mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

桜模様がまだ続く

2020-03-31 09:17:31 | 日記

 昨日(3/30)は、見沼田んぼの東縁を歩いた。こちらはカミサンの鳥と植物のフィールドとあって、私は付いて廻る格好。メインは桜模様。この地に転居してきて、30年になる。そのうちの17年をリタイアして、この周辺のあちらこちらも歩き回って来た。地理的な概念はしっかり(私の)頭の中に入っているが、カミサンはそう思っていないのか、ここの右側には富士塚があるとか、この上は筍のよくとれる場所とか、あの先の農家の銀杏の実を何年も頂戴して、菓子折りを差し上げてお礼したとか、まるで私が初めての地に足を踏み入れたかのようにガイドしてくれる。ふむふむとっきながら私は私で、この30年間を振り返っていた。
 
 サクラはまだまだ見ごろ。一昨々日の西縁のサクラよりも、もっと花筵になって歩道を彩り、そこにかぶさる頭上の花と一緒になって、春を言祝いでいると思えた。そうそう、言われた初めて気づいたことだが、散り始めているサクラなのに、まだ、これから咲こうという花の蕾がいくつもついている。一本のサクラも、ほぼ同時に全部咲くのではなく、2週間ほどにわたって順々に花を開き、順々に散り落ちてシーズンを終えるのだ。観ているこちらは、一括して何分咲きだ、満開だ、散るサクラだと決めつけているが、サクラの生涯はそんなに単純明快というわけではないのだ。
 昨日の大雪のせいであろう、サクラの大木の枝がぽっきりと折れ、花をつけたまま土手の斜面に崩れかけている。その折れ口がまだ生々しく、この木が壮年期にあったことを思わせる。折れている枝の一つをもらっていきたいとカミサンは言う。だがそのままだと、手折って持ち帰っているみたいに見えるねというと、諦めたようだった。もう一つの大木は、土手の歩道の管理者が整理したのであろうか、花の誇るがごとく着いた枝を小さく切り払って、傍らに積み上げていた。あるいは雪の重みで垂れ下がっていたのを早々と始末したのであろう。
 
 鳥の姿は、それほど多くはない。姿を見たのは、モズ、スズメ、シジュウカラ、ハシブトガラス、キジバト、キジ、ホオジロ、アオジ、カシラダカ、ヒバリ、タヒバリ、イソヒヨドリ、ヒヨドリ、ムクドリ。ウグイス、カケス、コジュケイの声も聴いた。水鳥は、オオバン、バン、コガモ、カルガモ、オカヨシガモ、ヒドリガモ、カワウ、ホシハジロ、キンクロハジロ、カイツブリ、ハシビロガモ、マガモ、カンムリカイツブリ、コチドリ。31種か。
 
 植物はいろんな話を聞きながら歩いた。ウラシマソウが、すでに釣り糸を垂らして大きい。いつもなら5月に花をつけるライラック(という栽培種)がもう立派な花を咲かせて、養生畑に並んでいた。蕊を垂らしている色合いから、クヌギ、コナラ、アカシデなどの見分けをするとも教わる。教わってからみていると、何本も東縁脇の樹林にはクヌギやコナラがあるとわかる。蕊の形で、こちらはトサミズキ、そちらはヒュウガミズキと見分ける。蕊ではないが木肌をみてエノキ・・・などと樹種のあれこれを耳にするが、右から左へと抜けていく。なるほどこんなところを、こんな話をしながらカミサンはこの辺りの鳥や植物の案内をしているのかと、日ごろの知らないことに気づく。
 
 ふだん山に行っていないとき以外、私は家にいるがカミサンは、鳥や植物のストーカーのように出歩ている。話が溜まっているのもあろうか、目についた人やコトからの連想もあろうか、いろんな話があれこれと飛びながら繰り出されてくる。新型コロナで出入りが禁じられて困っているだろうタイに住む私の友人のことも話題に出て、「でもあの人は元気そうだから・・・」と口にしていた。ところが、帰宅してスマホをみると、その友人から私宛にメールが来ている。「2カ月半ほど前から胃腸の調子が悪く、医者で検査を受けたら、小腸に、癌か良性の潰瘍がある。結果は一週間後わかる・・・」とメールが来ていた。小腸に癌なんてできるかなと私は思ったが、昔風にいうと、異国にいて体調の不安を抱え、ついメールしたものであろう。どう返信しようかと一晩考えて、結局ありきたりの言葉しか思い浮かばず、とりあえずの「送信」をした。遠くにいては幸運を祈るしかない。桜同様、一本の木にもいろんな模様がある。一つひとつを不安に思うよりも、為るように為る。為るようにしか為らない。そう考えて過ごすよりほか、年寄りの人生ってないのよねと、いつしか思っている。