私の平成時代(8)すべてが一つになる「せかい」
あるとき、長く宇宙科学に携わってきた大学教授が退官に際して最後の授業を行ったのを観た。そのとき学生の一人が「では、ビッグバンが起こる前はどうだったのでしょう」と質問し、その......
去年11月末のSeminarは「地球の不思議」であった。地表面に関する大陸移動説から大気の循環、地底に潜り込んで、内核、外核、マグマなどの構成と、話しは広がって面白かった。講師Mさんは、以前宇宙の成り立ちとミクロの世界の話をしてくれたこともあって、話しを聞くごとに身の裡がワクワクするのはなぜなのだろうと思ってきた。
上記のブログ記事を読んで、そうか、わが身の出来上がり方と星の出来上がり方が一緒なんだという「一体感」が身の裡に響いて、感性の何かを揺さぶっているのだと思った。とすると、地球の不思議はなんだろう? きっとそれは、そういう何十億年という単位でみたときに変化しているものが、見事なバランスを保って生命をはぐくむ環境を作っている「定常状態」という、一瞬の不思議に、わが命の、例えば幸運という偶然性の在り様に感じ入っているのかもしれない。
宇宙の話が、いわば移動中の「わたし」と重なる、動態的な「せかい」に触れている心のざわめきであり、地球の話が、定常状態を見つけて、その幸運にホッとしている秩序的な「わたし」といえるように思う。どちらも、このわが命の感じとっている「せかい」の不思議であり、幸運なのだ。
そういうことに感応している「わたし」が面白いと思う。