mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

満点のお花見ハイキング・大平山~晃石山

2020-03-26 21:00:16 | 日記
 
 今日(3/25)は、暖かい一日。風もない。桜を観るハイキングとして4/8に予定していた山行を、今日に変更した。今は栃木市になっている大平山。電車で行って花見酒でもと思っていたが、「経路不明」の感染者が半数を超えたことで、車で行くことにした。
 
 車を置いて、駅の下口で電車で来る人を待つ。出口が二つあると知ったので、「東口で待つ」とメールを打った。すると、「電車乗り越しちゃって、小金井にいる。先に登っていてください」と返信。「では先に行きます。歩き始めるときにメールをください」と送信して、そろったメンバーと出発した。9時。東武線の線路の向こうに菜の花畑が広がり、その向こうに柔らかな山容の大平山が赤茶っぽい山肌を横たえている。街並みのサクラは7分咲きというところか。
 
 登山口から客人神社までの参道は石の階段になって割りと急傾斜。10分も上がると明るい落葉樹に囲まれる。見上げると背の高いヤマザクラが青空に薄赤い花を広げている。「いいねえ」と先頭のkwrさんが立ち止まって見上げる。標高154mのピーク脇の角を曲がると、大平山の全体が見渡せる。山肌の針葉樹の緑に間に落葉樹の枯れ木色が朱っぽく色づき、なかには薄緑に新緑の予感を湛え、ところどころにサクラの薄赤白い花の色がこれからの山笑う季節の到来を告げているようだ。
 
 やはり桜の木の背が高い。競い合って背丈を伸ばし、少しでも太陽の陽ざしをわがものにしようとしたのであろうか。高い木々の間に、花をつけたサクラが青空に白く彩をつけている。ツツジの蕾がいまにも咲こうとしている。今年は暖かかったと、改めて思う。謙信平へ向かう舗装路に入ったところに大きな枝垂桜があった。その先の駐車場には、何本ものサクラが花をつけ、明後日からの桜まつりに備えているようだ。謙信平には展望台がある。その中央正面に富士山が真っ白な姿を、春霞の向こうにみせている。関東平野の東北端から関東平野の南西端を望んでいるわけだ。栃木市と佐野市の市街が手前に屋並を連ねる。ここは、車で訪れる人たちもたくさんいて、茶店も開いている。
 
 大平山神社の鳥居をくぐり、石段を上ると広い境内に出る。お参りしている人がそれなりにいる。境内の東には筑波山が、双耳峰をみせて霞んでいる。境内の一番奥に「奥宮→」の標識があり、大平山山頂への道をたどる。途中に注連縄を張ってくぐる方向へ「↑晃石山」「富士浅間神社→」と標識が立つ。kwrさんが立ち止まる。「あっ、浅間神社が山頂だから」と話し、注連縄をくぐって上がる。山頂はすぐであった。社はあるが、しっかりと閉ざされ、その後ろへ登ったところに「山頂241m」があった。kwmさんが遅れているmsさんにメールをすると、「いま、謙信平に到着」と返信がきた。ならば、あと25分くらいで追いつくだろうから、待ってましょう、とベンチに腰掛けてkwrさんと話す。つぎつぎと上ってくる人たちがいる。聞くと、大中寺からという。今日私たちが、最後に訊ねるお寺さんだ。子どもたちを連れた家族。若い女性の二人連れ、年老いた夫婦もの。5,6人の団体。皆さんやってきて、神社に手を合わせて元気がよい。屋外の、人が密集しない条件で、閉塞感を取り払おうと、みなさん出かけてきたようだ。
 
 そろそろ来る頃と、先ほどからkwmさんが登り口を見つめるが、一向にmsさんの姿が現れない。kwmさんが「どこにいるの」と、もう一度メールを入れる。「ぐみの木峠」と返事が来る。ええっ、ここを通り過ぎてるじゃないか。そうか、下の注連縄のところで晃石山への巻道へ入ってしまったんだと思う。結局、晃石山で待っていてくれと送信して、私たちが追いかけることになった。こうなったときのkwrさんの踏ん張りはすごいものがある。急な斜面を木につかまりながら下り、巻道との合流点を通って、コースタイム30分のぐみの木峠を15分ほどで通過。いくつかのピークを越えて、40分で晃石山にやってきた。その途次には、ヤマツツジがしっかりと花を開いていたり、カタクリが咲いているところがあった。
 
 晃石山419mは一等三角点の標石があり、小さな祠が設えられている。ベンチも二つあり、msさんが笑って迎えてくれた。「でも、早かったねえ」というと、謙信平まではタクシーで追いかけたという。そうか、それで短縮できたんだ。追いつこうと浅間神社ヘは寄らないようにしたから、晃石山への巻道に入ったという。「追いつき・追い越せ世代だね」と笑う。北の方には女峰山、大真名子小真名子、太郎山、男体山、日光白根山と、雪をかぶった日光の山々が、南西には先ほどよりもっと霞んだ富士山が取り囲む。お昼にする。あとからあとから登ってくる人たちがいる。若い人たちが結構多いのが、なんとなくうれしい。どちらへと問われて「清水寺(きよみずでら)」といったら、「ああ、あれは、せいすいじです」と訂正が入った。そうなんだ、こちらでは。
 
 20分ほどでお昼が終わり、桜峠へ向かう。途中、青入山389mを通過する。どこからは北西方面の山並みが広がって見え、えっ? あれ富士山? というのがあった。浅間山が周りの山から雪の頭をのぞかせ、なるほど少し低い富士山にみえる。信越の山が前景にあるのだ。25分ほどで桜峠を通過。先ほどの「せいすいじ」のお姉さんが休んでいて、声を交わす。結構急な階段を、標高差で100mほど下る。サクラが咲き、ツツジがいくつもの花を開きかけている。
 
 舗装林道に出て振り返ると、今下ってきた山肌のサクラが見事に色合いを誇っているのが見える。降り立ったところの下にも、色合いを異にしたサクラが植えつけられ、菜の花がそれを引き立てて、サクラの大平山を謳っているようだ。清水寺の古めかしいたたずまいを飾るサクラも静かに華やかさを醸し出している。サクラを愛でる心持には、こうした控えめな静けさと、しかし己を誇る内発的な外へ放つオーラの交錯を受信する思いがあるような気がする。やがて、大中寺の麓に出る。大平山の全身を借景にして佇む里の居ずまいが感じられる。
 
 大中寺も、ところどころのサクラに彩られて杉の重たさに軽みを添える。山門が、「工事中」のようだ。鬱蒼としたスギ林に覆われた暗い山門をくぐると、いかにもお寺さんという風情の、明るい本堂と前提と赤い色を放つツツジの色合いが待っていた。建立から900年を経ているらしい。戻るとき、山門の柱の修理をしてるのが分かった。根方が腐りかけ、下の方だけを新しい欅の柱に取り換えているという。釘は使っていないから、臍を切って組み合わせる。傍らを木を噛ませてジャッキで少し持ち上げ、臍を切った取り替え柱を台石において差し込み、持ち上げたところを降ろすと、がっしりと落ち着くという。宮大工の仕事だろうか。その仕事を監督していた方が、切りとった古い柱をみせてくれる。ほぼ千年近く経っている欅の木だが、その切り口は、まだ生木を伐ったばかりのように赤く新鮮な色合いをしていた。「千年もつんですねえ」と感慨深げであった。
 
 参道を下って駅の方へ向かう。「せんすいじ」のお姉さん二人連れがやってくる。また会いましたねと挨拶を交わして、彼女たちは大中寺へ向かう。中山という小高い丘の中腹を迂回して国道へ出る。車を置いた近くの交差点で、電車で帰るmsさんとは別れた。ほぼ14時。行動時間は5時間であった。いろんなサクラに出会い、神社とお寺さんを経めぐり、子どもをふくめた若い人たちの山歩きも目にし、汗もかかず風も穏やか、まるで満点のお花見ハイキングであった。