ができた。話をするうちに、「おそれ」の感触は、緩やかにほぐれていった。何よりもその友人が、一緒に歩くときに「気を遣うな。勝手に行け」というときだ。気遣われることに「苛立つ」彼自身が、自らの「異形」とぶつかっていると思うと、では私はどうすればいいのかと自らに問うて、答えがでなかったことが何度もあった。
 
 その、棚上げされて出なかった答えの残滓が植松被告の発言に震えていると感じるのだ。だから、彼が死刑に処せられて「片づけられる」とき私は、自らの棚上げされた「なにか」もまた、答えを見つけることなく放擲されるような気がしている。私は「死刑廃止論者」ではないが、昨日の判決を聞いたとき、死刑で片づけてはならないという思いが心裡に湧き上がるのを感じていた。
 経験則的にいえば、障碍者を施設に隔離していることが、私たちの日常の目から遠ざけている。それが余計に「異形」性を膨らませていると思える。障碍者の家族にとっては「かけがえのない」存在であったという。まずその「かんけい」の第一のことは、日々触れあっていることにある。日々触れあっていれば、ことばを発せられるかどうかが意を通じあえるかどうかの決定的な振る舞いではないと、わかる。隔離しているのは、障碍者ばかりではない。病人もそうだ。老人もそうだ。あるいはタバコを吸う人も、薬物乱用者も、不倫をする人も、そうだ。健全な経済活動や社会活動にそぐわない人々は皆、隔離せよとする社会規範が、じつは私たちの日常文化を限りなく狭めている。私たちの健全な社会は、自縄自縛になっていきつつある。
 
 だが、では、やまゆり園に勤めて、日々接していたこともある植松被告にとって、「異形」性が消えなかったのか、と問われるかもしれない。彼はやまゆり園の障碍者たちを「言葉がしゃべれないのは人間ではない」と指弾することによって、かろうじて自分自身を「人間である」とみることのできた地平に、切なく身を置いていたのだと思う。たとえば、彼のやまゆり園での働きが、ひょっとすると彼自身の「ほこり」を傷つけるものであったかもしれない。自分が生きているのは「もっと価値あることのはず」という思い入れを抱懐し、こんな生き方は「わたし」ではないという切ない思いが、つねに彼の身の裡に噴き上がって「鬱屈」となっていたのではなかったか。
 ヒトは自らの安定的立ち位置を感じることなく、身を立てていくことはできない。それはヒトによっては、常に優位性を確認することであったり、あるいは安定的存在に承認されている感触であったりする。それはメンドクサイことだが、「自己」の存在が社会的に承認されているという自己確認の形なのだ。このメンドクササは、社会的関係の中で生まれて生きていくしかないヒトの宿命ともいえるクセである。それが(身分制のなくなった)現代では、ことに、日常の前面に押し出されてきた。
 
 植松被告がどのようにして、自己確認のメンドクササを確証しなければならないような「切ない鬱屈」を抱え込んだかはわからないし、それを明らかにしたいとも思わないが、そのような「切ない鬱屈」の確信的安定点として「意思疎通をはかることのできる/できない障碍者」を見いだしたのだと、私は思っている。
 何を根拠に? ヒトをそのように追い込んでいくことに容赦ないシステムに私たちが暮らしていること、のように追い込まれて自死したり犯罪に走ったり、オカルト的な宗教に身を投じたりする人を、たくさん見てきたからだ。
 
 もっと「せかい」は混沌の方がいい。私たちはちっぽけな存在にすぎない。わかったふうな恰好をして、決めつけるな。この世に77年生きてきた、経験則的な年寄りの「せかい」の見切りだ。

「類的普遍性」をどこに認めるか

2020-03-16 19:25:49 | 日記

 
 「集団免疫」という言葉を初めて耳にした。今日のこと。新型コロナウィルスに関する英国のボリス・ジョンソン首相の演説。その内容が「事実上の降伏演説」というので、えっ、なに それ? と画面を見やった。ジョンソン首相の演説は、いたって率直。コロナの広まりは当分続き、簡単には収まらない。だが、「6割の人が免疫を身につければ、社会的にはほぼコントロールできる状態になったとみていい」。だから、学校を閉鎖するとかイベントを自粛するとか、出歩かないということはしない。それらを行うと却って、保険医療活動に従事する人たちの家に閉じこもることが多くなり、モンダイが大きくなる、と。上記の「6割の……」が「集団免疫」と呼ばれていた。むろん反対する(国内の)専門家もいるが、主導している二人の専門家の提案に今のところ沈黙しているという。
 
 その仔細をネットで調べると、感染の初期段階にあるイギリスとしては、それなりの知見を含んでいる。
(1)何ヶ月にもわたり、幾度か感染拡大の山を迎える長期戦になるから、「自主隔離疲れ」になって、感染のピーク時に出歩くようになってしまう。
(2)スポーツ観戦などの大きい空間などよりも、家庭の狭い空間の方が感染する度合いが高い。
(3)感染拡大のピークを夏まで遅らせることによって、なんとか小規模の被害にとどめよう。
 
 最後の(3)については、果たしてそうなるかどうか。南半球での広がり方をみると疑わしいが、「自主隔離疲れ」を想定するところが、いかにも経験主義的なイギリスらしいと思った。
 それにしても「事実上の降伏演説」とは、穏やかでない。ジョンソン首相が、「感染が広がるにつれ、実に多くの家族が身内・親友を失う」と率直に表明したことをとらえたのであろう。そう言えば、3・11のときに菅首相が「原発の周辺は30年間は住めなくなる」と発言したことを「ひどい!」と非難した日本のメディアならではの、見出しの付け方である。
 このイギリスの「対処」の仕方は、「自然の脅威」に対して、自らの自然存在としての身の程を弁えて、国民に「覚悟」を求めたものということができ、私はそれなりに好感している。
 
 新型コロナにまつわる世界各国の動向をみていると、「目にみえぬ/対処法のわからぬ」相手に対して、どういう「秩序」をもたらしたらいいか思案していると、見ることができる。「目にみえぬ/対処法のわからぬ」相手は、別様に謂えば「自然」だ。それだけに注目すれば「自然」は無秩序の増大をもたらす方向へ動いている。エントロピーの増大とかなんとか、難しい用語を学者は使っているが、逆にいうと、ヒトが考えて行う「対処」は、その自然の混沌に秩序を与えようとしていることである。二項対立的にいえば「混沌vs.秩序」である。科学者は「法則性」と呼ぶが、私は限定された領域での「法則性」に過ぎないとみる。つまり、混沌のなかから、一部を切りとって「法則と呼ぶ秩序」を与えたにすぎないと思っている。
 
 話はずれるかもしれないが、そう考えると、ヒトが行うコトゴトは皆、「秩序をあたえる」ことである。言葉に表して名づけるということも、混沌から取り出して、その混沌の断片に「種」とか「類」とか「属性」という秩序を与えて、混沌から切り離している。ヒトはそうやって、世界を秩序あるものとして整え直そうとしてきたのだが、「自然」がそれに逆らって、「混沌」の本領を発揮してみせていると、今回の新型コロナをみることができる。
 
 では、その「秩序」が類的普遍性を持っているということを、何を根拠に考えているのであろうか。イギリスのように、経験主義的な振る舞い方が、まだヒトをも自然存在の断片と位置づけている、それなりの戦略的な気配を感じる。その根拠を、誰か学者が探っているだろうか。